2014年12月15日月曜日

海月姫(2014年)


海月姫

テレビアニメにもなった東村アキコの同名コミックを、能年玲奈主演で映画化した青春ドラマ。男子禁制の共同アパートのオタクな住人たちと、1人を除いて自分が男であることを隠して同アパートに入り浸る女装男子とのおかしな恋や友情を描く。「仮面ライダーW」で人気となった菅田将暉が、素性を隠し友情を育む女装男子を演じる。(以上、Movie Walker

とりあえず、
「また少女マンガ原作?」「あ?ガールズムービー?」
「はいはい。こじらせ女子ね。」「能年玲奈はあまちゃんだけだね。」
って言ってる人に騙されたと思って観ていただきたい!

いやはや、おもしろい。

正直まったく期待していなかった。
マンガはぶっちゃけ途中で挫折しました。

なのに、本当に泣けた。かなり刺さってしまった。


萌えすぎる役者陣

能年ちゃんのオタク⇔ナチュラルかわいい(脱・あまちゃんできたっしょ!)
菅田くんの美人⇔かっこいい(なんだ、このかわいさたるや! 美しさたるや!)
太田莉菜のひどすぎるオタククオリティ⇔持ち前のスタイル(このキャスティングは、最後のカタルシスのひとつ)
と、なんか本来の姿と役者さんの両面が生きたキャスティングがすばらしい!

その他、長谷川博己も片瀬那奈も、もこみちさえも。
この映画観てみんな好きになってた。いとおしくなる。

きらいな自分は変えられる

「好きなものは最強の武器」ということで、
自分たちの好きなもの(オタク魂)で自分の殻から脱する。
まあ、いわば、流行のレリゴーですよ。

ありのままの自分を偽ることなく、
世界は変えられるんだってことをオタクさんたちが証明してくれて、
ありのままに号泣してしまったという訳であります。


ここでも重要なのが、菅田くんの存在。
逆ファムファタール的な存在がいたことが、個人的にはすごくしっくりきた。

お姫様には王子様が必要ですもん。
それが、また女装をした王子様っていうところが、
素直におとぎ話を受け入れられない女の琴線に触れたというわけであります。

お姫様には王子様が必要なんだよぉぉぉぉぉ(号泣)。
(『アナ雪』や『マレフィセント』といい、なんだかディズニーはここのところ王子様を必要としない感じだけど…)


要するに「女の子は誰でもお姫様になれる。」という、よくあるおとぎ話。

オタクという自我をこじらせた人たちと、
女装(これもある意味、過去をこじらせてるんだけど)した王子様という
ほんのちょっとのひねりが加わったことで、
普段は「おとぎ話なんて」と吐き捨てるほどにガチガチに凝り固まった
わたくしめのこじらせハートの隙間を突く結果になったのであります!


ゴーン・ガール(2014年)


ゴーン・ガール

「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」の鬼才デビッド・フィンチャー監督が、ギリアン・フリンの全米ベストセラー小説を映画化。「アルゴ」のベン・アフレックを主演に、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリスらが共演。幸福な夫婦生活を送っていたニックとエイミー。しかし、結婚5周年の記念日にエイミーが失踪し、自宅のキッチンから大量の血痕が発見される。警察はアリバイが不自然なニックに疑いをかけ捜査を進めるが、メディアが事件を取り上げたことで、ニックは全米から疑いの目を向けられることとなる。音楽を、「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥーの女」でもタッグを組んだインダストリアルバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」のトレント・レズナーと、同バンドのプロデューサーでもあるアティカス・ロスが共同で担当。(以上、映画.com


これを見たあと、“結婚”って何なんだと思う人は多いんじゃないのかな。
メディアが「楽しい!美しい!幸せ!」と騒ぎ立ててる“結婚”だけど、本当にそうなのか?
少なくとも私はそう思わされた。

そんなわけで、“結婚”に夢見る人(特に男性)の後味の悪さを想像するといたたまれない。


あまり内容を言ってしまうとおもしろくなくなるから言わないけど、
今回もフィンチャーにもてあそばれるように、騙され続ける。

でも、今回は「やられたー!」っていうよりは、
どんどんなんかこういう現実ある気がすると思えてきて、
ひつこいまでの裏切りの応酬に、終いにはなんか笑えてきた。

これぞ、ブラックバラエティ!

「結婚相手のことを本当の姿」
「メディアに報じられている情報」
どれもこれも、疑いつつも見てみないフリ、わからないフリをして適当に流している部分。

だって、わかったところで、その真実が幸せかどうか分からないもん。

結婚も同じ。
「結婚したから幸せ」だとは限らない。
じゃあ、そんな相手とは「別れれば幸せ」ともわからない。

では、何が幸せか?
それもわからないんだけど。

何もかもわかりあえればそれで幸せ♥
結婚こそが幸せの最終形態♥

そんな市場に反吐がでるほどうんざりしていた私だから、最後笑えてきたのかもしれない。
心の中で「ざまぁーーーーーーーーーー!!」と手を叩いて笑ってました。

どうしようもないダメ夫のニックの結末にでもなく、
もちろんエイミーにでもなく、
なんだか、今までむしゃくしゃしていたあらゆるものに対して。
「これがお前らが求めている幸せですか?」と。


結婚に夢見る方は見ない方がいいんじゃないかと。
これを見て、「こんなのフィクションじゃん!結婚は素晴らしいよ!」なんて言ってたらそれはそれで、痛い。あるい意味すごいけど。


「本当に大切なものは いつも失って初めて分かる」
このコピー、観終わって冷静に考えるとぞくっとする。


この映画をハッピーエンドと観るのか、バッドエンドと観るのか。
私はコメディとして観ました。

日本市場に流布する“結婚礼賛”に一矢を報いるかのような映画。


それにしてもベン・アフレックのぼやっとした夫いいわ。いい感じに超ダメ男。

さて、なにが幸せなんだろうね? “結婚”すか? “真実”すか?

2014年11月10日月曜日

まほろ駅前狂騒曲(2014年)


まほろ駅前狂騒曲

三浦しをんの同名ベストセラーを瑛太&松田龍平主演で映画化した「まほろ駅前多田便利軒」、その続編として製作されたテレビドラマ「まほろ駅前多田番外地」に続くシリーズ第3弾。まほろ市で小さな便利屋を営む多田啓介のもとに、変わり者の同級生・行天春彦が転がり込んできてから3年目。多田は行天の元妻から、行天さえも会ったことがない彼の実娘はるの子守りを依頼されてしまう。一方、まほろ市の裏番長・星からは、新興宗教団体を前身とする謎の野菜販売集団の極秘調査を押しつけられる。かつてない厄介な依頼に悪戦苦闘するなか、バスジャック事件にまで巻きこまれてしまい……。監督は「まほろ駅前多田便利軒」も手がけた大森立嗣が続投し、キャストにも高良健吾、真木よう子、本上まなみ、大森南朋ほか映画版やテレビ版でおなじみの顔ぶれが再結集。さらに、行天の過去の秘密を知る謎の男役で永瀬正敏が登場。(以上、映画.com


これはもう、まほろファンじゃなくても楽しめるエンターテインメントですな。
さらに、まほろを映画→ドラマと追って来た人たちは、集大成! と感慨深い。


ストーリーはいつになく盛りだくさんで、しかも繋がりがある。
(映画第一弾は短編をまとめた感じだし、連ドラもエピソードごと)

映画第一弾のゆるっとした空気と、ふたりが持つ“暗い”の部分。
ドラマのてんやわんやな部分と、ハードボイルドな部分。
それがいい感じでミックスされている。


行天も多田も今回は、大活躍でかっこいいし、
ふたりの過去とか“暗い”部分、隠されている部分も垣間見える。

だけど、あくまでもまほろの空気は壊れない。
“まほろ”の日常の一部に、今回のできごともあったという感じが一貫されていてよかった。


かっこいいんだよ。
まじめな部分もあるし、ハードな部分もあるし。

でも、あくまでも行天は行天、多田は多田。


それがいいよね。

どんなことがあっても、最後は多田便利軒の日常に戻る。
そういう安心感が、“まほろ”には大事なんです!




フォレスト・ガンプ/一期一会



フォレスト・ガンプ/一期一会

頭は少し弱いが、誰にも負けない俊足と清らかな心をもった男フォレスト・ガンプの数奇な人生を、アメリカ現代史と重ねて描き出していくヒューマンドラマ。
監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキス。主演にトム・ハンクス。知能指数が人よりも劣っていたが、母親に普通の子どもと同じように育てられたフォレスト・ガンプは、小学校で優しく美しい少女ジェニーと運命的な出会いを果たす。俊足を買われてアメフト選手として入学した大学ではスター選手として活躍。卒業後は軍隊に入り、ベトナム戦争で仲間を救って勲章をもらい、除隊後はエビ漁を始めて大成功を収める。しかし、幼い頃から思い続けているジェニーとは再会と別れを繰り返し……。第67回アカデミー賞で作品賞ほか6部門を受賞。ハンクスは前年の「フィラデルフィア」に続き2年連続で主演男優賞を受賞した。(以上、映画.comより)


「今、目の前にあるものに対して、ただただ一生懸命取り組む」
そんな感じのお話だった。

(ちょうどNHKでやってた嵐のドキュメンタリーで、大野君が同じようなことを言っていたというエピソードがあって、それに感銘を受けたせいも否めないけど。)



とにかく出会う人、起きたことに、ただまっすぐに向き合う
フォレスト・ガンプの姿は、ごちゃごちゃ考えるばかりの自分には突き刺さった。

フォレスト・ガンプのまわりの人たちも、そんな姿に動かされたんだろうね。



自分の力の及ばない何かに、流され流される展開は『LIFE!』(2013年)にも通じるところがあると感じた。
主人公が主体的に、動くっていうよりは、あれよあれよって感じとか。

個人的には、フォレスト・ガンプの方が、俄然好き!!



動こうとして、一歩踏み出すなんて、正直そうそうないし、できないし、やらないし。
でも、目の前にあるものに対して真摯に向き合う。
自分の壁を壊そうとか、一歩踏み出そうとか、そんな欲ものなく、
来たから、打ち返す。それこそ、ピンポン玉のように。

そういう姿勢が、ちょっとずつ知らない世界に繋がっているんだろうな。




まっすぐすぎて、クスッと笑える。
なかなかいい笑い。


ベンチでおばあちゃんが、「あなたの語りがうまいから」って言うけど、
うまいよねーまじで。
心地いい語りだよねー。



2014年8月19日火曜日

スクール・オブ・ロック (2003年)




スクール・オブ・ロック

出演:ジャック・ブラック、監督:リチャード・リンクレイター。

ミュージシャンでもあるジャック・ブラックが破天荒なロッカー教師を演じるコメディータッチの人間ドラマ。名門小学校にそぐわないニセ教師と小学生たちがロックを通じて交流を深める、笑いと風刺、感動、そして涙ありの作品。監督に「オースティン映画協会」の設立者であり『恋人までの距離』のリチャード・リンクレイター。脚本は本作で友人役を演じるマイク・ホワイト。実際に楽器を演奏している子役たちの演奏の巧さもにも注目だが、ジャック・ブラック演じるユニークなロックン・ロール教師からは目が離せない!(以上、Yahoo!映画


はい、めっちゃ好きです!

物語時代はGTO的なよくあるスクールもの。
優秀な学校に、ダメダメ教師がきて、いろいろあって心を通わせるというもの。



だから、安心して観れるのもあるんだけど、
そんなにのんびりへらへら観れる映画ではないかな。

いい意味で。



終始かかっているロックのリズムに途中から、体が乗ってきちゃう!


デューイは本当にどうしようもない男だけど、
「ロックをやりたい」という思いだけはまっすぐで、むしろそれしかない。
そのためには手段は選ばないロックなやつ。


ちゃんと考えてか知らずか(考えてないだろうけど)、
生徒たちに役割を与えて、その役割の振り方がまた秀逸!

音楽とか楽器は全員が誰でもできるわけじゃないから、
普通のクラスの生徒がみんなでバンドやりました! だと、いまいち「はいはい…」という感じになりかねない。

でも、仕切りやならマネージメント、パソコンが得意ならプログラミング…
得意分野を活かせばいいわけだし、
見た目は地味だけど得意なものがあるなら、思い切って目立ってしまえばいい。
できるかわかんないけど、やりたい! でも、いいと思うし。

そのあたりのさじ加減がすごくよくて、気持ちよかった!




ラストはもちろんロック!
本当に最後の演奏はしびれた!

家でDVDで観ながら、本当にノリノリになってしまった。
めちゃくちゃスカッとした!ロックだな!


SCHOOL OF ROCK=ロックの学校
生徒たちにも、観ている人にも色んなことを教えてくれる映画。

Let's ROCK!

アポロ13(1995年)


アポロ13

主演:トム・ハンクス、監督:ロン・ハワード。

どんな困難な危機であっても、人類の英知の前に不可能がない事を知らしめた、あまりにもドラマティックな実話を遂にハリウッドが映画化。1970年4月、月へ向けて打ち上げられたアポロ13号に爆発事故が発生。その絶望的な状況の中、ヒューストン管制センターでは3人の乗組員を無事地球に帰すため、必死の救出作戦が展開されていた…。(以上、Yahoo!映画


宇宙博、TenQ、現代美術館 ミッション[宇宙×芸術]と、宇宙づいている夏だったので、
その流れで鑑賞。


3つの展覧会を見て思ったけど、宇宙とざっくり言っても幅広いわけで(幅広すぎる!)、
宇宙開発とその技術、宇宙開発の歴史、天体などの宇宙そのもの、天体と言っても地球からの観測と宇宙からのもあるわけだし。

アポロ13』は技術かな。
もちろん実話ということで、歴史でもあるんだろうけど。



なにがおもしろいって、数人(アポロ13号では3人)が宇宙に行くために、
そして帰ってくるために、何百人の人が関わっているということ。

その何百人の中には、宇宙に行きたかったけど行けなかった人もいれば、
見守ることしかできない人もいる。

でも、地球を飛び立った宇宙飛行士をみんなが帰ってくることを待っている。



なんとなく頭では理解していたけれど、「行った」ものが「帰ってくる」ということがいかに重要か。
そして、宇宙に「行って」そして、「帰ってくる」ことが、いかに大変かということを思い知った。

なにより「帰ってくる」ことを待ち、全力で奮闘している人たちがいること!



個人的にはケンがすごくよかった。
宇宙へ行けなかったことで、くさってたけど、彼にしかできない仕事をした。

宇宙へは宇宙飛行士だけが行くんじゃなくて、もっともっと大勢の人が行くんだね。




で、やっぱり過去の事故とかもあったり、逆に過去に成功したからと飽きられたりあるけど、
「宇宙へ行って帰ってくる」それがくれるものの大きさといったらはかりしれないものがあるなと。



宇宙博やらいろいろ見て、一番の感想は
「宇宙もすごいけど、よくわかってもいない宇宙に行こうとする人間がすごい」だった。

やっぱり、宇宙はよくわからないけど、
それを相手に奮闘している人間がすごいわ。

そんなに人間を本気にさせる宇宙はやっぱりどうしてもすごいんだ。




なんだか、暑苦しくも宇宙への思いを語ってしまったけど、
そういう今まで言葉にできなかった「すごい」部分を、しっくりとさせてくれたのが、
この『アポロ13』だったな。


あと、あの危機的状況でみんながそれぞれのポジションで機転を利かせて乗越える物語好きなんだよね。





2014年8月18日月曜日

思い出のマーニー(2014年)


思い出のマーニー
米林宏昌監督、声・高月彩良、有村架純。

イギリスの作家ジョーン・G・ロビンソンの児童文学「思い出のマーニー」(岩波少年文庫刊)を、スタジオジブリがアニメーション映画化。物語の舞台を北海道の美しい湿地帯に置き換え、心を閉ざした少女・杏奈が、金髪の少女マーニーと出会って秘密の友だちになり、体験するひと夏の不思議な出来事を描く。札幌に暮らす12歳の内気な少女・杏奈は、悪化するぜん息の療養のため、夏の間、田舎の海辺の村に暮らす親戚の家で生活することになる。しかし、過去のある出来事から心を閉ざしている杏奈は、村の同世代の子どもたちともうまくなじむことができない。そんなある日、村の人々が「湿っ地屋敷」と呼び、長らく誰も住んでいないという湿原の古い洋風のお屋敷で、杏奈は金髪の不思議な少女マーニーと出会い、秘密の友だちになるが……。(以上、映画.com



まず、あの予告映像はなんなんだろうね。
百合にしか見えないでしょ。

百合なら勘弁と、観るか観ないか悩んでいたところ、
友達に進められ、鑑賞。

同じく観るか悩んでいる人がいるならば、観ることをおすすめします!
できるなら、映画館で(なぜかは追々わかるかと…)



百合なの?問題については、百合かどうかって言ったら、
やっぱ百合っぽさは全然あると思う。
ネット上だと、百合じゃない!って声も多いけど。
ベタベタした女同士の友情が百合かどうかってのは、それぞれの友情観にもよるしね。

個人的には「百合ではなくはない」って感じ。



っていうか、大事なのは、百合かどうかではないんだよね。
そこじゃないの。



前半9割、退屈でした。
なんなの?だから、なんなの?とヤキモキするし、
登場人物だれにも共感できないし、
百合の先入観からか、そこはかとない気持ち悪さつきまとうし。


それでも、観ることを全力ですすめます!

