2014年1月31日金曜日

マトリックス(1999年~)



マトリックス
1999年に『マトリックス』、2003年に『マトリックス リローデッド』、『マトリックス レボリューションズ』が公開された。
監督・脚本はウォシャウスキー兄弟。主演、キアヌ・リーブス。
1999年のアカデミー賞で視覚効果賞、編集賞、音響賞、音響編集賞を受賞。


これ公開されたのって、15年前なんですね…。びっくり。
先日、改めて3作いっきに鑑賞。15年前なんですか?!これ本当に。っていうくらい全然古くなっていない。むしろ今観ても全然新しい!

マトリックス公開時の15年前以降、ネットやコンピューターがの世界が急成長して、これだけ一般的になった今観ると、なんというか、ここからネットやコンピューターの発展が始まったんじゃないかと錯覚するくらい。
それに当時は、ネットの世界自体が成長過程だったから、仮想現実ということに、ピンときてなかったけど、今なら実際に仮想現実までいかないにしても、ネットの中にもう一つ世界があるような現実になってきてるし、抵抗なく理解できた感じがします。

でも、やっぱり15年前という時代を感じるのは、コンピューターの暴走という点では、あの頃いつかくるネットやコンピューターの世界を予見していて、でもまだ確かではない未知な感じの表れなのかなと感じました。
コンピューターとの戦いが銃撃戦だったり、カンフーだったり、すごい斬新だよね(笑)。と、思いつつ、なんだかんだ言っても、あのVFXはものすごくかっこいいです。それこそ、VFXなんてここ15年でいっきに進化したと思うんだけど、その中で全然古くなってないってものすごいことだと思うんですけど!

実際、今はもうネットやコンピューターが身近にあるから、こういう作品は作れないんじゃないかなと思います。想像力に現実が追い付いてきたから。時代性を反映しつつも、古くならない映像で、結局今はもう想像しなくなった世界を描いているから、今見ても古くなることはないのでしょうか。


確か、2003年に『マトリックス リローデッド』、『マトリックス レボリューションズ』が続いて公開された時、プロモーションがすごくて(最近でいう『レ・ミゼラブル』みたいな)、もう見なきゃ!みたいな感じになったことを覚えています。『マトリックス レボリューションズ』を劇場で観る前日、慌てて前の2作を見直したんだよな。

15年という月日を改めて振り返ると、その中で『マトリックス』という映画は、いろんな意味で転換期だったように思えてきました。

2014年1月30日木曜日

恋の渦(2013年)


恋の渦

2006年に上演された劇団ポツドールの三浦大輔による戯曲を、大根仁監督が映画化。
気鋭の監督が受講生と新作を撮るワークショップ「シネマ☆インパクト」の一企画として制作された。出演者はまだ無名の俳優たちばかり。
オーディトリウム渋谷での限定公開だったが、口コミで全国に拡大上映されるようになった。


一言で言うと、「男ダセェ!女こえー!男と女めんどくさっ!(笑)。」という感じですかね(笑)。

男女9人が集まった鍋パーティがすべての始まり。交錯する人間関係、渦巻く思惑、迷走する自意識。
観ていると本当に「あ~あるある!」「あ~いるいるこういうやつ!」の連続!逆にリアルすぎてエグイ部分もありつつ(描写がというよりも、思い当たる節があって…という感じ)。DQNって謳ってるけど、割と誰でもありそうな話(ここまでエグくなくても)。

特に面白いな~って思ったのは、これは鍋パーティがきっかけなんだけど、その鍋パーティでは実際何も起きないんですよ。起きているんだけど、やりすごしていたというか、うわべでワイワイ楽しくみたいな感じで。パーティ中、それぞれの思惑はあるんだけど、露呈することはない。
で、思惑が実際に動き始めるのが終わったあと。携帯を駆使して、目まぐるしく動き、渦巻いていく。ここが本当リアル。
この「腹ん中じゃ、何考えてるか分かんねーぞ!」感!「裏で動いてるのはお前だけじゃねーぞ!感!
観客という神目線で見るものだけが、ただ笑えるというリアル。



9人の若者たちは随所で「怒ってる?」「言いたいことあるなら言ってよ」「ごめんね?」「うざい?」という言葉を発する。若者たちの空気を読む文化の表れという捉え方もできるのかもしれないけど…彼らは、本当に空気読んでるのか?起きていることの本質分かって言ってるのか?相手のこと知ろうとしているのか?
何度も何度もみんながみんな、それを口にするもんだから、これって“空気を読んでいる感”を出すためにしか思えなくなっていった。要するに、全員自分のことでいっぱいいっぱいで、自分のことしか考えていない。だけど、それすら認めていない。そこで魔法の言葉「怒ってる?」「言いたいことあるなら言ってよ」「ごめんね?」「うざい?」が出てくる。そう聞けば相手のことを考えたことになるかのような魔法。