残り1割で得ることのできる、カタルシスがとにかく素晴らしい!
残り1割で、退屈な9割がすべてスーッと消化される、あの気持ち良さといったら。

これが映画体験なんだなと、また新たな経験をした。


そう、9割退屈なので、DVDで観てしまえば、寝るか、やめるかしてしまう。(自分なら)
だから、映画館で観るべきで、最後まで観ないとわからないこの映画のよさを体験することができる。


共感できる、泣ける、笑える、人に言いたくなる…
どれも映画体験の醍醐味だけど、
「観ないとわからない」っていうのは、最大級の醍醐味なんじゃないかと。


映画についての論評とかレビューを読んでいて頻出す「カタルシス」という言葉。
はじめてその言葉の意味が分かったし、それでなければ言い表せられない感覚だった。


観るか迷ってるのであれば、間違いなく観るべき。(←ひつこいw)




観るか迷う原因はたぶん予告のせいなんだろな…。




2014年7月9日水曜日

渇き。(2014年)



渇き。

「告白」の中島哲也監督が同作以来4年ぶりに手がけた長編作品で、第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した深町秋生の「果てしなき渇き」を映画化。妻の不倫相手に暴行を加えて仕事も家庭も失った元刑事の藤島昭和は、別れた元妻の桐子から娘の加奈子が失踪したと知らされ、その行方を追う。容姿端麗な優等生で、学校ではマドンナ的存在のはずの加奈子だったが、その交友関係をたどるうちに、これまで知らなかった人物像が次々と浮かび上がってくる。娘の本当の姿を知れば知るほどに、昭和は激情に駆られ、次第に暴走。その行く先々は血で彩られていく。ろくでなしの元刑事・昭和役で役所広司を主演に迎え、娘・加奈子役には新人・小松菜奈を抜擢。妻夫木聡、二階堂ふみ、橋本愛、オダギリジョー、中谷美紀ら実力派が共演する。(以上、映画.com


出てくる人、まじ全員狂ってる!
血ドロドロの暴力の応酬。

それはわかっていたし、それ期待していた。
狂ったものが見たかったから、それは達成。


あいかわらず、映像はなんかポップでテンポよくて、ぐいぐい行く感じ。
置いていかれないように、しがみついていなきゃっていう、ジェットコースターな感じ。

告白』は淡々としたストーリーと、ポップな展開があっていたけど…
これは置いていかれました。
なぜなら、登場人物が多い!しかも、全員豪華で焦点を合わせられないまま、展開するもんだから…と、完全に置いていかれました。


正直、最後までゲスで最低で、狂気で突っ走って欲しかった。
なのになぜか最後、「え?家族愛?」みたいな…
そんな救いいらなかった。
ゾンビ映画ばりにバッタバタ人が死んで、それで終わりでよかったような気がしたんだけど。

もちろん原作があるので、その辺は原作通りなのかもしれないけどね。
そのラストと登場人物の多さが、中島監督とはそんなに相性がよくなかったんじゃないかな。

「狂気」を扱う監督みたいになってるのも気になる。



ジェットコースターな感じはよかったんだけど(だから、登場人物多くて置いていかれたことはまあいい)、最後のとってつけた救いが『告白』とは違う気持ち悪さだった。

救いなんていらないんじゃないか。理由なんていらないんじゃないか。
なんとなく突き動かされて、それっぽい理由むりやりつけて。そんなもんでしょう。


でも、小松菜奈はかわいいし、役所広司はすごいし、他の役者も全員すごかった。
チョイ役も含め。鬼気迫る感じと、根深さみたいな。

ま、全員すごすぎたからこそ散漫になったのは否めないが。

2014年6月30日月曜日

her 世界でひとつの彼女(2013年)




her 世界でひとつの彼女

「マルコヴィッチの穴」「アダプテーション」の奇才スパイク・ジョーンズ監督が、「かいじゅうたちのいるところ」以来4年ぶりに手がけた長編作品。近未来のロサンゼルスを舞台に、携帯電話の音声アシスタントに恋心を抱いた男を描いたラブストーリー。他人の代わりに思いを伝える手紙を書く代筆ライターのセオドアは、長年連れ添った妻と別れ、傷心の日々を送っていた。そんな時、コンピューターや携帯電話から発せられる人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声にひかれ、次第に“彼女”と過ごす時間に幸せを感じるようになる。主人公セオドア役は「ザ・マスター」のホアキン・フェニックス。サマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが担当した。ジョーンズ監督が長編では初めて単独で脚本も手がけ、第86回アカデミー賞で脚本賞を受賞。(以上、映画.com


すごい好きです。
OSとの恋愛ってどんなSFかと思いきや、そんなことなくてむしろものすごく純粋に共感できるストーリーだった。


長年一緒にいた妻と別れ、孤独の中で恋愛やよろこびといった感情が凍ってしまったようなセオドア。毎日、仕事もするし、それなりに楽しく元気にすごしているし、デートだってする。
だけど、失ってしまった感情はそんなに簡単に戻せない。

セオドアが女の子とデートして(失敗するんだけど)、
「セックスしたいし、したいって思われたかった。そうしたら、自分は変じゃないって、大丈夫なんだって思える気がした。」って言うセリフがあるんだけど、すごいわかる!
何かを失えば、最終的には自分のせいだって、思考に達する。誰かにそんなことないといくら言われようと、それは抜け出すことのない思考で、自分ですら感じないくらい奥深くに根付いてしまうような思考。

そんなセルドアの心を開いていったのが、人工知能OSのサマンサ。
イヤホンを通しての会話で、どんどん距離(気持ちの距離)が近づいていくふたり。いろんなところ行ったり、いろんな話をしているうちに、OSはさまざまな感情が成長していき「恋愛感情」や「嫉妬」など人間の感情を覚えていく。セルドアの言葉では「彼女は人生にときめいている」と表現。

でも、そこのOSの感情が成長していくところがフィーチャーされてるんじゃなくて、そのOSの成長を通してセルドアの感情がゆるやかに変化していくっていうところを大事に描いているところがおもしろい!

セルドアと一緒になって、「あぁ、いろんなもの一緒に見て、いろんな話をして、いろんな疑問を語り合って、いろんなしょーもない話して、一緒にいろんな経験して、たくさんのなんてことのない時間を過ごして、恋ってはじまるんだな。」って、思った。

それを感情の持たないはずの人口知能が教えてくれるんだよ!
なに、この設定。

でも、人工知能だからこそ、人生にときめいているからこそ、ずっとそばにいれるからこそ教えてくれたんだと。

人工の感情だから、もちろんこれはリアルか?っていう不安も、自分はおかしいのか?っていう疑念も、湧いてくる。
でも、それって対人間でも同じことでどこまでリアルな感情で、自分の感情のリアリティさえなくなるのが恋愛ってやつだったじゃないか。


ラストもすごくいい。
OSだからこそのラスト。サマンサと出会えたから、元妻とのことも、自分のことも肯定できた。
決してハッピーエンドではないけれど、そうやっていろんなことを肯定できる出会いって本物だよね。それって、リアルでしょう。


人工知能だからこその部分と、人工知能だからって関係ないっていう部分が共存していて、ものすごく秀逸!
DVDが出たらもう一度観ようと思う。


ってか、2か月ぶり…。
観てマス、観てマス。書いてないだけ。
書きマス、書きマス。

2014年4月23日水曜日

そこのみにて光輝く(2014年)



そこのみにて光輝く

芥川賞候補に幾度も名を連ねながら受賞がかなわず、41歳で自ら命を絶った不遇の作家・佐藤泰志の唯一の長編小説を、綾野剛の主演で映画化。「オカンの嫁入り」の呉美保監督がメガホンをとり、愛を捨てた男と愛を諦めた女の出会いを描く。仕事を辞めブラブラと過ごしていた佐藤達夫は、粗暴だが人懐こい青年・大城拓児とパチンコ屋で知り合う。ついて来るよう案内された先には、取り残されたように存在する一軒のバラックで、寝たきりの父、その世話に追われる母、水商売で一家を支える千夏がいた。世間からさげすまれたその場所で、ひとり光輝く千夏に達夫はひかれていく。しかしそんな時、事件が起こり……。(以上、映画.com

貧困や介護問題、トラウマなどを扱っていて、決して「おもしろい!」と大声でわいわい騒ぐような映画ではないし、観ている最中はずっしりと胃のあたりにくるような重い映画だった。

ここで描かれる現実には、救いはないし、結末だって現実は何も変わってないし、誰も幸せではないけれど、辰夫と千夏の気持ちの変化だけがとにかく救いだった。
そして、その救いは、現実を何か変えていくだろうというような希望を含んだ描き方で描かれていて、すごくいいラストだと思った。
ポスターにもなってるけど、すごくきれいだしね。


役者がみんなよかったのも大きい。
池脇千鶴ってすごいわ。(最初、大島優子にやっぱ顔似てるな~って思ってみてたけど…)
全然違う!なんてゆーか、顔の表情もすごいし、セリフも、二の腕のぷにぷに感とか、全部含めて女優!という感じがした。
この人に場末の女やらせたら勝てる人いないよね。軽薄っぽくもできるし、奥深い影の部分もできるんだろうな。すごいわ。

綾野剛もよかった。いつもどこか綾野剛っぽさが気になって、“綾野剛”として観てしまうけど、達夫は達夫だった。
いい意味で綾野剛のだめっぽさとか、けだるい感じも生きてて。


重いし観ててつらいけど、観てよかった!と、思える映画でした。

本筋とは関係ないけど、北海道って方言ないと思ってたわ。

2014年4月21日月曜日

大人ドロップ(2014年)



大人ドロップ


高校3年生の4人の若者が、焦りや不安を抱きながらも子どもから大人へと変わろうとするひと夏を描いた青春映画。原作は樋口直哉の同名小説。若手実力派・池松壮亮が主演、ヒロイン役に「桐島、部活やめるってよ」「あまちゃん」の橋本愛。監督・脚本は「荒川アンダー ザ ブリッジ」の飯塚健。
高校3年生の浅井由は、夏休み直前、親友のハジメに頼まれ、彼が思いを寄せているクラスメイトの入江杏とのデートをセッティングしようとするが、そのことが原因で杏を怒らせてしまう。そのまま夏休みに入ってしまった上に、杏が学校をやめて引越してしまうと聞き、由は心にモヤモヤとしたものを抱えた日々を過ごす。一方、大人になるために何かと経験を急ぐ女友だちのハルからは、年上の彼氏との恋愛相談をもちかけられ、周囲が大人になろうとしていることに由は焦りを感じ始めるが……。(以上、映画.com


高3ならではの時間が、まさに描かれているという感じ。
要するにその当時ならではの“焦り”のようなものなんだけど。

仲良くっても、一緒にいても、気持ちはそれぞれの方向を向いていて、その方向も定まっていない時。
俯瞰した態度でひょうひょうといる由が、実は誰よりも現実を客観的に見れていなくて、周りのみんなが大人になっていくのを知って、密かに焦っているところ、それを表に出さないところがリアル。

由からすれば、大人に見える杏も「大人になりたい」と思っていて、
いつまでも子供だと、ちょっと上から見ていたハジメが実は現実を受け入れられている大人な面もあったり、
背伸びして大人ぶっているハルも、まだまだ子供だったり。


「大人ってなに?」っていう感じなんだけど、ただただ漠然と“大人”になりたかった頃。

今から見れば、「大人になりたい」って発想がそもそも“子供”なんだけど、
なりたかったはずの“大人”になんて、今もなれてないし、今でもまだ「大人ってなに?」という感じなんだけど。
(むしろ、今の方が「大人ってなに?」って感じかも。)



「大人になりたい」と焦っている高校生の中で、香椎由宇の役どころがすごくいい!

大人になればモヤモヤした気持ちも、悩みも、説明できない感情も、不器用な振る舞いもなくなると思ってるんだけど、
年齢的には大人なはずの香椎由宇が、悩んだり、泣いたりしているわけで。
香椎由宇もちょっと無邪気さのある大人という役どころで、君たちの言ってる「大人ってなに?」と言っているようで。
その辺りのさじ加減がすごくいいなと思った。

あと、“正義”や“正しさ”についての考え方も。

高校生の子たちがやたらと「それは正しいこと?」という言葉を発し、正しい、正しくないで物事を判断していく。
そして、いつも「なんで?」「どうして?」「よくわからない」と答えを求める。
そこがまあ、子供なんだよね。

正しい、正しくないで判断できることなんて、現実にはほとんどなくて、
答えなんてどこにもなくて、よくわからないことだらけだし、そこに折り合いをつけて、わからないものをわからないままにできることが大人なのかもしれないなと思った。

正しさや答えのない現実に対しての香椎由宇は、やっぱり大人なのかもしれない。



そういう立場の役どころとして、美波が演じる農家の嫁リリーさんも一応いたんだけど…
個人的には香椎由宇が素晴らしすぎて、あまりひっかからなかった。


全体的に若干説明しすぎな感じが気になったのと、ハルの演技が妙にうさんくさくてイラっとしてしまったのは否めないかな。
最後の一言がない方がよかったんじゃないかと…。みんな思うことだから、言わなくても大丈夫だよーって…。

でも、香椎由宇だけじゃなくて、池松君と橋本愛の演技はすごくよかった。
橋本愛の美少女感がまた復活してた!



ちょうど、最近高校時代のこと思い出したりしてたから、自分も今思えば、あの頃早く大人になりたいと思ってたわ。
ここから抜け出せば、この先の未来は何があるんだろうって、ちょっと先ばかりを見ていた。

俯瞰して、ふわふわとそこにいない感じでいたし、何も考えてなさそうな人に対して、上から見てたし。
まさに由だったなと。

でも、やっぱり今思い出すと…痛いよねw

2014年4月15日火曜日

グッバイ、レーニン!(2003年)


『グッバイ、レーニン!』

自国ドイツのアカデミー賞では9部門受賞、昨年の世界各地の映画祭でも話題を独占した感動コメディ。舞台は東ベルリン。アレックスの母親が心臓発作で昏睡状態に陥っている間にベルリンの壁が崩壊して社会が激変。母親は8カ月後に意識を取り戻すが、今度ショックを受けたら命が危ない。そこでアレックスは、母親になんとかベルリンの壁崩壊や社会の変化を隠そうと奮闘していく。音楽は「アメリ」のヤン・ティルセン。(以上、映画.com)


すっかり書くのを怠ってしまった…。書いてないだけで、相変わらず観てはいます。

さて、これはすごく好きな映画のひとつ。

その心臓発作の原因が自分ではないかという罪悪感もあって、ドイツの東西統一を隠す嘘をつき始めたアレックス。
周りの人を巻き込み、ただただお母さんにこれ以上ショックを与えたくないと、突き進む姿は少し滑稽だけど、めちゃめちゃ愛おしい。

誰かのための嘘、愛のある嘘とはこういうことを言うんだと思う。
アレックスの嘘は、お母さんのための嘘であり、それはやはりどこかで自分のためでもあったはず。だけど、それでもお母さんにとって東ドイツは存在し続けたし、嘘かもしれないけど、それは確かにあったと思わせる説得力がある。

お母さんは嘘だと分かっていたのかもしれない。それでも、よくてダメ息子のアレックスが自分のために行動をしたという事実が愛なんだと。
それが、お母さんのための東ドイツを作っていったんだと。

真実なんてどうでもいいような、それ以上のもっと大事なものを教えてくれる映画。


のらりくらりと反体制運動に参加していたアレックスが、お母さんのために動くことで彼自身がどんどん変わっていくのがいい。
時代が変わっていったとしても、人の生活は続いていくんだもんね。


すごくテンポがいいから、どんどん引き込まれていく!
コメディなんだね。最後は泣けます。

2014年3月25日火曜日

アナと雪の女王(2013年)


アナと雪の女王

アンデルセンの「雪の女王」にインスピレーションを得て、運命に引き裂かれた王家の姉妹が、凍てついた世界を救うため冒険を繰り広げる姿を描いたディズニーの長編アニメーション。触れたものを凍らせる秘密の力を持ったエルサは、その力を制御しきれず、真夏の王国を冬の世界に変えてしまう。エルサの妹アナは、逃亡した姉と王国を救うため、山男のクリストフとその相棒のトナカイのスヴェン、夏にあこがれる雪だるまのオラフとともに、雪山の奥へと旅に出る。監督は「ターザン」「サーフズ・アップ」のクリス・バックと、「シュガー・ラッシュ」の脚本を手がけたジェニファー・リー。ピクサー作品を除いたディズニーアニメとしては初めて、アカデミー長編アニメーション賞を受賞。主題歌賞も受賞した。短編「ミッキーのミニー救出大作戦」が同時上映。(以上、映画.com

Let it go~♪Let it go~♪という曲がラジオでよく流れていて、耳に残るから気になって観に行ってきた。
ディズニー映画を劇場で観るのっていつぶりだろう?ピクサーは観た記憶あるけど、ライオンキングくらいから記憶ない…。


そんな感じで観たけど、すごいよかった。ミュージカル映画で、聞き覚えがある曲があるとそっちに引っ張られて、話に入り込めないこともあるんだけど、Let it go~♪Let it go~♪も、物語の中で、いい感じに流れてたし。この歌いいわ~!

こういう対極の二人が出る映画は、どっちかに感情移入しそうだけど、アナもエルサもどっちも共感できた。
エルサの自分が自分いることで、誰かを傷つけてしまったこと、それを隠そうと自分自身を閉じ込めていたことが、また大切な人を苦しめていたこと……八方塞がりのこの状況は、観ていて本当に苦しかった。
誰かのためにって、うん、まあ、自己満足でしかないんだろうね。相手と向き合う方が怖いから、自己完結してしまう。
ああ、何か分かるかも……と、かなり共感して苦しくなっていたという。

でも、もちろんディズニー映画!
楽しく陽気なシーンもあるし、最後はものすごく救いのある終わり方。
一瞬まじかよ…って、ハラハラ不安になるんだけど、それすら回収して、ラストはすっきり泣き笑いな感じになっていた。


誰かのためより、自分らしくいることの方が大事なのかも。
誰かのためって、大義名分掲げても、それって要は自分のためだから、目的と手段がこんがらがって誰にもよくないパターンになってしまうんだろうな。

と、想像以上に考えさせられ、感動しました。

そしてやっぱり、映像がきれいだね。
Let it go~♪Let it go~♪しばらく口ずさんでしまう映画でした。

あ、アナの素直なバカさ、好きです。かわいい!

ダラス・バイヤーズクラブ(2013年)



ダラス・バイヤーズクラブ

マシュー・マコノヒーが、エイズ患者を演じるため21キロにおよぶ減量を達成して役作りに挑み、第86回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した実録ドラマ。1985年、テキサス生まれの電気技師ロン・ウッドルーフはHIV陽性と診断され、余命30日と宣告される。米国には認可された治療薬が少ないことを知り、納得のできないロンは代替薬を求めてメキシコへ渡る。そこで米国への薬の密輸を思いついたロンは、無認可の薬やサプリメントを売る「ダラス・バイヤーズクラブ」を設立。会員たちは安い月額料金で新しい薬を手にすることができ、クラブはアングラ組織として勢いづく。しかし、そんなロンに司法の手が迫り……。ロンの相棒となるエイズ患者でトランスセクシャルのレイヨンを演じたジャレッド・レトも、アカデミー助演男優賞を受賞した。(以上、映画.com)


『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のギラギラした役から一転、マシュー・マコノヒーの病人の演技がハンパない。
ひとつの映画の中でも、こんなに体の変化って作れるんだ…。すごい…。

話は、どうしようもない男がエイズになって、自ら「生きる」ためにどうしたらいいか奮闘し、それが多くのエイズ患者を救う活動につながっていくというもの。
もともとがどうしようもない男だから、きれいごとだけじゃないし、「生きたい」というシンプルな思考だけで突き動かされている感じがすごくよかった。金もドラッグも酒もやるけど、「生きたい」って逆行してるけど、「生きる」っていうことは、怖いししんどい。特にリアルに近づいてる死の恐怖を、彼は抱えたまま生きてるわけだし。

最初の「まだ死にたくない」という感情から、薬の密輸入をして、「生きる」という感覚が蘇ってくる。そして、誰かの役にもたち、「生きている」実感が伴ってくる。その気持ちの変化がすごくリアルでシンプルで、かっこいいと思った。

○○のために、生きたい。
そんな、明確な目的なんて、果たして死に直面したとき思うのだろうか。それよりも、「死にたくない→生きている」という感覚の方がよっぽどリアルじゃないか。

生きているという感覚がなきゃ「生きたい」なんて思えないはずでしょ。


「死なない為に生き続けるのは嫌だ」というロンの言葉がある。
生き続けようと戦うロンの姿がとにかくかっこいい。

それが、マシュー・マコノヒーの肉体でもって演じられていることで、より「生」をビシビシと伝わってくるものになっていた。

余命ものだけど、これは死ぬ前の闘病記なんかじゃなくて、「生きる」ということを描いた映画ですね。
「生きる」ってかっこいい!

2014年3月18日火曜日

ブエノスアイレス恋愛事情(2011年)



『ブエノスアイレス恋愛事情

2011年のアルゼンチン・スペイン・ドイツ合作の映画。2011年2月に第61回ベルリン国際映画祭で初上映。同年8月の第39回グラマード映画祭でラテン映画部門の作品賞、監督賞、観客賞を受賞。日本での上映は2013年~。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台に、それぞれ恐怖症を抱えた孤独な30代男女の恋を描いたロマンティックコメディ。閉所恐怖症の建築家マリアナは、本業ではうまくいかず、ショーウィンドウを装飾する仕事に就いてマネキンばかりを相手にする日々。一方、広場恐怖症のウェブデザイナーのマルティンは、7年前に恋人に捨てられてから、飼い犬だけを相手に引きこもり生活を続けていた。そんなある日、2人は偶然チャットで知り合い、会話も盛り上がるが、突然停電が起こってしまい……。マリアナ役は「女王フアナ」「シルビアのいる街で」などで知られるスペインの実力派ピラール・ロペス・デ・アジャラ。(以上、映画.com


はい。めっちゃ好きです。この映画。オール・タイム・ベストに入るんじゃないかっていうくらい、すごいツボ。

まず設定が好き。
建築家(実際の建物は作ったことない)とウェブデザイナーっていう、職業がまさに自分に通じるものがあるし、そんな彼らの些細な動きや、日常にものすごく親近感を抱いた。なんとなくちょっと人付き合いが苦手で、でもなんとかそこから脱しようと、いろいろと試みているところとかすごく分かる。

そして、そんな二人がブエノスアイレスの都市の中で、すれ違いすれ違いすれ違う!
ニアミスで終わり、決して交わることのないそれぞれの生活。すぐ隣にある誰かの生活。この都市の中にいる、自分と分かり合える人。
はい、すごい好きです。


そして、この映画でそのニアミス演出がやられた!と、いうのが、ネットの使い方。
ネットやSNSで出会うんだけど、そこではつながらなかったり、ネットっていう見えない接点や関係性と、実際のリアルなニアミスとの出し分けが秀逸だと思った。ネットで出会って発展することもあれば、ないこともあるし、実際に会っても気づかなかったり、でも全然違うきっかけで二人が出会う。この出会いが、もう本当に大好きなのです。


原題は「Medianeras」(共有壁、境界壁)。「人をつなぐと同時に隔てるもの」。
映画が好きで調べてたら、まさか原題もまさに!ドンピシャのツボをつついてきましたわ。
日本のポスター(上に掲載)よりも、個人的にはもともとのポスターのが好きかな(これ↓)



個人的に、マリアナのこじらせてる部分とぐるぐる行き詰っているところに、共感してしまったのもあるし、マルティンみたいなタイプが結構好きというのもあるんだけど、こんなに「わあ!好きだ!」ってなる映画はなかなかないので、この出会いに感動してる。観ていて途中から「待って、待って、この感じすごい好きだから、結末観るのこわい!(ダメダメな結末だったらへこむから)」って、焦る映画はなかなかないですからね。

映像もすごくおしゃれだし、出てくるアイテム(特にウォーリーを探せ!)も、いい感じだしオススメです。

そして!エンディングが最高すぎるのです。



2014年3月14日金曜日

愛の渦(2014年)



愛の渦

劇団「ポツドール」を主宰する劇作家・演出家の三浦大輔による戯曲をもとに、三浦大輔自身が監督を務め、映画化。
主演は池松壮亮、ヒロインは門脇麦。R18+指定。

フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。主人公のニートの青年を「半分の月がのぼる空」「砂時計」の池松壮亮が演じ、ヒロインとなる女子大生を東京ガスやチョコラBBのCMで注目を集める新進女優の門脇麦が演じる。そのほかの共演に新井浩文、滝藤賢一、田中哲司、窪塚洋介ら。(以上、映画.com

『恋の渦』の部屋コンから、『愛の渦』は乱交パーティーでの物語へ。
結論で言ってしまえば、『恋の渦』の方が、人対人のやりとりがエグイです。『愛の渦』はもっと純粋に「ただヤリたいだけ。」。

でも『恋の渦』同様、些細な心の動きとか、かけひき、言葉として口に出すことと、その裏の真意などは、ありそう!と言うようなリアリティがあった(あくまでも、ありそう!なのは、乱交パーティに行ったことないから)。
『恋の渦』も結果的には、「ヤりたい」っていうところに行きつくんだろうけど、あくまでも表面上は恋愛→セックスっていう流れをたどろうとするから、登場人物同士が感情のやりとりを重視するところがある。それに対して、『愛の渦』は別に感情のやりとりなんて必要なくて、その一晩セックスをやるだけの相手。なのに!一応、人並みの感情のやりとりを経ようとするところが、一瞬ある。最初はきれいごとなところが、妙にリアルでおもしろいなあと。
ま、結果的にそんな世間話より、スケベトークでしょ!と、なるんだけどね。

ただヤリまくりたい保母さん、OL、フリーター、サラリーマンと、二人で何だかんだがんばってる童貞と常連も置いといて。
池松くんと門脇麦の演技が、素晴らしかった。なんというか、すごい…。二人とも、前半は感情を抑えたキャラで、何で来たの?!っていうくらい無口なんだけど、二人でセックスシーンから表情変わる。その変化もものすごく小さな変化。
池松君は特に、目の輝きの違いがすごいなと。興奮とか、嫉妬とか、うれしさとか、焦りとか、そういうのを目の輝きで演じてて、今まで童顔のかわいらしい役者くらいにしか思ってなかったんだけど、ゾクっとする感じがあった。
門脇麦も、地味~な役で、顔も他の女性人より、まあ地味。なんだけど、一番エロい!色気がハンパなかった。メガネを取ったら美女っていう、まさに王道パターンのシーンで、まんまとやられました。

濡れ場の演技は…どうなんだろ。門脇麦のあえぎ声が、最初やりすぎで笑っちゃたんだけど、なんか話が進んでいくうちに、彼女にとって、セックスしてるときが、生きているときなのかなと思ってきたりもした。(「生きている」という感想は、終盤で否定されるから、なんとも言えないんだけど…。)
でも、とにかく、最後の方ではその野生っぽいあえぎ声すら、受け入れられるようになっていったから不思議。



池松くんと門脇麦を通して、男女の違いも描かれていたところも、気になったポイント。
「あの部屋にいたのは私じゃない」と、否定する女と。
「あの部屋にいたのが本当の自分」という男。
その意見の違いが、なんか男と女の性に対するとらえ方の違いなのかな~と。

あと、池松くんの勘違いに対して、ピシャリと拒否するところがすごくいい。池松くんは、地味な女の子の性の部分を引き出したって思ってたり、女は一度ヤレば気持ちも動くみたいな神話を信じていたんだろうな。なめんなよ。という、スタンスがすごくいい。たとえどんなに、現実が退屈でも、最後には現実に帰っていく門脇麦と、結局また無職のままであろう池松くんの対比が何とも言えないものがあった。
あのまま、電話番号交換して~とか、なってたら確実に萎えてたわ。


そして、朝5時の強烈な朝日と平和なテレビのニュースで現実に戻るところ。あるよね。
朝日って照れくさいよね。

2014年3月10日月曜日

大統領の執事の涙(2014年)



大統領の執事の涙

綿花畑の奴隷として生まれたセシル・ゲインズは、1人で生きていくため見習いからホテルのボーイとなり、やがて大統領の執事にスカウトされる。キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争など歴史が大きく揺れ動く中、セシルは黒人として、執事としての誇りを胸に、ホワイトハウスで30年にわたり7人の大統領の下で働き続ける。白人に仕えることに反発し、反政府活動に身を投じる長男や、反対にベトナム戦争へ志願兵として赴く次男など、セシルの家族もまた、激動の時代に翻弄されていく。(以上、映画.com

リー・ダニエルズ監督、フォレスト・ウィテカー主演。

まず、思ったのが、アメリカにとって黒人差別という問題がいかに、永きに渡ってまとわりついてきた問題だったのかがすごくよくわかった。
アメリカの中心(=世界の中心)でさえ、黒人差別はなくなることはなかったし、どの大統領も頭を悩ませていた。教科書で知った以上に、アメリカの歴史は黒人差別との闘いの歴史だったのだと。


ただ物語の根底に差別の問題が潜んではいるが、常にその問題と直接対決をしているようには描かれてはいない。
黒人執事のセシルは、献身的に執事としてホワイトハウスに仕え、時に大統領から相談されたり問われるが決して意見を発することはない。あくまでも執事として、空気を消し、業務を行うのだ。
セシルが見てきたものは、いつまでも解決しない黒人差別の問題や、アメリカの歴史が動く事件の裏で苦悩する一人としての大統領の姿だったところが印象的だった。

父セシルが、そんな政治の中枢にいながらも、いつまでも解決されない黒人問題に怒りを覚え、その怒りが父への怒りと変わっていく長男や、仕事とはいえ家を留守にしがちで崩壊する家族になにもできないセシルに苛立ちを覚える妻、兄と反対に国のために戦場へ行く次男。

どんなに政治が混乱しようと、歴史が動こうと家族は家族で問題が尽きない。そんな歴史的転換に家族も巻き込まれていくことで、黒人問題や事件などを浮き彫りにしていく。
歴史がこのときのこの事件で、こう変わった。と、いうことが重要ではなく、その変化の中で人々は何を思い、どう動いたのかを、それぞれ別の考えを持ったゲインズ家に置き換えている。結果として、黒人問題や事件が人々にもたらしたものがじんわり胸に響いていく感じ。


そして、その踏まえた上で、オバマ政権の誕生の歴史的な位置づけを改めて思い知らされた。
私は黒人ではないし、差別も受けたことはないが、彼らにとって黒人大統領誕生という事実が、長年の夢であり、黒人差別の歴史からの脱却の重要な一歩だったのだと知り、涙があふれてきた。