繰り返される馴れ合いの中、実際何も見えていないっていうね。



正直、魅力的なキャラは1人もいない。ダメな部分を引き延ばしたかのような個性を持つ面々。
なんだかんだユウジとオサムが一人で泣きながら電話しているの見てスカッとしたし、ユウタとタカシの友情も最後気持ちよく消化され、ナオキの知らない真実を知ると「ざまあみろ」となる。
ただ、カオリ!この女、もっと痛い目合って欲しかったな(笑)。ユウタの最後の選択がなかったら…なんて、恐ろしいことも考えてみたり…。

個人的には、ブス女ユウコが一番いいやつだなと思いました。顔じゃないね、中身だよ(笑)。



この見えないヒエラルキー、あるあるシリーズは、『桐島、部活やめるってよ。』に似ています。そして、口コミで広がったという点も。見えないヒエラルキー、あるあるシリーズだからこそ、口コミで広がりやすいってこともあるんでしょうね~。

でも、どちらも「あるある~」ってなるけど、その「あるある」の部分って結構、自分の痛いところだったりするような…。あと、他人が恋だ、愛だ、好きだ、嫌いだー!って、もがいているのはやっぱり滑稽に映ってしまうんだね。現実世界では、その滑稽さの中に自分もいるんだけど(笑)。

他人の痛い部分を通して見て、自分の痛い部分を笑い飛ばそうとしてるのかな。






2014年1月24日金曜日

きょうのできごと a day on the planet(2004年)



きょうのできごと a day on the planet

柴崎友香の単行本デビュー作を原作とした、日本映画。
監督・行定勲。出演・田中麗奈、妻夫木聡、伊藤歩、柏原収史。

大学生の何てことのない飲み会を中心に、ある1日を描いた物語。夜からはじまる1日というところが大学生っぽい!
世界が少しずつつながってる系の物語なので、もちろん好きなやつ。(“少しずつ”というところが結構、個人的ツボなのかもと最近気づいた。あくまで“少しずつ”。)

京都の友人宅で催された男4人、女2人の引越しパーティーを中心に物語が進んでいきます。劇的な展開はないです。はい。ないし、彼らには特に大きな事件は起きない(ある意味事件というような、酔っ払いの粗相はあるか 笑)。その外の世界では誰か別の人のの「きょうのできごと」が起きているわけで。
“おれらの知らへんうちにいろんなところで、いろんなことが起きてるんやな。”というセリフがあるように、誰かにとって何てことのない引越しパーティーの1日でも、別の誰かにとっては大変な1日だったりする。そして、じゃあ、それは無関係なことかって言われたら案外関わっていたりするんだよね。遠いところで。その距離感がすごくいい。

あと、“もうきょうが終わるね”や、“あしたになった”“違うよきょうになったんだよ”という「きょう」という会話がちょこちょこ出てくる。誰かの「きょうのできごと」が自分の「きょうのできごと」につながっているかもしれないし、「きょう」は「あした」につながっているし。世界は意識してないところで、色々とつながってつながってつながって続いていくんだね、というカタルシスを味わうことができるのではないだろうか。

と言っても、そんなこと日常考えないし、この映画自体も「つながってるんだよ!ね!ね!」なんて、感じはまったくない。「あ…言われてみればそうなのかもね。」というゆるいテンション。それが心地いい。



そしてこの映画の魅力は、モラトリアムまっただ中の大学生ということ!これを初めて観たのは高校卒業したばかりの春休みで、当時はそんなにおもしろさ分からなかったんだけど、今なら分かる。あの1日を経験した今なら分かります。

あの家はシェアハウスなのかな?とにかく、大きな家での飲み会、それぞれ勝手なことをし出す感じあるよね。髪切るやついるよね。ゲームするやついるよね。恋バナするやつ、機嫌悪くなるやつ、電話しだすやつ…ああ、いるいる。朝方なぜか出かけたくなるやつ、やりました。母校行きました。ふと、ニュース見て、「こんな事件あったの?」って、飲み会後の浦島太郎気分…なつかしい。


この映画を観ると、今なら思い出す風景があります。西新宿、方南町、桜新町、西永福、豪徳寺。何をするわけでもない「きょうのできごと」の先に今があるからこそ分かるようになった感覚なんでしょう。
そのいつか埋もれてしまうけど、記憶のどこかにはちゃんとある「きょうのできごと」という感じが、この映画にもあると思いました。

2014年1月23日木曜日

クラウド アトラス(2012年)