フォレスト・ウィテカーの本当に空気を消した感じの表情のない(けれど、どこか悲しそうな)演技がすごくよかった。あの表情忘れられなくなる…。
あと妻役のオプラ・ウィンフリーもすごくいいキャラ!酒におぼれるわ、変な服で踊るわするけど、いい女! 長男との喧嘩のとき、普段はセシルの仕事に不満を持っていたのに、誇りを持っていたんだと分かるシーンがあるんだけど、しびれましたわ。化粧濃いけど、かわいいし。

だからこそ、最後あそこまでやってしまうのか…っていうのは、若干不満。あれ必要だったのかなあ。


あと、もっともっと歴史について詳しかったら楽しめるんだろうなと思った。ひとつひとつの事件をざっくりしか知らないから…もっと楽しめたんだろうなと思うと悔しいな。

2014年3月3日月曜日

建築学概論(2013年)



建築学概論

2012年の韓国映画。日本での上映は2013年。実際に建築士でもあったイ・ヨンジュが監督。オム・テウンとハン・ガインが現在のパートで、イ・ジェフンとスジ(MissA)が過去のパートで出演。

―あらすじ―
建築家のスンミン(オム・テウン)のもとに、仕事を依頼しにやって来たソヨン(ハン・ガイン)。ソヨンは、15年前にまだ大学生だったスンミンの初恋の相手だった。ソヨンの実家のあるチェジュ島に新しい家を造りながら、スンミンの脳裏には初恋の記憶がよみがえり、また新たな感情が芽生えていく。しかし、スンミンには婚約をしている女性がいて……。(以上、Yahoo!映画

なんか独自の視点で映画を観たいなと思うようになったので、今回はちょうど“建築”がキーワードになってることもあり、“建築”的な視点で読み取ってみます。(一応、建築学科卒業なので)

※ネタバレ注意(観る前の人は、最下部に)


●構造


まず、この物語は大学生時代の初恋のパートと、大人になって再会した現在のパートが交互に展開されていく構造となっている。
その2つがそれぞれ展開していく中で重要な要素となるのが“建築学概論”という授業(これは建築学だが音楽学科のソヨンも受けられる、一般教養のような位置づけみたい)。

その“建築学概論”では、授業のたびに、レポート課題が出され、ソヨンの提案で二人は一緒にそのレポートに取り組むことにする。そこで、その課題がこの物語の進行に大きく関わってくる。

【建築学概論】

A:今住んでいる街をじっくり観察し、記録する。その町に愛着を持ち、理解することが建築学概論の始まり。
B:遠いところに行く。遠いとはどういうことか考える。
C:そこに住みたいと思えるか?
D:少しは建築と親しくなれた?

“建築”との距離を縮める過程としては何の疑問もないプロセスだが、これは要するに男の子と女の子、スミンとソヨンの距離を縮める過程にシンクロしている。

【学生時代のスンミンとソヨンの距離】

A:スンミンの初恋から、ソヨンと親しくなる
B.C:二人で出かけ距離を縮めていく
D:大学生時代以降、15年も会わなかったことで冒頭から予想はつくが、「親しくなれなかった」

で、この映画のおもしろいところは、同時進行する現在の大人になってからのパートでも、同じプロセスを二人が歩むところである。

【現在のスンミンとソヨンの距離】

A:ソヨンからスンミンへ家の設計を依頼。
 ―スンミン「君を知ることができれば、君に合う家を作ることができる。」
B.C:お互いのことを話し、15年間にあったことなどを知っていく。
D:家を建ててよかった。15年前のすれ違ったままだった思いを告白。

と、同じプロセスを2回通っている。2回目にして、15年間の思いを昇華させることができるのだが、この構造が建築的なのではないかと感じた。実際の建築であるわけではないが、思考の中では作りたい建築像としてあってもいいような構造。同じ空間を2回通り抜け、1回目ではたどり着けなかった到達地点へ2回目だからたどり着ける、そんな錯覚に陥る建築。

●シークエンス

学生時代のパート、現在のパート共にそのパート内では過去にさかのぼることなく、一方通行に物語は進行していく。ただ、そのパートとパートも隣り合うエピソードの並び方が秀逸だと感じた。
例えば、
ア)現在のソヨン:夫と離婚。人生に行き詰っている。私の人生こんなはずじゃなかった。
イ)学生のソヨン:10年後に何をしているんだろう。ピアノはやめる。やりたいことはたくさんある。お金持ちと結婚するから家を作ってね。
ウ)現在のソヨン:ピアノの部屋を作って。

この3つのエピソードがこの順番で、並ぶことによって、何者かになれる気がした頃(イ)と何者にもなれなかった現実(ア)の落差が際立つ。そのあとに、(ウ)が来ることで、モラトリアムの中で捨てたいくつかの物事も、何年後かにすべてをなくしたとき残されていた唯一の希望のように見えてくる。

こういう順番(=シークエンス)のうまさが随所に見られ、そのひとつひとつのエピソードを補完し合っている。

特にラストの方(<構造>で言った4の過程)では、そのシークエンスの展開にも緩急をつけており、すれ違っていく過去と、距離が近づいていく現在がたくみにつなげられていことで、物語全体のカタルシスへ誘っていく。


●ディテール

シークエンスの次にうまいなと思ったのがディテール。二つのパートにいくつかのキーワードやアイテムが共通して出てくる。
学生時代の癖が現在でもあったり、学生時代苦手だったお酒やたばこを普通にたしなんでいたり。学生時代に話した話が、現在でも出てきたり。
もちろん二人としては学生時代→現在と時間が流れているわけだが、映画の時間軸としては、必ずしも学生時代→現在ではないのがおもしろい。
まず、冒頭でスンミンはたばこを吸っている。しかし、中盤の学生時代のパートで、たばこを吸いむせているシーンが出てくる。このように、キーワードの出てくる順番も緻密に計算されていることで、15年の月日が変えたもの、変わらなかったものをうまく演出しているのではないだろうか。


「展覧会」というCDが重要なアイテムとなっているが、そのCDの動きが


となっている。
そして、建築もまた二人の手を行き来する


このように、重要なできごとにCDと建築は常に出てきており、15年前に渡せずにいたと思っていたアイテムをそれぞれが持っていたことが二人の15年間の思いを象徴する。
また、CD=音楽=ソヨン、建築=スンミンと二人の職業を象徴するものになっているのも面白い。


●居場所

そもそも、ソヨンは学生時代の頃から、自分の居場所を探しているような子だった。自分探しという意味ではなくて、本当に自分の家を探し、使われていない家を掃除し、秘密基地のようにしたり、一人暮らしを始めたりしている。
大人になってからも居場所を探し、「人生をリセットしたい」とソンミンに家の設計を依頼する。それも、かつて自分が住んでいた古くなった家をリノベーションするという形に落ち着く。
また、学生の頃は田舎のピアノ教室出であることをコンプレックスに感じ、それを吹っ切りたいという思いもあったので、今も昔もリセットし、やりなおすというときに、自分の居場所を強く求めていたという点で共通している。

“建築”というモチーフを使うに当たり、いくら大人になっても迷い居場所を探しているソヨンはまさにぴったりだと感じた。


●到達地点

単刀直入に言ってしまえば、2つのパートの到達地点は同じところだ。二人は一緒にはならない。では、どちらもバッドエンドか?と言えば、そうではない。<構造>の項目で言ったように、2回目だからたどり着ける到達地点に達することができる。

学生のソヨンの言葉に「小さなときめきをもって春を待つのもいいと思う。」という言葉がある。
学生時代の二人は、「初雪の日に会おう」と約束し、すれ違いから約束は果たされなかった。要は、二人の時間は冬で終わっており、春は来ていない。
だが、現在のパート(ここでも二人は花を植えている)では、春を感じさせるシーンで終わりが来ている。15年前、些細なすれ違いから、心に残っていた思いを告白しあうことで、二人一緒ではない人生だけど、それぞれ春が来たようなエンディングとなっている。

また、ラスト間際で出てくる(現在のパート)それぞれの両親の言葉が、物語のエンディングのその先の未来を想像させるものとなっている。

スンミンの母:(嫌な事ばかりあった家だろう。と、母に引越しを勧めるスンミンに対して)「家は家だ。うんざりしたことなんてない。」
ソヨンの父:(入院先の病院で)「家に帰りたい」

大人になり、それぞれ家や家庭を作り、居場所を築いたソヨンとスンミンだけど、母や父にしてみればまだ子供で、その家や居場所は、ちょっとしたことで揺らぎそうな危うさを持っている。現に、スンミンは婚約者がいながら、ソヨンに揺れたわけで…。だけど、いつかは母や父のようにどっしりとし、安定感のある“自分の居場所としての家”を築くのだろうと、二人のさらに未来の予感を感じさせてくれる。


●まとめ

元建築家ということで、かなり緻密に作られていて、3回鑑賞したが観れば観るほど、「これがここに出てた!」というのが多く、ディテールの細かさにこだわりが見られた。また、その明快な構造の中で、そのディテールを活かしながら、話の展開を操作し、結末につながる感じもすごくよかった。

この映画では、“建築”が“恋”のメタファーで、“建築”を“恋”に置き換えることに気付くと、思わず「おお!」となる。“建築学概論=はじめての建築→はじめての恋”となるし、古い建築のリノベーションは“かつての恋のリノベーション(修復)”と言い換えることができる。
建築ってキーワードが、構造にも物語にもものすごく意味を与えていて、カタルシスまで導いてしまうので、観終わった後に『建築学概論』というタイトルの意味がしっくり来すぎて唸ってしまった。

個人的に面白かったのは、スンミンがコンセプトを説明するときに、横文字を使いまくっていて、ソヨンが「英語の村でも作るの?」っていう突っ込みは、ウケた。使うよね~無駄に横文字(笑)。




もちろん、建築どうこうの見方がなくても全然おもしろいし、むしろ普通に恋愛映画としてすごくいい!
かつて思い描いていた自分と、なれなかった自分や、うまくいかなかった初恋。など、たぶん誰にでもあるような過去と、現在の自分のギャップ。映画のストーリーと自分の日常や思い出が共鳴することで、話に奥行きが生まれるような映画になっていると思う。

<まとめ>でも、書いたけど3回観ても観るたびに発見があるから、観れば観るほどおもしろい!DVD買おうかなと、真剣に悩む。

いろいろ書いてあって、よく分かんないよ!って思ったら、とりあえず観てもらえれば、その面白さは分かるはず。

2014年2月25日火曜日

アニー・ホール(1977年)



アニー・ホール

監督・主演: ウディ・アレン、出演:ダイアン・キートン

―あらすじ―
NYを舞台に、都会に生きる男女の恋と別れをペーソスと笑いで綴ったラブ・ストーリー。うだつの上がらないスタンダップ・コメディアン、アルビーは、知り合った美女アニーと意気投合して同棲生活を始めるが、うまくいくのは最初だけ。次第に相手のイヤなところが気になり出した二人の間には見えない溝ができ上がっていた。そしてアニーの前に現れた人気歌手のカリフォルニアへの誘いが二人の仲にピリオドを打つ決定的なものとなった……。(以上、yahoo!映画

いつの時代も恋愛ってめんどくさいな~w
出会って、運命だと思って恋をする、それでもいつか終わる恋。

それでもどうしてか、人が恋に振り回されている姿は、滑稽で、そして愛おしい。
アルビーのネガティブさは、特に滑稽そのもの!好きだから、やきもちやくのかもしれないけど、だんだん主題が分からなくなってきてしまう感じあるよな。



「関係というのはサメと同じで 常に前進してないと死ぬ」という言葉があるけど、これって、もっとポジティブな意味で使われるのかと思ってた!
“前進あるのみ!”的な。ポジティブすぎかw
なんとなく惰性で付き合ってるような二人の関係は、もう死んでいたのか。

そして、発展性のない関係であっても、一度好きになったら忘れられないもので、失って気づくのが恋。
さらに、失って気づいてからじゃ遅いのも現実。

再会したときの、ちょっとうれしい感じと、照れくささと、期待と諦めとそういうところまで含めて、これが恋だよね~って思える映画。


アニーの服装がおしゃれ!トラッドでかわいい。

2014年2月24日月曜日

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1994年)



打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか


1993年にフジテレビで放送された岩井俊二監督のテレビドラマ作品を、一部修正し、1994年に映画として公開された。

監督・原作・脚本:岩井俊二、出演:山崎裕太、奥菜恵、反田孝幸。

―あらすじ―
小学校最後の夏休み、プールの掃除当番ため登校していた典道、祐介、なずな。祐介は、典道に水泳の競争で勝った方がなずなに告白するという話をもちかける。(以上、映画.com



ドラマ『モテキ』でいつかちゃんの生涯ベストドラマと言っていたので、気になって鑑賞。

小学生たちの夏の思い出。好奇心と行動力だけの男子と、大人びた奥菜恵演じるなずなの対比がよかった。
まだまだ子供の祐介の選択。
まだまだ子供の典道が選んび進んだ先にある、ちょっと大人の世界。

なずなは同級生だけど、少年たちにとってみたら“大人”の象徴だったんだろうな。同級生だからこそ感じる“大人”感。
でも、なずなも子供で、そんななずなと典道が過ごした夜のプールのひと時は本当に美しい!
そこで、典道が少し大人になった感じがすごく出ていた。

選んだ道、選ばなかった道。そういう小さな選択で、出会ったり出会わなかったりする出来事で、人は少しずつ大人になっていくんだろうなと思った。


少年たちの好奇心の代表として、“打つ上げ花火は丸いのか?平なのか?”というキーワードが最初から最後まで、出てくる。
大人になったら、考えもしないような好奇心とそれに突き動かされる行動力。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」いつから、そういうこと忘れちゃったのかな。なんて、ちょっとセンチメンタルになる映画。

エンディングの曲が流れ始めるところでは、涙が出てきた。


2014年2月19日水曜日

ブルーバレンタイン(2011年)



ブルーバレンタイン

2010年のアメリカ映画。監督・脚本デレク・シアンフランス。主演はライアン・ゴズリングと、本作で第83回米アカデミー主演女優賞にノミネートされたミシェル・ウィリアムズ。
第63回カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門に出品。第68回ゴールデングローブ賞ではライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズがノミネート。

―あらすじ―
仕事が芳しくないディーンと、長年の勉強の末に資格を取り、病院で忙しく働くシンディの夫婦は、娘のフランキーと3人暮らし。2人はお互いに相手に不満を抱えていたが、それを口に出せば平和な日常が崩れてしまうことを恐れていた……。夢や希望にあふれていた過去と現在を交錯させ、2人の愛の変遷を描くラブストーリー。(以上、映画.com


はからずも「離婚もの」(『クレイマークレイマー』『セレステ∞ジェシー』)、「過去と現在同時進行もの」(『サニー永遠の仲間たち』『きっと、うまくいく』『建築学概論』)が続いております。



すれ違っていく結婚7年目の夫婦と、出会って惹かれあった頃の二人が同時進行し、結末に向けてそれぞれのゴール(離婚と結婚)へと収束していくんだけど、二人でいれば全てが楽しく、幸せだった頃と、何をしても腹がたち、喧嘩になってしまう二人が並行して進んでいくので、その落差がものすごく際立つ作りになっている。
映像や画面の構図、音楽なども二つのパートで違って、感情が盛り上がっていく二人と、気持ちが離れていく二人を表現する演出がすばらしかった。

出会った頃は、魅力的だったディーンのおちゃめで陽気で、自由なところが結婚後は、シンディを苛立たせる。
ディーンの惚れていた、シンディの知的さもまた二人のギクシャクした関係に水を注ぎ…。
かつて魅力的で好きになった理由のひとつ、ひとつが、結婚後は苛立たせる原因になっていく。

美しかったシンディも“生活”の中でやつれ、愛おしかったディーンの無邪気さも“生活”の中では煩わしいものになっていってしまう。
結婚と恋愛は別物とはよく言ったもので、結婚って“生活”なんだな…と、改めて思い知らされました。
どんなにときめいた相手でも“生活”のパートナーとなると、話は別で、好きなところが一番苛立つところになってしまうなら、付き合ったのが間違いなんじゃん!という、そもそも論にたどり着くわけですが…。


シンディはディーンに出会う前に以下のような会話がある。
―シンディ「いつか消える感情なんて信じられる?」
―おばあちゃん「愛を見つけるためには感情を持たなくちゃ」

シンディはもともと愛や恋を信じていなかった。だけど、ディーンに出会ったことで、“いつか消える感情”を信じていくようになる。
結婚後のシンディははじめディーンに対して期待し、ああしてこうして言うが、徐々に諦め、最終的にはディーンに対して感情を抱くことすら放棄しようとしてしまう。
こういう風に二つのパートはクロスするようにできていて、最初に言った「いつか消える感情なんて信じられる?」という言葉が結果的にものすごく未来を見据えたもののように見えてきて怖いんですよね。



そんな極めて絶望的なラストなんだけど、じゃあ、出会わなければよかったのか?いつか消える感情なら信じなければよかったのか?と、言ったら、そうならないのがこの映画のすごいところだと思う。映画が終わる瞬間までは、そう思ってしまうんだけど、終わった瞬間から連続したまま流れるエンドロールを観ると、そうは思えなくなってくる。
かつて二人が愛し合ってた頃、“君と僕”の世界がすべてだった頃が、花火と共に映し出される。そのときの二人の表情を見ると、どうしても全部否定する気にはなれないから不思議だ。でも、生きるってそういうことなのかなとも思う。やっぱり、いつか消えると分かっていても信じたからこそあった時間なんだから。
幸せな二人の顔が、花火と共に映し出されるから一瞬なの。それがまた、はかない時間、もう取り戻せない過去という感じもあって
より切なくなって、エンドロールから泣きだしてしまった。



映画評論家の町山さんライムスター宇多丸もウィークエンド・シャッフルで絶賛していた映画です。
確かに人と話したくなる映画だな。

ポスターがどれも素敵。一番好きなのをメインにしたけど、他のもかわいいから載せておきます。







2014年2月18日火曜日

クレイマー、クレイマー(1979年)



クレイマー、クレイマー』(1979年)

1979年公開のアメリカ映画。製作・配給会社はコロンビア映画。
原作はアヴェリー・コーマンの小説。監督・脚本ロバート・ベントン、主演はダスティン・ホフマン。
第52回アカデミー賞作品賞ならびに第37回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。

あらすじ
毎晩深夜に帰宅する仕事人間の夫テッドに愛想を尽かし、自分自身を取り戻すために家出した妻のジョアンナ。その翌日からテッドは7歳の息子を抱え、仕事と家庭の両立に励むが、家出から1年後、ジョアンナが息子の養育権を主張し、テッドを提訴する……。(以上、映画.com

昔から有名な映画ということは知っていたけど、すごくよかった。
設定は今では、珍しくない設定だと思う。母親が出て行ったことで、家事なんてやったことない父親が手探りで家事や子育てをしていく。最初はギクシャクしている父子も、生活する中で、絆が強くなり、父親は自分自身を見つめなおし価値観が変わっていくという物語。
設定だけ聞くと、ドラマとかでよくあるな~という印象だけど、すごくすごくよかった。

余計なエピソードがなく、ただ単に二人の生活を描いているところとか!最初はグチャグチャだったフレンチトーストも、最後には手慣れたものになってる。ただそれだけのことなんだけど、二人の関係の変化を見てきたら、そこは本当に涙ポイント。

息子のビリーが本当にかわいい!
母親からの手紙を聞きたくないというところとか、「パパもいなくなる?」のところとか、本当に切なくなってしまう

二人で築いてきた関係も、母親が帰ってきたことで変わってしまう。
そのときのビリーの涙が、二人の過ごしてきた時間の深さや、関係を物語っていて、最後号泣してしまった。


あらすじはよくあるものでも、やっぱり名作が名作と言われる所以がわかったような気がする。
そして、フレンチトーストが食べたくなりました。

サニー 永遠の仲間たち(2011年)



サニー 永遠の仲間たち』(2011年)

カン・ヒョンチョル監督/脚本の韓国映画。シム・ウンギョン、カン・ソラ、キム・ミニョン、パク・チンジュ、ミン・ヒョリン、ナム・ボラ、キム・ボミ、ミン・ヒョリン、ユ・ホジョン、ジン・ヒギョン、コ・スヒ、ホン・ジニ、イ・ヨンギョン、キム・ソンギョン、チョン・ウヒが出演。

―あらすじ―
夫や娘にも恵まれ、何不自由ない生活を送っていた42歳のナミは、ある日、母の入院先で高校時代の友人チュナと再会する。25年前の高校生時代、ナミやチュナら7人の仲良しグループはずっと一緒にいると約束しあったが、ある事件がきっかけで離れ離れになってしまっていた。病気に苦しみ、最後にみんなに会いたいというチュナのため、ナミは当時の仲間を集めようと決意。各地に散った仲間を訪ねる旅の過程で、再び人生に輝きを取り戻していく。(以上、映画.com


おもしろかった!

42歳の現在と、高校生だった25年前が交互に展開していく構成になっている。
25年間の何にでもなれたあの頃の仲間たちと、何にもなれなかった現在の対比が、切なくなった。

高校時代の悪友たちと、このメンバーでいれば無敵かも!と思う瞬間や、ずっとこのまま仲良くしていられると思う瞬間、何てことのないことに笑っていたあの瞬間。誰もがあるそういう瞬間や、そういう友達。
そんな無敵の時代から、時間が過ぎ、たどり着いた現在の痛々しさと言ったら!病気になったり、子供の教育に悩んだり、営業成績伸びなかったり、嫁姑問題、水商売、夫の浮気…。大人の問題ってシビアだ…。騒いで、喧嘩して、ふざけて、はしゃいでれば大抵の問題が解決したあの頃とは大違いな現在。

彼女たちは、ある事件をきっかけに離れ離れになったんだけど、たぶんその時に大人の世界に足を踏み入れたんだと思う。ふざけていられなくなった事件が起きたことで。

でも、かつてのリーダー・チュナの最期の願いで、みんなが再会することになり、再び当時の気持ちを取り戻し、みんなではしゃぎ出す。当時の仲間たちといると戻れる感じすごくわかる!チュナの最期のときまで、みんなで楽しくすごすんだけど、決してお涙ちょうだいの病気ものではなく、観終わった後スカッとする清々しさがある。


たぶんこの後も、サニーの仲はきっと続くだろうけど、きっと高校時代とも、それはチュナの最期の期間とも違うんだ思う。高校時代もサニーの再集結も、どちらもある限定された期間だからこその突き抜けた瞬間で、過ぎてしまってはもう戻ることのできない時間なんだから。
ナミの夫が赴任中の2か月と、最期の期間がかぶっていて、チュナのお葬式の後、夫が帰ってきて「何かあった?」という質問に「何もないよ」と答えるのが、もうすでにその一連の出来事すらも、過去になっていそれを象徴しているのではないでしょうか。

どっちの時代のエピソードも、あーわかる!という感じがすごくあった。
もう戻れない過去と、もう戻れないとわかってしまった過去。それでも、あの頃、共有した時間があったから取り戻せた時間がある。
過去の自分は未来の自分に期待し、憧れていたし、未来の自分は過去の自分を懐かしみ、うらやむ。全て終わって、一瞬味わえたその懐かしい感じを思い出したからこそ、そのどちらもないものねだりで、だけどどちらも自分のものだったんだと受け入れて、“現在”を生きることができる清々しさが、ナミの「何もないよ」にはあったように感じました。

音楽がいいし、ポップでテンポもよくて、また観たくなる映画です。


個人的におおー!って思ったのが、韓国って整形大国だから25年も経ったら顔が別人ってこともあるんだね(笑)。
人探しとか、再会とか大変そう。ふつうに「整形した?」って会話が出てきておもしろかった。

2014年2月17日月曜日

セレステ∞ジェシー(2013年)



セレステ∞ジェシー

リー・トランド・クリーガー監督、ラシダ・ジョーンズ脚本/主演で2012年制作の映画。

『最高の離婚』アメリカバージョンといったところ!
バリバリ働き稼ぐしっかりもののセレステ(ラシダ・ジョーンズ)と、売れないアーティストでヒモ状態のジェシー(アンディ・サムバーグ)は離婚調停中で同居中。別れても一番気の合う親友だった二人。だがあることがきっかけで、本当に別れなくてはならなくなり…という話。

要するに優位に立ち、ジェシーは何だかんだ自分に惚れていると調子乗っていたいたセレステが、ある時、本当にジェシーを失ってその大切さに気付くんだけど、リアル!
このジェシーとセレステの居心地のいいズルズル感も、別れても友達という都合のよさも、過ごした時間が故の二人にしか分からないネタも…分かるわ。
そして、本当に自分になくてはいけない人なんだと、失ってからしか気づけない感じも。


自分がいくら変えようとしても変わらなかったジェシーが食事はマクロビ、ちゃんと求職中なんていうジェシーの変化は受け入れがたいものだろう。
セレステは向上心のないジェシーに「私が食わせてる」と文句をいいながも、実はそんなジェシーそのものが好きだったのかもしれないし、自分が変えられなかった悔しさかもしれない。今まで何でもセレステペースに乗ってきたジェシーの作り出した、セレステの知らない流れに振り回され、右往左往するセレステ。何でも自分ペースで事を運んできたものだから、突然のできごとに対応できない。自分がいなくてはダメだと思っていた人が、自分なしの世界に生きるときのやるせなさといったら。

でも、セレステはバリバリキャリアウーマンの強気な女。そんな動揺、表に出すこともない。一人で何とか自分を立て直そうとする姿にものすごく共感してしまった。セレステは不器用な失恋にはまり、酒に逃げ、新しい男を探し、それじゃダメだ!と仕事や健康に気を使う。そのループ経験したことある…。


大人になってからの失恋は、男がいなくなったっていうだけじゃなくて、もしかしたら、自分が信じてきたもの、これまでの自分自身すべてを否定された気分になってしまうのかも。なのに、失恋すらうまくできなくなっていて。
でも、最後に救ってくれるのは、仕事だったり友達なんだな。対立していたライリーとも“失恋”を介して意気投合して、仕事もうまくいくようになって、焦らず、少しずつ踏み出そうとするセレステの姿がすごくよかった。


最後の最後、さよならをするシーンで「送っていくよ」と言ったジェシー。別にジェシーはセレステを嫌いになったわけじゃなくて、きっとずっと大切な人ナノは変わらないと思わせる一言だった。それに「当たり前でしょ」と答えるセレステを見て、なんだかんだ二人はやっぱり最高のカップルなんだな~。それが、結婚とか家族となると、また違う話なんでしょうけどね。

ウルフ・オブ・ウォール・ストリート(2014年)



ウルフ・オブ・ウォール・ストリート

マーティン・スコセッシ監督。アメリカでの公開は2013年。ジョーダン・ベルフォートの回想録『ウォール街狂乱日記 - 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』が原作。脚本はテレンス・ウィンター。
レオナルド・ディカプリオ主演、ジョナ・ヒル、ジャン・デュジャルダン、ロブ・ライナー、カイル・チャンドラー、マシュー・マコノヒーらが共演する。

くっそおもしれえ!まじでやべえ!まさにこれに尽きる映画。

要するに株で億万長者になって、破滅していく物語。正直、株と経済に疎いからついていけるか自身なかったんだけど、全然関係ない!とりあえず、ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートのジェットコースターに一緒に乗り込んでしまったら、そんなことどうでもよくなった(笑)。

ディカプリオ始め全員がしゃべるわ、しゃべるわ!マシンガンでまくしたてて、ほんとジェットコースターみたい。怒涛のごとく金、SEX、ドラッグの連続!まじで狂ってる!ジョーダン・ベルフォートがあらゆることに麻痺してくるように、観ているこちらも、どんどん刺激を求めて感覚がなくなっていく感じになってしまった。
展開が早く、常にしゃべりまくってるので、ミュージカルみたい。3時間の長尺を感じさせないスピード感がものすごく気持ちよかった。
アドレナリンが出まくって、大雪の中全力疾走しちゃうくらい!
あと、観終わった後は言葉づかいがちょっと悪くなっちゃうね(笑)。ファッキン!ファッキン!って何回言うんだよ!って。

物語はよくある、栄光と挫折で目新しくはないけど、このジェットコースターみたいなスピード感ある演出と、バカみたいに狂ったレオ様は本当にヤバイ!の一言。

一人で観ちゃうとこの興奮をどうしろと!という感じになってしまうし、でもデートでこれはゲスすぎてあまりおすすめできないかな。悪友というか、バカできる友達といくくらいがいいかもね。

2014年2月13日木曜日

ドット・ジ・アイ(2004年)



ドット・ジ・アイ

イギリス・スペイン合作恋愛映画。マシュー・パークヒル監督、ガエル・ガルシア・ベルナル、ナタリア・ベルベケ出演。


結婚前の女性が最後にちょっとはめをはずした夜を過ごすヘンナイトで、その場に居合わせた男性の中から一番気に入った人とキスをするというイギリスの風習があるらしい。そのキスがきっかけでお互いメロメロになってしまうキット(ベルナル)とカルメン(ベルケル)。結婚を控えたカルメンの気持ちは次第に夫からキット傾いていく…という、三角関係のもつれを描いた恋愛ドラマ。

すごいおしゃれな出会い!運命の人と出会ったときには、もう結婚間近…

なんて、話ではないです。コピーは「運命の愛・・・それは仕組まれていたのか」。
仕組まれていたのでしょうか?誰が?誰に?なぜ?

なんとなーく不穏な空気をまといつつ、恋愛ドラマは進展していきます。泥沼の不倫よ、どこまでいくの!?

からの、ラストへのスピード感!真実が明らかになるとき、リアルに目を見張るというか、瞳孔全開になってしました。
もう一度言うけど、「運命の愛・・・それは仕組まれていたのか」。最後の展開の鮮やかさは、本当にやられた!という感じ。コピーでどんでん返し系とまではわかっても、結末まではわからないんじゃないかな。
観終わったあと、軽く人間不信になる(笑)。



こういう映画は感想を書くのが難しいな…。結末を言いたいけど、言えないし、言わずに面白さを伝えられる術がない。とにかく結末へのスピード感とか、伏線の回収とか、その辺りの鮮やかなトリックをぜひ観ていただきたい!

ちなみにタイトルのDot the iは、英語の慣用句の「dot the i's and cross the t's」からきているみたい。意味は「細部まで気を配る」。なるほどね。



ひさびさにガエル君作品。以前、めっちゃはまって、かたっぱしから見たな~。
エロかわいいガエル君満載だよ!

スタンリーのお弁当箱(2013年)



スタンリーのお弁当箱

2011年のインド映画。日本では2013年公開。
シナリオを用意せず、演技経験のない子どもたちだけを集めて約1年半にわたり撮影された。子供たちははワークショップだと知らされており、最後まで映画の撮影だということを知らなかった。
製作・監督・脚本・出演:アモール・グプテ。主演はグプテの息子・パルソー。グプテは本作が初監督作品、パルソーは本作がデビュー作となる。


子供たちがなんといってもかわいい!いい表情をしている映画。調べてみたら、ワークショップということで、撮影されていたみたいなので納得。

家庭の事情で、お弁当を持参できないスタンリー(パルソー)と、そんなスタンリーを心配して、お弁当を分けてあげる優しい仲間たち。そんな彼らに忍び寄るのが国語教師のヴェルマー(グプテ)。お弁当を持ってこないこと、友達にもらっていることにつけこみ、スタンリーをいじめるヴェルマーとの攻防が中心。


子供たちがとにかくかわいいし、テンポがよく、ポップな感じなんだけど、実はきちんとテーマがある泣ける映画です。インドの生活格差や子供たちの現実が描かれています。

でも、どんなときでも笑顔を絶やさずにいるスタンリー。友人たちも、悲しみや辛さを表に出さないスタンリーに答えるかのように、深く追求せず笑顔で迎え入れる。そんな子供たちの姿に涙があふれてくる。

ヴェルマーという悪者がいるけど、勧善懲悪というわけでなく、悪者を通して、友情やスタンリーの優しさを描いている感じ。
スタンリーが本当にいい子!決して恵まれた環境じゃないのに、文句も言わず、笑顔を絶やさず、優しいの!ラストでお弁当を持って学校に行き、いろんな人に配るシーンがあるんだけど、今まで優しくしてくれた人への感謝を返しているかのような最高のシーン。

スタンリーは弱さを決して出さないけど(たぶん無意識に)、きっと支えてくれる仲間がいるから、そんなにがんばらないでよ~と、思わずその強さが心配になってしまった…。


あと、カレーがおいしそう!カレー食べれないんだけど、これを観たあとならカレー食べれる気がしてならなかった!