クラウド アトラス』(2012年)

2004年に発表されたデイヴィッド・ミッチェルの小説『クラウド・アトラス』を原作とするSFドラマ映画。
1849年、2144年、2321年の物語をウォシャウスキー姉弟が監督。1936年、1973年、2012年の物語をトム・ティクヴァが監督。
トム・ハンクス、ハル・ベリーなどがそれぞれ複数の人物を演じている。

映画は19世紀から文明崩壊後までの異なる時代に舞台を置いた6つの物語を同時進行的に一度に描いている。

6つ一気に進行していくし、1つ1つの切り替えが早くついていくのが大変でした。
特殊メイクもすごくて、一瞬誰か分からないこともあったり…。かなり密度が濃いので、正直ちゃんと理解できている自信はないです。40%くらいは理解できたのかな…。そんなわけで、理解しきれている自身がないので、解釈の齟齬があるかもしれないので、そこはご容赦ください。

でも、6つそれぞれ時代背景やシチュエーションも違うし、コメディ、サスペンス、恋愛などジャンルも違うから、1つ1つの区別は明確です。あと、テンポがいいから、ついていくのは大変だけど、3時間もあるが飽きることはないですね。飽きる暇がないとも言えるけど。



要するに“輪廻転生”のお話。時代を越え、場所を越え、再び関わり合っていく。関係性は少しずつ違うから、「来世でもまた会おうね!」的な単純さはないです。輪廻転生して、それが結末でカタルシスにつながるのか…?と思っていたら、そうでもなかったようです。1つ1つの物語でそれぞれの問題が解決し、それが結果として映画全体のカタルシスへと昇華される。
「おお!」と、思った。この結末の方が断然おしゃれでしょ!リアルというか(輪廻転生がリアルかどうかは、置いておいて)。
過去と未来はつながっているし、輪廻転生があったとしても、それが直接に作用するなんて…。何というか、そんな結末だったら、ちょっと醒めてしまったんじゃないかな。私は、ということですが。


それとあと、1つ1つの物語のつなげ方がいちいち全部かっこいい。
1973年で電話のシーンで次の世界に切り替わったら、2012年の世界は電話のシーンから始まるとか。
車が到着したところで切り替われば、別の世界で車から降りてくるシーンから始まったり。そういう切り替えが多く、それが最初は偶然かと思いきや、絶対意図的でしょというくらい多発かつ、鮮やか!
パラレル・ワールドなのかっていうくらいシンクロしてるから、一瞬戸惑うんだけど、時代が違う訳で。そんな感じで、1つ1つの物語の盛り上がりやドキドキのタイミングも併せているんだよね。その盛り上がりを誘発する出来事の大きさの大小の差こそあれ。6つ一緒に進んでいく意味が生きている感じがしました。

ワタクシゴトかつ映画に関係ないことですが…。
パラレルに展開する世界をめぐる思考”の3つの住宅でやりたかったことはこういうことだったのかも。というか、こういうことを木下先生とか藤木先生は言って欲しかったのかな~と。論文やる前に観たかったわ(笑)。


なので、めちゃめちゃ好きな世界観と展開と構造なんです。
なので、なので、理解しきれていないのが悔しい!もう一度、整理しながら観たい!むしろ、観なくちゃいけない気がしています。


この映画、ものすごく豪華な監督(マトリックスの監督)、出演陣だし、製作費もすごいかかっているだろうし、ハリウッド超大作なんだけど、何で日本ではあまり話題にならなかったのか、公開期間や上映館が少なかったのか謎だったんだけど分かった気がした(笑)。
PG12指定もあるけど、難しい!おもしろいけど、口コミできるほど自分が理解しているか自信を持てないし、だからと言ってもう一回観直すにはやっぱり長いという…。なんとなく、納得でした。(実は、たまむすびで褒めていたので、当時から気になっていたんだけど、上映館数の少なさと公開期間の短さに劇場で観れなかったんだよね。)


2014年1月22日水曜日

アフタースクール(2008年)



アフタースクール』(2008年)

脚本/監督・内田けんじ。出演・大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子。

鍵泥棒のメソッド』同様、最後に明かされるドンデン返しが見ものの映画。
そんなわけで、これも結構好きな展開。

伏線の張り方がうまいんだけど、やっぱりその点は若干『鍵泥棒のメソッド』の方が上の印象でした。伏線をパラパラと撒きすぎて、前半は「で、何なの?」とちょっと、やきもきしてしまう感じは否めないかな。
でも、100分くらいの短めの物語なので、「何なの?」と思いつつも観ているうちにドタバタと展開が動き、タネが明かされるので、緩急ついてちょうどいいとも取れるかもしれませんが。
設定もなかなかおもしろい設定だし、キャストもいいから、その「何なの?」感はそんなに気にならならないしね。