きっと、うまくいく(2013年)



きっと、うまくいく』(2013年)

2009年公開のインドの映画。日本公開は2013年。
ラージクマール・ヒラーニ監督。アーミル・カーン、カリーナー・カプール、マドハヴァンが出演。
インド映画歴代興行収入1位を記録した大ヒット映画。
インドの工科大学の寮を舞台にした青春劇。

3時間近い長い映画だったが、飽きる暇がないくらいにおもしろい映画だった!

学生時代を共に過ごし、卒業後に消息不明になったランチョーの行方が掴めたところから物語は始まり、ランチョーの元へ向かう現在の物語と、過去の学生時代の思い出が同時進行で進んでいく。
ちょっとした伏線が散りばめられていて、後々になって「こうつながるのか!」という、展開も多く、インド映画でおなじみの歌と踊りも要所要所で入ってくるので、本当に飽きる暇がない3時間でした。

インド映画は、その日観た『スタンリーのお弁当箱』に続き2つ目だったので(目黒シネマの2本立てで鑑賞)、その踊りや歌がどんなものかも分からなかったんだけど、いい!ミュージカルみたいな感じで、しかも結構耳に残る歌で、はまりそう(笑)。

全体はかなりコミカルで笑えるコメディなんだけど、インドの教育問題や、格差の問題、家庭の問題が盛り込まれていて、考えさせる部分も多々ありました。
特に“自殺”という、キーワードが個人的に気になりました。自由に自分のやりたいことができなかったり、理不尽な選択を迫られたときに、“自殺”という選択肢が、普通に出てくることにびっくりしました。
大学に行くということの意味も、確実に日本とは違って、一家を背負っていて、卒業後にはそのプロフェッショナルとして、稼ぐことが求められているみたい。それは当然なんだけど、日本の大学生にそこまで志や期待があるかっていうと…ないような。

主人公のランチョーは、物事の本質が見えている人で、賢い。 intelligentという意味でも、cleverという意味でも。本質が見えているからこそ、斜め上から見透かしたような悪ふざけをして学長を懲らしめていく…そんでもって、成績優秀。一番嫌な学生だよな(笑)。でも、その賢さも、見透かしている性格も、彼のバックグラウンドに理由があって、納得できる。悪ふざけを繰り返すけど、友人たちにかける言葉や、悪ふざけをする理由も実は本当にまっすぐで本質を見極めているからこそ。
最初はなかなかランチョーのキャラが掴めなかったんだけど、徐々にわかってくると、ファルハーンとラージューが慕っていた理由もすごく腑に落ちます。ふざけているように見えて、言っていること正しいんだよね。ランチョーがファルハーンとラージューにかけた言葉の数々は、本当に自分のやりたいことについて考えるとき、すごく胸に響くものでした。



社会背景やバックグラウンド、抱えている悩みがあっても、大学生ならではのモラトリアム感や、おバカ具合は炸裂!それも相当やりすぎてる。気持ちいいくらいに!対立構造としては、学長vsランチョー、ファルハーン、ラージューという感じ。(『スタンリーのお弁当箱』でも、そうだったけど意地悪な先生vs生徒の構造が多いんですかね?なんだろ。)
わかりやすい構造なのも飽きないポイントなのかも。

でも、学長もただの悪者ではなく、きちんと最後にはランチョーたちを認め、最後決着がつくところがすごくいいです。
しかも、エンジニアの力を如何なく発揮するところは、お見事!あそこのシーンは本当しびれます。理系バンザイ!!


色々なことを考えさせられ、最後の最後までスカっとして、感動までしてしまう最強エンターテイメント映画です。
人にすすめたい、まさにすべらない映画です!

2014年2月12日水曜日

ラッシュ/プライドと友情(2014年)



ラッシュ/プライドと友情

ロン・ハワード監督。クリス・ヘムズワース、ダニエル・ブリュール主演。脚本はピーター・モーガン。

あらすじ―――
1976年のF1世界選手権を舞台に、2人の天才ドライバー、ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの戦いと絆を描いた。76年のF1チャンピオンシップで、フェラーリのドライバーとして快調なレースを続けていたラウダは、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで大事故に見舞われる。奇跡的に6週間で復帰を果たしたラウダだったが、ライバルでもあるマクラーレンのハントにポイント差をつめられてしまう。チャンピオンシップを競う2人の決選は、富士スピードウェイで行われる日本での最終戦に持ち越される。



正直、F1について全く明るくなく、休日前の前日に映画館に行ったところ、サラリーマンのおじさんたちがチラホラいるだけの状況に若干ビビりながら鑑賞。
が、オープニング後、すぐにそんな不安は覆されました。

オープニングからもうしびれましたわ~。エンジン音、クローズアップされるマシン類、道路の高さに設置されたカメラ…。か、かっこいい!もう、このオープニングのかっこよさで、これは観て損はしないなと確信しました。

F1の映画だけど、レースシーンばかりというわけではないです。事故についても事実に基づいているので、このあと何が起こるかも最初からわかっています。でも、事故を描いてるわけじゃなく、ニキ・ラウダとジェームズ・ハント二人の人間を描いている映画。

クールで人付き合いがうまくない頭脳派・ニキ・ラウダ、明るく常に仲間に囲まれるプレイボーイ・ジェームズ・ハント。若い頃、F3で出会い、その後F1でもライバルとしてしのぎを削る…という、まあ、映画とか漫画でよくあるライバル構造です。

クールで社交性のないニキ・ラウダが実は、優しく、人間味のある性格だったり、みんなに愛されるジェームズ・ハントの明るい笑顔の奥に見え隠れする孤独や不安が、レースを通じて少しずつ明らかになってくる。ハントへのライバル心から事故後、早急に復帰するも守るもののため、“生きる”ということを選ぶニキ。勝つために、刹那に生きるハント。二人の生き方は最後まで対照的だが、どちらも“自分の存在を証明するために、勝つ”ということは共通している。生きるということがレースをするということのように感じました。

お互い嫌味を言い合い、なかなか本心を口にはしない。復帰後のレース前、ぎこちなく思いを告げる二人。だが、スタート位置についた二人が目線を交わし、手を挙げるシーンの方が、二人は多くを語り合っているように見えた。言葉ではない会話にしびれました。



かっこいい男が二人出ている映画ということで、しょうもないけどどっちが好きか考えてみました。
最初は、結構嫌われ者が好きだったりするので、ニキかなーと思ったんだけど、終盤からハントの笑顔の向こうに隠された影の部分に惹かれていきました。笑顔めっちゃかわいいから余計に。
ニキの冷たくみせて優しい強さも、ハントの明るさの奥の孤独も、どっちもそれぞれギャップがあって素敵なのは間違いないんですが。


とにかくものすごく、いい映画なんです。アカデミー賞ノミネートされてないので、『アメリカン・ハッスル』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』ほど話題じゃないけど…。なんでアカデミー賞ノミネートされてないんだろ?その辺りの事情はわからないけど、観て損はないです!女の子は特にF1~ってなりそうだけど、騙されたと思って観てほしい映画だわ。

観終わった後、劇場を出てもエンジン音とかサスペンションとか頭の中グルグルして、まさに興奮冷めやらぬという感じになりました。それも、涙目で。

光にふれる(2014年)



光にふれる

盲目の天才ピアニストとして活躍するホアン・ユィシアンが本名のままで主演。監督のチャン・ロンジーが2008年に発表し、台北映画祭で最優秀短編賞を受賞した「ジ・エンド・オブ・ザ・トンネル(黒天)」を、ウォン・カーウァイの企画により長編化した。12年・第25回東京国際映画祭「アジアの風」部門で上映。
台北映画祭で最優秀主演女優賞と観客賞を受賞。


視覚障害を持つ天才ピアニストとダンサーを目指す女性が、互いに励まし合いながら夢に向かって奮闘する姿を描く物語。


すべてがキラキラしている映画だった。物語はもちろん、映像も、音楽も、出演者もすべてがキラキラとまぶしい2時間。
視覚障害が主人公だが、障害であることがテーマではなく、ユィシアンとダンサーを夢見る女の子・シャオジエというふたりの若者が挫折や迷いから抜け出し、再び夢を目指すという点がテーマである。

物語の中でも出てくる「目が見えないからかわいそう」というユィシアンへの感情は、観終わった後に完全になくなります。
ユィシアンの弾く曲はどれもキラキラとした光が見えるかのような音楽で、音楽だけで涙があふれるという初めての経験をしました。音楽については詳しくなく(ユィシアンのことも本作で知ったくらい)、音楽の才能というものはわからないので、説明はできないけれど、とにかく感動で涙が止まらなくなる演奏でした。


映像の演出も素晴らしく、逆光の使い方がほんとうに美しい!二人が一歩踏み出すような大事なシーンでは、特に光の演出が施され、それもいやらしくないからこそ、観終わった後の「すべてがキラキラ」しているという印象につながったのではないでしょうか。


互いに言葉で励まし合うのではなく、言葉を超えた空気のようなもので、それぞれが一歩を踏み出す。そんな二人を見ていると、一人では踏み出せない一歩も、誰かがいることで踏み出せるのかもしれないと、教えられました。

二人の人生はまだまだ続くことだろう。この映画で描いているのは、その最初の一歩を踏み出すまでの話。エンドロールの映像が、まさにそういった演出になっていて、エンドロールの最後まで涙が止まらなくなりました。


言葉で説明すると最初の「視覚障害を持つ天才~」という説明になるけれど、この映画の主人公は障害を持った男の子でも、天才的なピアノの才能がある男の子でもなく、ごく普通に悩める男の子だという思いが強く残った。そして、とても優しい心を持った男の子。


シャオジエをイメージした曲を聴いていると、ユィシアンが思い描いた、シャオジエの踊る姿はどんなものなのだろうと、思わず目をつぶりたくなる。
目をつぶっても、キラキラとした光が見えるような音楽で、まさに「光にふれる」感覚に陥りました。

2014年2月11日火曜日

ニシノユキヒコの恋と冒険(2014年)



ニシノユキヒコの恋と冒険

真実の愛を求め様々な女性と恋愛を重ねる男ニシノユキヒコの生きざまを描く、芥川賞作家・川上弘美の連作短編集が原作。井口奈己監督、竹野内豊主演。尾野真千子、成海璃子、木村文乃、麻生久美子、阿川佐和子、本田翼が出演。

何というか…竹野内豊がかっこいいだけの映画でした。ものすごくかっこよかったです。ただ、それだけ。
ニシノ君のモテモテ恋愛遍歴を描きたいのか、ニシノ君の魅力を描きたいのか、ニシノ君の孤独を描きたいのかまったくわからず。

確かにひとつひとつのエピソードは、かわいいし、尾野真千子の職場でのふたりのやり取りとか、本田翼とのやり取りとか、「あ~あるある!」っていうのも多いし、キュンとするポイントがないわけじゃない。だけど、「で?何?」となってしまう。短編小説だから、ひとつひとつのエピソードが並列になるのはしょうがないけど、オチがないというか…。


それでも内容について思ったことを少し言うと、麻生久美子演じる夏美が、「ニシノ君はわかっちゃうんだよね、女の子がどうして欲しいのか。」って言うけど、分かってないでしょう(笑)。ただ優しいだけでしょう。しかも、相手を考えての優しさじゃなくて“なんとなく、そうしちゃう”程度の。だって、本人何もわかってないじゃん。
「ふつうに結婚したい。ふつうに幸せになりたい。なんでいつもフラれちゃうんだろう。」って言うけど…、分かってないところが罪だよね。尾野真千子が別れを切り出すところなんて、要は「一人でいる孤独より、誰かといる孤独」問題なわけで。

でも、モテる。
まあ、いないわけじゃないと思う。ああゆう無自覚に優しくて、その結果「一人でいる孤独より、誰かといる孤独」を与えてしまう人って。で、そんなエピソードをいくつも展開していって…だから?という、オチ。結局ニシノ君の気持ちはわからないしね。


そんな人もいたよね~って、思い出して笑うには、そんなに魅力が感じられなかった(竹野内豊の顔と体は魅力的)。そういう映画にしたかったのかなと感じたんだけど(“そんな人もいたよね~って思い出して笑ってしまう映画”というジャンルがもしあるなら、『横道世之介』は間違いなく最高ランク)。

あと、オチはなくてもいいとは思うんだけど、ゆったりほっこり路線でもいいと思うんだけど、そういう映画も嫌いじゃないから。ただ、やっぱ長いと思う。無駄なカットが多い気がしました。やたら長いカット割りや、やたら挿入される情景だけのカット…。長いし、多いしで疲れてしまいました(また『横道世之介』の話になってしまうけど、世之介はそのカットの長さがうまくいってた)。

もうちょっとコンパクトなつくりだったら、竹野内豊のかっこよさでテンションをキープしつつ、まとめられたような気がしてならなかったです。なんとなく消化不良になってしまう映画でした。


あ、アートワークはすごくかわいいです!

2014年2月10日月曜日

ショコラ(2000年)



ショコラ』(2000年)
原作はジョアンヌ・ハリスの同名小説。ラッセ・ハルストレム監督。ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップが出演。

あるフランスの田舎の村にやってきた一風変わったヴィアンヌ母子。ヴィアンヌたちは、宗教上、断食があり、厳しい戒律のもと抑圧された街にチョコレート屋をオープンさせるところから始まる。
厳格な戒律の下で暮らす様々な人々の心をチョコレートで、癒していく…という話だが、ほっこり癒し系?と、思いきや全然癒し系の映画ではない。むしろ、香水の魅力に憑りつかれた青年を描いた『パフューム』を思い出した。チョコレートの効能と言えば聞こえはいいが、不思議な力というか…魔力というか。チョコレートに癒され、度々来店するようになる村民たちは、ある種の中毒状態にいるように見えてくる。

もともと、村長・レノ伯爵の力で教会を管理し、厳格な戒律を定めることによって、村民たちを支配してきた経緯がある。その戒律からの自由を促すヴィアンヌと村を支配するレノ伯爵は対立するが、徐々にヴィアンヌのチョコレートの力で、村民たちは自由を求めるようになる。
だが、それは本当に自由なのだろうか?ヴィアンヌは支配こそしないが、村民たちは結局チョコレートに魅了され続けているではないか。結局なにかに依存することを求め続ける村民たちの姿が、とても不気味に見えてならなかった。

ヴィアンヌはチョコレートを振る舞ったり、ジプシーたちとの仲を取り持ったり、村民のために様々なことを行うが、その真意が見えないからかもしれない。ヴィアンヌ母子が、北風の旅に村を転々とする理由も、旅立たなければならない理由も。チョコレートの効能を広めるため?でもなぜ?と、疑問が常にまとわりつき、奇妙さを最後まで拭うことがどうしてもできなかった。
そして、そこにチョコレートの不思議な力が入ってくるわけだから。


なぜ、そんなに違和感を感じてたかというと、TSUTAYAで「ラブストーリー」のジャンルにあったからに他ならない。これが「ミステリー」や「ドラマ」にあれば、なんの違和感も感じず楽しめたのに…と、悔しくてならない。
ラブストーリーなのでしょうか?うーん。ラブストーリーじゃないわけじゃないけど…。


でもまあ、『ショコラ』というタイトルだけあって、チョコレートはどれもおいしそうでした。特に気になったのが、ホットショコラにチリペッパーを入れたやつ。
この映画はどちらかというとビターチョコにチリペッパーのアクセントが入った、大人な後味でした。

お後がよろしいようで。


2014年2月7日金曜日

その街のこども(2010年)



その街のこども』(2010年)

2010年1月17日にNHKで阪神・淡路大震災15年特集ドラマとして放送し、大きな反響があったことから劇場版として再編集され公開された。
監督・井上剛、脚本・渡辺あや、音楽・大友良英。実際に阪神・淡路大震災を被災した森山未來、佐藤江梨子が主演。


阪神・淡路大震災から15年後の「追悼のつどい」の前日、すっかり変わった神戸の街で、ふとしたきっかけで出逢った男女が出会い、15年目のその時までの時間を共に過ごすことになる。今は東京に暮らすふたりが10数年ぶりにかつて暮らしていた場所、かつて震災によって破壊された場所、それぞれの過去がある場所を経由しながら、その朝を迎える。


カメラの動きや、ポツポツと語られえるセリフ、挿入される当時の写真や映像。ドキュメンタリーのような映画でした。言葉少なに語られる言葉、決して相手に分かってもらおうという言葉ではなく、自分のための言葉のように響いてきました。過去と折り合いをつけるというきっぱりとしたものではないし、何かが解決するようなものではなく、その土地を歩き、同じ瞬間を経験した相手といることで、15年間ふたをしてきた思いに気付いていく。そもそも、折り合いがつくことでも、解決することでもないのだから。

本当はこわい。でも行かなあかん。そう、何度も言う美夏(佐藤江梨子)が当時の親友の父親と再会したとき、それは「生かなあかん。」に聞こえてきた。

しかし、そういった説明はもちろんないし、ふたりの言葉の多くも当時のことばかりで、今ふたりが思っていることは語られることはない。情景描写やただ事実を写しだした映像を見て、ふたりの気持ちを知っていくことになる。
この井上監督は、『あまちゃん』のチーフプロデューサであり、『あまちゃん』の中のもっとも重要な震災の週(第23週)を担当した方。『その街のこども』を見て、井上監督だから、あの週の『あまちゃん』ができたんだと思いました。震災が起きた日を描いた133話は、当時の映像を一切使わず、それでも当時の状況をありありと伝える秀逸な演出でした。その後の回も、『その街のこども』同様、状況をたんたんと描写することで、観る人たちそれぞれが当時の自分を思い出させ、そこに何かを感じるようなものでした。

『その街のこども』を観てももやはり阪神・淡路大震災当時10歳の私でも思い出すものがありました。(当時10歳ってことは、森山君演じる中田勇治と同い年か)井上監督は観る人の感情を引き出すことで、物語の奥を作り出すのが素晴らしくうまいです。



そういうえば何かで、「震災を風化させてはいけない!という人たちは、そうしなければ簡単に忘れられる人たち。被災者は忘れたくても忘れられない。」という記事を読んだ。
このふたりを観ていると、「忘れよう、思い出さないようにしよう。そして、そう思っている自分も気づかないようにしよう。」という気持ちが出ているように感じました。しかし、前述の言葉のように、決して忘れたくても、忘れたふりをしていても、忘れられないということも。

15年たって、変わった街があって、変わった気持ちもあるけど、変わらないものもある。15年たったから変われたことも。「追悼のつどい」の広場の前、「行かへんの?」の美夏の言葉に、「やめとく。また来年。」と答えた勇治。それは向き合うことから逃げたわけじゃなくて、今年はここまでこれた。もう一歩先に行くのは来年。という、ものすごく前向きで未来があるからこその希望の言葉に聞こえました。

15年後の勇治が一歩進めたように、未来を見れるように、東北の15年後を考えずにはいられませんでした。

2014年2月6日木曜日

バレンタインデー(2010年)



バレンタインデー

ゲイリー・マーシャル監督。ジェシカ・アルバ、テイラー・ロートナー、ジェシカ・ビール、ブラッドリー・クーパー、エリック・デイン、パトリック・デンプシー、ヘクター・エリゾンド、ジェイミー・フォックス、ジェニファー・ガーナー、トファー・グレイス、アン・ハサウェイ、アシュトン・カッチャー、クイーン・ラティファ、ジョージ・ロペス、シャーリー・マクレーン、エマ・ロバーツ、ジュリア・ロバーツなど豪華出演陣。

15人の登場人物のバレンタインデーを追うオムニバス形式のラブコメ。

まずびっくりしたのが、日本のバレンタインデーと何か違う!チョコじゃないんだ!赤いバラなんだ!女の子からとかじゃないんだ!と、まあ普通に文化の違いを実感しました。
ストーリーは、ふつうです。ふつうにおもしろい。小説も映画もオムニバスがあまり好きではないので(それぞれがつながっていくオムニバスは大好物なんだけど…)、案の定そんなに入り込めなかったけど、それでも、ひとつひとつのストーリーは素敵だし、気負わず観れる感じでした。
ひとつひとつのストーリーがおもしろいからこそ、深く入り込めないままのオムニバスが物足りなくなっちゃうんだけどね;;
最後にそれぞれがつながるわけでもないから、もう少しエピソード減らしてもよかったような気もするけど…。オムニバスって、その辺の裁量が難しいですね。



それにしても、こんなに浮かれているのか?!バレンタインデー!
日本のバレンタインデーとはまた違う感じ。日本のクリスマスのような感じというか…。

バレンタインデーって、ここ数年毎年「まだ流行ってるんだ~」目線で見ていたんだけど(←勝手にやさぐれてるだけか)、この映画観ると何かちょっとウキウキしてしまいました。1日ってこんな長いの?!っていうくらい、それぞれの恋に展開がありすぎるからね(笑)。1日でそんなに気持ち変わるかっ!っていう突っ込みをしつつも、それがバレンタインデーマジックとやらなんでしょうか?

でも、みんな必死でいいよね。うん。女の子も男の子も、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな右往左往してる感じ。『ニューイヤーズ・イヴ』同様、最後にはみんなそれぞれにとって最高のバレンタインデーになっているところは、「おいおい」と突っ込みつつもこの時期そういうの大事だと思います(笑)。

バレンタインデー、何があるか分からないので、ほどほどに期待しつつ、でも諦めすぎず過ごそうと思いました(笑)。



何のブログか分かんなくなってしまいましたが、観ればバレンタインなんか楽しそうじゃん!と、思えることでしょう。

2014年2月5日水曜日

ビフォア・ミッドナイト(2013年)



ビフォア・ミッドナイト

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)、『ビフォア・サンセット』(2004年)の続編。3作ともリチャード・リンクレイターが監督、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが出演し、2作目以降はリンクレイターとホークとデルピーが共同で脚本を執筆。

『ビフォア・ミッドナイト』の鑑賞前に随分前に観た、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』と、見逃していた『ビフォア・サンセット』を併せて鑑賞。

シリーズの3作とも、物語のほとんどがイーサン・ホーク演じるジェシーとジュリー・デルピー演じるセリーヌの会話で展開していく。『サンライズ』~『サンセット』~『ミッドナイト』と9年おきに制作され、物語の時間もそれぞれ9年後を描いている。


最初に『サンライズ』を観たとき、ものすごくロマンチックでうらやましいな設定なのに、なんだかしっくりこなくて、見直しても同様で…。なんとなくもやっとしたまま、『サンセット』を鑑賞。うーん。『サンセット』は、ちょうど今の自分のちょっと上くらいの年齢のときの話なので、セリーヌの思いとかは割とシンクロするんだけど、やっぱり、もやっと。
で、『ミッドナイト』を鑑賞。わかりました。セリーヌが好きじゃないみたいです、私。

そもそもの話をすると、二人はヨーロッパの長距離鉄道の中で出会い、意気投合し、ジェシーが降りるプラハでセリーヌも途中下車し朝まで語らうのが、『サンライズ』。翌朝別れる時に、半年後の再会を約束するが会えず、9年後にジェシーが二人のその夜の思い出を綴った本が出版されたことで、再会を果たす『サンセット』。『サンセット』の終わりはまだ続きがあるような、含みのある終わり方となっていて、『ミッドナイト』ではすでに二人が夫婦(事実婚?)で子どももいるところから始まる。

セリーヌはすごく賢い女性で、負けず嫌い。それが、会話の端々の出るわ出るわ。割と感覚的なジェシーを理論(のようなもの)で攻めるわ攻めるわ。『サンライズ』、『サンセット』では、ふたりの距離感があるから、そこまで露骨じゃないんだけど…『ミッドナイト』のセリーヌの破壊力。攻めるわ攻めるわ、理屈っぽいような、感情的なだけのような、言葉攻撃で攻め立てる。おばさん(41歳)になってパワーアップしてるし…。
正直な話、結構「それ言っちゃダメでしょう!」と「今さら、その話持ち出すのかよ?」と「それ関係なくね?!」の連続でジェシーはいたたまれなくなりました。


そんな、セリーヌの性格のキツさも見てられなかった理由のひとつではあるんだけど、『サンセット』のセリーヌに若干共感できてしまったから(32歳で、恋に仕事にうまくいかない、焦りを抱えていた)、いつか来る自分の姿がこうなのかもしれないという恐怖もありつつ。

28歳の目線からは、さすがにロマンチックな『サンライズ』のようなことは夢物語と知りつつも、『サンセット』のように葛藤しているさなか(9年後にかつての旅先で出会った人との再会は、ロマンチックだけど…)、そんな過去があったとしても圧倒的な現実に染まっている『ミッドナイト』は、ちょっとまだ見たくない未来でした;;
そう、リアルなんだよ。リアルすぎて、つらいんですよ。


でも、3作通して見ると、『サンセット』を見て『サンライズ』の良さがわかって、『ミッドナイト』を見て『サンライズ』と『サンセット』の良さがよりわかるような、作りになっていて、18年の歳月を越えた壮大な映画で、3つあってこその映画でおもしろいと思います。3つあるからこそ、誰でもどこかの段階で共感できると思う。共感できるからこそ、その先の未来(私の場合は『ミッドナイト』)がつらくて…(←まだ言ってる)。



と、まあ、いろいろ言ったけど、『ミッドナイト』の結末はしんどいものではないです!
むしろ、途中で目を逸らさなくてよかった、最後までふたりを見てよかった~と思える結末でした。
なかなか素直になれない、ついいじわるばかりが口をついて出てくるセリーヌにとっての、ジェシーの最後の歩み寄りは本当に最高だった。


それにしても、もう一回ここで『サンライズ』を見直すと違うんだろうな。『サンライズ』の写真見ただけで、ジュリー・デルピーの経年変化がやばい!人って18年で変わるんだと、思い知らされましたとさ。

2014年2月4日火曜日

小さいおうち(2014年)



小さいおうち』(2014年)

第143回直木三十五賞受賞作、中島京子の同名小説が原作。監督・山田洋次。主演は松たか子。他に、倍賞千恵子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡が出演。
ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。

倍賞千恵子演じるタキ(青年期は黒木華)が、かつて女中として奉公していた「赤い屋根の小さいおうち」の中でのできごとと、そこで生まれた秘密の恋愛事件を自叙伝として綴った物語を中心に展開していく物語。昭和初期から、次第に戦争の状況が変化していく中での、東京に暮らす中流家庭の庶民の生活が描かれている。


60年以上前の昭和初期を舞台としており、戦争が激化するまでを描いているが、決してはるか遠く昔の物語のようには思えないものだった。昭和初期も満州侵略も、太平洋戦争も、この物語ではあくまでも時代背景でしかなく、その時代に生きている人々の生活に焦点を当て丁寧に描いているので、ある若い女中と奥様という二人の女性の物語としてみることができたからなのではないだろうか。

特にタキは、世界情勢や戦争はあまりリアリティを持って見聞きしているようには描かれていない。日々、平井家の家事をこなし、奥様の秘めた恋にドギマギしている毎日だ。
奥様だって、戦争が起きていても、夫の会社がその影響で傾いていても、どこか自分のこととして感じていないように描かれている。それは、戦争が起きていても、人には生活があるということを教えてくれているように思った。自分の身のまわり、家の中を守るので結局は精いっぱいなのだ。

そして、それは決して自分のこと以外、関心がなかったからどうこうという意味ではなく、そういう大切に守ってきた家族、密やかな恋愛、思い描いていた未来など、当たり前にあった生活が戦争によって、めちゃくちゃにされてしまった現実を思い知らせてくる。
戦争がそんな市井の人々のささやかな幸せを根こそぎ奪っていったという現実を。

どうしても戦争の映画を観ていて、出兵する家族や愛する人たちに向けて「バンザイ」ということに違和感を感じていました。戦死すれば、お国のため、と。当時の女性たちも本当にそうだったのだろうかと。
タキは出兵する板倉に「死んではいけない」という。それはきっと非国民と言われる言葉だけど、その言葉を聞いて、当時の人たちも今の女性と同じなんだと思いました。

タキや恭一が口にする「長く生きすぎた」という言葉は、亡くなってしまった多くの人たちへの思いや、その人たちが理不尽に奪われた普通の未来に自分が生きているということへの罪悪感のようなものだったのかと思うと、胸が苦しくなった。



何度も言うけど、この映画は戦争の映画じゃなくて、家族の物語や恋愛の物語だと思います。
タキという普通の女性の目線は様々な今に通じるものを教えてくれ、現代の健史の視線があることで時代との距離を感じずに観ることができたのではないかと。


と、結構重い話のように思えるけど、会話ややりとりには笑えるところもたくさんあって、うん、やっぱり本当に普通の生活が描かれているので、全体は全然気負わず観れる映画です。
前作の『東京家族』とキャストがほとんどかぶっていることも、個人的にはおもしろかったけど(笑)。かぶりすぎでしょ!あと、山田洋二監督の妻夫木君の使い方がいつも結構おもしろいな~と思う。実年齢より若い役を与えていて、なんか若者ポジションなんだよね。で、必ず一番の若者の立場から、いろんな世代をつなぐ役割を担わせているという。



ここからはワタクシゴトですが。
最後に妻夫木君演じる健史が彼女からプレゼントされた絵本「ちいさいおうち」。この絵本、私が建築学科に入学すると決まったとき、母親からプレゼントされた本なんだよね。探したら、ちゃんと今の家にも持ってきてたので、読み返してみました。私の最後(らしきもの)となった修士論文の考えの根本が、「ちいさいおうち」に通じるものがあって、なんだかホッとした。ちゃんと最初に描いていた「ちいさいおうち」を最後に作れていたんだな~と。
おうちを作ることはないけど、こういう形でつながっているのもありかもしれないなと、個人的には思うのでした。



ちなみに来週2/8の週刊映画時評ムービーウォッチメンは『小さいおうち』みたい!

2014年2月3日月曜日

アメリカン・ハッスル(2013年)



アメリカン・ハッスル

デヴィッド・O・ラッセル監督。アメリカで起こった収賄事件・アブスキャム事件を基に、ラッセルとエリック・ウォーレン・シンガーが脚本。
出演はクリスチャン・ベール、ブラッドレイ・クーパー、エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、ジェニファー・ローレンス。

2013年のアカデミー賞で、『ゼロ・グラビティ』と並んで、最多10部門ノミネートということで、話題にもなり、気になっていた作品。


詐欺師がFBIに協力して、おとり捜査によって汚職政治家たちを逮捕していく、という話なのだが、詐欺師とFBIと政治家と裏社会の人々…と、全員胡散臭く、その魂胆が全く読めず、何をたくらんでいるのかという騙し合いの連続。
しかも、詐欺師グループの中だけでも、アーヴィンとその愛人シドニーと、本妻ロザリンを巡る三角関係もあり、男と女の駆け引きが絡んでくるので、さらに複雑な騙し合いが展開されていく。

うーん…
正直、あれよあれよと物語についていくので精いっぱいで、理解しきれた自信がない(笑)。
常に騙され続けているような感じになってしまい、何も信じれないまま2時間がたっていた…。まんまと、というか。
なので、もう一回観たいです。いや、観ます。なんか、悔しい!

そういう感じで、理解しきれてはいないけど、もう一回観なきゃ!と思える面白さはある。かなり面白いからこそ、理解しきれていない部分が悔しいのです。


騙し合いの中で、エイミー・アダムス演じる愛人シドニーが何度も「リアルがいい」と口にし、クリスチャン・ベール演じるアーヴィンも大きな詐欺は不本意で、巻き込まれていくことに若干ビビッている。二人が望んでいたのは、巨大な詐欺でも騙し合いでもなく、「リアル」だったんだろうな。ふたりが一緒にいることができる「リアル」。
結末の収束には、そこがポイントになってくるような。詐欺師たちの本当の狙いが分かる最後は本当圧巻でした。
全員が全員裏がある、ものすごく壮大な騙し合いなんだけど、そこに注目しすぎて、結構構えすぎて散漫に観てしまった気がする初見だったから、もう1回観るときはアーヴィンとシドニーの関係に注目して落ち着いて観ようと思います。


あと、ジェニファー・ローレンス演じる本妻ロザリンがマジで最高すぎる(笑)。
ラストで、アーヴィンが「ロザリンはやっぱり面白い」、とロザリンのその後を語るところがあるんだけど、まさにその通りという感じ!


あと、これ観ると英語勉強したくなる!たぶん英語ならではの、ギャグとか言い回しがめっちゃあると思うし、字幕追うので精いっぱいになってしまって。
思い出せば、思い出すほど、自分の受け入れ態勢が整ってない鑑賞になってしまって悔しいです。


2014年1月31日金曜日

マトリックス(1999年~)



マトリックス
1999年に『マトリックス』、2003年に『マトリックス リローデッド』、『マトリックス レボリューションズ』が公開された。
監督・脚本はウォシャウスキー兄弟。主演、キアヌ・リーブス。
1999年のアカデミー賞で視覚効果賞、編集賞、音響賞、音響編集賞を受賞。


これ公開されたのって、15年前なんですね…。びっくり。
先日、改めて3作いっきに鑑賞。15年前なんですか?!これ本当に。っていうくらい全然古くなっていない。むしろ今観ても全然新しい!

マトリックス公開時の15年前以降、ネットやコンピューターがの世界が急成長して、これだけ一般的になった今観ると、なんというか、ここからネットやコンピューターの発展が始まったんじゃないかと錯覚するくらい。
それに当時は、ネットの世界自体が成長過程だったから、仮想現実ということに、ピンときてなかったけど、今なら実際に仮想現実までいかないにしても、ネットの中にもう一つ世界があるような現実になってきてるし、抵抗なく理解できた感じがします。

でも、やっぱり15年前という時代を感じるのは、コンピューターの暴走という点では、あの頃いつかくるネットやコンピューターの世界を予見していて、でもまだ確かではない未知な感じの表れなのかなと感じました。
コンピューターとの戦いが銃撃戦だったり、カンフーだったり、すごい斬新だよね(笑)。と、思いつつ、なんだかんだ言っても、あのVFXはものすごくかっこいいです。それこそ、VFXなんてここ15年でいっきに進化したと思うんだけど、その中で全然古くなってないってものすごいことだと思うんですけど!

実際、今はもうネットやコンピューターが身近にあるから、こういう作品は作れないんじゃないかなと思います。想像力に現実が追い付いてきたから。時代性を反映しつつも、古くならない映像で、結局今はもう想像しなくなった世界を描いているから、今見ても古くなることはないのでしょうか。


確か、2003年に『マトリックス リローデッド』、『マトリックス レボリューションズ』が続いて公開された時、プロモーションがすごくて(最近でいう『レ・ミゼラブル』みたいな)、もう見なきゃ!みたいな感じになったことを覚えています。『マトリックス レボリューションズ』を劇場で観る前日、慌てて前の2作を見直したんだよな。

15年という月日を改めて振り返ると、その中で『マトリックス』という映画は、いろんな意味で転換期だったように思えてきました。

2014年1月30日木曜日

恋の渦(2013年)


恋の渦

2006年に上演された劇団ポツドールの三浦大輔による戯曲を、大根仁監督が映画化。
気鋭の監督が受講生と新作を撮るワークショップ「シネマ☆インパクト」の一企画として制作された。出演者はまだ無名の俳優たちばかり。
オーディトリウム渋谷での限定公開だったが、口コミで全国に拡大上映されるようになった。


一言で言うと、「男ダセェ!女こえー!男と女めんどくさっ!(笑)。」という感じですかね(笑)。

男女9人が集まった鍋パーティがすべての始まり。交錯する人間関係、渦巻く思惑、迷走する自意識。
観ていると本当に「あ~あるある!」「あ~いるいるこういうやつ!」の連続!逆にリアルすぎてエグイ部分もありつつ(描写がというよりも、思い当たる節があって…という感じ)。DQNって謳ってるけど、割と誰でもありそうな話(ここまでエグくなくても)。

特に面白いな~って思ったのは、これは鍋パーティがきっかけなんだけど、その鍋パーティでは実際何も起きないんですよ。起きているんだけど、やりすごしていたというか、うわべでワイワイ楽しくみたいな感じで。パーティ中、それぞれの思惑はあるんだけど、露呈することはない。
で、思惑が実際に動き始めるのが終わったあと。携帯を駆使して、目まぐるしく動き、渦巻いていく。ここが本当リアル。
この「腹ん中じゃ、何考えてるか分かんねーぞ!」感!「裏で動いてるのはお前だけじゃねーぞ!感!
観客という神目線で見るものだけが、ただ笑えるというリアル。



9人の若者たちは随所で「怒ってる?」「言いたいことあるなら言ってよ」「ごめんね?」「うざい?」という言葉を発する。若者たちの空気を読む文化の表れという捉え方もできるのかもしれないけど…彼らは、本当に空気読んでるのか?起きていることの本質分かって言ってるのか?相手のこと知ろうとしているのか?
何度も何度もみんながみんな、それを口にするもんだから、これって“空気を読んでいる感”を出すためにしか思えなくなっていった。要するに、全員自分のことでいっぱいいっぱいで、自分のことしか考えていない。だけど、それすら認めていない。そこで魔法の言葉「怒ってる?」「言いたいことあるなら言ってよ」「ごめんね?」「うざい?」が出てくる。そう聞けば相手のことを考えたことになるかのような魔法。

繰り返される馴れ合いの中、実際何も見えていないっていうね。



正直、魅力的なキャラは1人もいない。ダメな部分を引き延ばしたかのような個性を持つ面々。
なんだかんだユウジとオサムが一人で泣きながら電話しているの見てスカッとしたし、ユウタとタカシの友情も最後気持ちよく消化され、ナオキの知らない真実を知ると「ざまあみろ」となる。
ただ、カオリ!この女、もっと痛い目合って欲しかったな(笑)。ユウタの最後の選択がなかったら…なんて、恐ろしいことも考えてみたり…。

個人的には、ブス女ユウコが一番いいやつだなと思いました。顔じゃないね、中身だよ(笑)。



この見えないヒエラルキー、あるあるシリーズは、『桐島、部活やめるってよ。』に似ています。そして、口コミで広がったという点も。見えないヒエラルキー、あるあるシリーズだからこそ、口コミで広がりやすいってこともあるんでしょうね~。

でも、どちらも「あるある~」ってなるけど、その「あるある」の部分って結構、自分の痛いところだったりするような…。あと、他人が恋だ、愛だ、好きだ、嫌いだー!って、もがいているのはやっぱり滑稽に映ってしまうんだね。現実世界では、その滑稽さの中に自分もいるんだけど(笑)。

他人の痛い部分を通して見て、自分の痛い部分を笑い飛ばそうとしてるのかな。






2014年1月24日金曜日

きょうのできごと a day on the planet(2004年)



きょうのできごと a day on the planet

柴崎友香の単行本デビュー作を原作とした、日本映画。
監督・行定勲。出演・田中麗奈、妻夫木聡、伊藤歩、柏原収史。

大学生の何てことのない飲み会を中心に、ある1日を描いた物語。夜からはじまる1日というところが大学生っぽい!
世界が少しずつつながってる系の物語なので、もちろん好きなやつ。(“少しずつ”というところが結構、個人的ツボなのかもと最近気づいた。あくまで“少しずつ”。)

京都の友人宅で催された男4人、女2人の引越しパーティーを中心に物語が進んでいきます。劇的な展開はないです。はい。ないし、彼らには特に大きな事件は起きない(ある意味事件というような、酔っ払いの粗相はあるか 笑)。その外の世界では誰か別の人のの「きょうのできごと」が起きているわけで。
“おれらの知らへんうちにいろんなところで、いろんなことが起きてるんやな。”というセリフがあるように、誰かにとって何てことのない引越しパーティーの1日でも、別の誰かにとっては大変な1日だったりする。そして、じゃあ、それは無関係なことかって言われたら案外関わっていたりするんだよね。遠いところで。その距離感がすごくいい。

あと、“もうきょうが終わるね”や、“あしたになった”“違うよきょうになったんだよ”という「きょう」という会話がちょこちょこ出てくる。誰かの「きょうのできごと」が自分の「きょうのできごと」につながっているかもしれないし、「きょう」は「あした」につながっているし。世界は意識してないところで、色々とつながってつながってつながって続いていくんだね、というカタルシスを味わうことができるのではないだろうか。

と言っても、そんなこと日常考えないし、この映画自体も「つながってるんだよ!ね!ね!」なんて、感じはまったくない。「あ…言われてみればそうなのかもね。」というゆるいテンション。それが心地いい。



そしてこの映画の魅力は、モラトリアムまっただ中の大学生ということ!これを初めて観たのは高校卒業したばかりの春休みで、当時はそんなにおもしろさ分からなかったんだけど、今なら分かる。あの1日を経験した今なら分かります。

あの家はシェアハウスなのかな?とにかく、大きな家での飲み会、それぞれ勝手なことをし出す感じあるよね。髪切るやついるよね。ゲームするやついるよね。恋バナするやつ、機嫌悪くなるやつ、電話しだすやつ…ああ、いるいる。朝方なぜか出かけたくなるやつ、やりました。母校行きました。ふと、ニュース見て、「こんな事件あったの?」って、飲み会後の浦島太郎気分…なつかしい。


この映画を観ると、今なら思い出す風景があります。西新宿、方南町、桜新町、西永福、豪徳寺。何をするわけでもない「きょうのできごと」の先に今があるからこそ分かるようになった感覚なんでしょう。
そのいつか埋もれてしまうけど、記憶のどこかにはちゃんとある「きょうのできごと」という感じが、この映画にもあると思いました。

2014年1月23日木曜日

クラウド アトラス(2012年)



クラウド アトラス』(2012年)

2004年に発表されたデイヴィッド・ミッチェルの小説『クラウド・アトラス』を原作とするSFドラマ映画。
1849年、2144年、2321年の物語をウォシャウスキー姉弟が監督。1936年、1973年、2012年の物語をトム・ティクヴァが監督。
トム・ハンクス、ハル・ベリーなどがそれぞれ複数の人物を演じている。

映画は19世紀から文明崩壊後までの異なる時代に舞台を置いた6つの物語を同時進行的に一度に描いている。

6つ一気に進行していくし、1つ1つの切り替えが早くついていくのが大変でした。
特殊メイクもすごくて、一瞬誰か分からないこともあったり…。かなり密度が濃いので、正直ちゃんと理解できている自信はないです。40%くらいは理解できたのかな…。そんなわけで、理解しきれている自身がないので、解釈の齟齬があるかもしれないので、そこはご容赦ください。

でも、6つそれぞれ時代背景やシチュエーションも違うし、コメディ、サスペンス、恋愛などジャンルも違うから、1つ1つの区別は明確です。あと、テンポがいいから、ついていくのは大変だけど、3時間もあるが飽きることはないですね。飽きる暇がないとも言えるけど。



要するに“輪廻転生”のお話。時代を越え、場所を越え、再び関わり合っていく。関係性は少しずつ違うから、「来世でもまた会おうね!」的な単純さはないです。輪廻転生して、それが結末でカタルシスにつながるのか…?と思っていたら、そうでもなかったようです。1つ1つの物語でそれぞれの問題が解決し、それが結果として映画全体のカタルシスへと昇華される。
「おお!」と、思った。この結末の方が断然おしゃれでしょ!リアルというか(輪廻転生がリアルかどうかは、置いておいて)。
過去と未来はつながっているし、輪廻転生があったとしても、それが直接に作用するなんて…。何というか、そんな結末だったら、ちょっと醒めてしまったんじゃないかな。私は、ということですが。


それとあと、1つ1つの物語のつなげ方がいちいち全部かっこいい。
1973年で電話のシーンで次の世界に切り替わったら、2012年の世界は電話のシーンから始まるとか。
車が到着したところで切り替われば、別の世界で車から降りてくるシーンから始まったり。そういう切り替えが多く、それが最初は偶然かと思いきや、絶対意図的でしょというくらい多発かつ、鮮やか!
パラレル・ワールドなのかっていうくらいシンクロしてるから、一瞬戸惑うんだけど、時代が違う訳で。そんな感じで、1つ1つの物語の盛り上がりやドキドキのタイミングも併せているんだよね。その盛り上がりを誘発する出来事の大きさの大小の差こそあれ。6つ一緒に進んでいく意味が生きている感じがしました。

ワタクシゴトかつ映画に関係ないことですが…。
パラレルに展開する世界をめぐる思考”の3つの住宅でやりたかったことはこういうことだったのかも。というか、こういうことを木下先生とか藤木先生は言って欲しかったのかな~と。論文やる前に観たかったわ(笑)。


なので、めちゃめちゃ好きな世界観と展開と構造なんです。
なので、なので、理解しきれていないのが悔しい!もう一度、整理しながら観たい!むしろ、観なくちゃいけない気がしています。


この映画、ものすごく豪華な監督(マトリックスの監督)、出演陣だし、製作費もすごいかかっているだろうし、ハリウッド超大作なんだけど、何で日本ではあまり話題にならなかったのか、公開期間や上映館が少なかったのか謎だったんだけど分かった気がした(笑)。
PG12指定もあるけど、難しい!おもしろいけど、口コミできるほど自分が理解しているか自信を持てないし、だからと言ってもう一回観直すにはやっぱり長いという…。なんとなく、納得でした。(実は、たまむすびで褒めていたので、当時から気になっていたんだけど、上映館数の少なさと公開期間の短さに劇場で観れなかったんだよね。)


2014年1月22日水曜日

アフタースクール(2008年)



アフタースクール』(2008年)

脚本/監督・内田けんじ。出演・大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子。

鍵泥棒のメソッド』同様、最後に明かされるドンデン返しが見ものの映画。
そんなわけで、これも結構好きな展開。

伏線の張り方がうまいんだけど、やっぱりその点は若干『鍵泥棒のメソッド』の方が上の印象でした。伏線をパラパラと撒きすぎて、前半は「で、何なの?」とちょっと、やきもきしてしまう感じは否めないかな。
でも、100分くらいの短めの物語なので、「何なの?」と思いつつも観ているうちにドタバタと展開が動き、タネが明かされるので、緩急ついてちょうどいいとも取れるかもしれませんが。
設定もなかなかおもしろい設定だし、キャストもいいから、その「何なの?」感はそんなに気にならならないしね。


設定は、アフタースクール=放課後ってことで、中学の同級生たちのその後の話。洋ちゃんは大人になって、教師をやっているんだけど、洋ちゃんが担任の先生ってめっちゃ楽しそうでしょ!うらやましい…。まあ、その辺りの「学校」の設定が最後に微妙につながっていきます。

堺雅人は、最近にはない地味~な役。こういう地味な堺雅人結構好きなんですが…。南極料理人とか。『半沢直樹』、『リーガルハイ』でヒットしてしまったので、減ってしまうかと思うとさみしいです。


堺雅人が地味な役と言ったけど、洋ちゃんも佐々木蔵之介もあまり特徴のない役どころ。キャラがそれぞれ際立っていないのは、伏線やドンデン返しを目立たせるためなのでしょうか?もう少しキャラ立たせてもいいなという印象。「何なの?」の理由は、ちょっと登場人物の個性がなかなか入ってこないことも原因のひとつのような気がしています。

「何なの?」「何なの?」を連呼していますが、この「何なの?」はラストで綺麗いに拭えます!それもスッキリ爽快に。「おお!」という感嘆文と共に。なので、ご安心を。この監督の、ラストのタネ明かしのスピード感は、本当にうまいなあ~と思います。


最後にひとつ言っておきたいのは、この映画のラストの洋ちゃんはめちゃめちゃかっこいいです!ハードボイルドでかっこつけている(『探偵はBarにいる』の探偵)洋ちゃんより、何ならかっこいい。洋ちゃんの最後の一言を聞くためだけに観てもいいくらいです(←と、言っても話は断然おもしろいので!)