設定は、アフタースクール=放課後ってことで、中学の同級生たちのその後の話。洋ちゃんは大人になって、教師をやっているんだけど、洋ちゃんが担任の先生ってめっちゃ楽しそうでしょ!うらやましい…。まあ、その辺りの「学校」の設定が最後に微妙につながっていきます。

堺雅人は、最近にはない地味~な役。こういう地味な堺雅人結構好きなんですが…。南極料理人とか。『半沢直樹』、『リーガルハイ』でヒットしてしまったので、減ってしまうかと思うとさみしいです。


堺雅人が地味な役と言ったけど、洋ちゃんも佐々木蔵之介もあまり特徴のない役どころ。キャラがそれぞれ際立っていないのは、伏線やドンデン返しを目立たせるためなのでしょうか?もう少しキャラ立たせてもいいなという印象。「何なの?」の理由は、ちょっと登場人物の個性がなかなか入ってこないことも原因のひとつのような気がしています。

「何なの?」「何なの?」を連呼していますが、この「何なの?」はラストで綺麗いに拭えます!それもスッキリ爽快に。「おお!」という感嘆文と共に。なので、ご安心を。この監督の、ラストのタネ明かしのスピード感は、本当にうまいなあ~と思います。


最後にひとつ言っておきたいのは、この映画のラストの洋ちゃんはめちゃめちゃかっこいいです!ハードボイルドでかっこつけている(『探偵はBarにいる』の探偵)洋ちゃんより、何ならかっこいい。洋ちゃんの最後の一言を聞くためだけに観てもいいくらいです(←と、言っても話は断然おもしろいので!)

2014年1月21日火曜日

東京家族(2013年)



東京家族


小津安二郎監督による『東京物語』(1953年松竹)のリメイク。
監督・山田洋次、出演・橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優。

最初に一言。すみません…本家の『東京物語』を観ていないので、比較ができないので『東京家族』を観た感想だけを書きます。近いうちに必ず鑑賞します。

いやあ、よかったです。これが日本映画というやつなんですか?のんびり進んでいく家族の物語で、クスッと笑えて、あ~あるあると共感して、最後には泣いていました。
ただ、自分の年齢のせいなのか、橋爪功、吉行和子が演じる夫婦がどうしても親というより祖父母として観てしまったかな(67歳という設定なので、母と祖父母とのちょうど間なんですが…)。
妻夫木聡演じる昌次と、吉行和子演じる母との会話とか、まさに自分とおばあちゃんの会話でした。心配させてる、ダメ息子(ダメ孫娘)という立場からしても…。

大震災のことも少し入っているんだけど、日本中誰でも大震災の影響や関わりは何らかの形であるはずで、その出し方がすごくさりげなくてよかった。
このあいだ読んだ、園監督の『非道に生きる』という本で、園監督が“震災後”の日本で映画を撮るということについて語っていたが、まさにそれで、やはり今後日本で何かを作るということは少なからず“震災後”という因子は考慮すべきなんだろうと思っていたところ、こういう形ではからずも“震災後”の日本映画に出会えました。
『東京家族』のコピー“これは、あなたの物語です。”が表すように、さりげないながら“震災後”の私たちの物語として成り立っているように思えました。
(震災後に脚本の一部を直しているみたいですね。)



一番好きなシーンは、蒼井優演じる昌次の彼女・紀子と橋爪功演じる父・周吉のシーン。
幼いころからずっとギクシャクしていた父と昌次だったが、紀子の存在を介してお互いを知ることとなるところ。父親は、紀子という「感じのいい人」を連れてきたことで昌次を一人の男として認めることになり、昌次はそんな「感じのいい人」紀子ですら認めてくれないのではないかと危惧し、母親に仲介してもらおうと思っていた父が紀子を認めてくれたことで、心にあったわだかまりが解ける。
確かに親子って直接見つめ合うとぶつかるけど、誰か第三者を通して分かり合えるっていうのはあるのかも。
何かものすごい綺麗事のような、感想になっていまったけれど。


あと、お父さんがお母さんがいなくなった時の心もとない感じがとても切なかったです。うちのおじいちゃんとおばあちゃんがまさにそんな感じなので。おじいちゃん、おばあちゃんに会いたくなった!
わお。これまた、何かものすごい綺麗事のような、感想になっていまったけれど。


『東京物語』もぜひ観なくてはいけないな。カットとか結構オマージュしているみただし気になるところです。セリフが古臭い感じなのも、リメイクということでなのかな?(「○○なのよ。」とか、30前後の女の子が彼氏に使わないでしょ笑。)
でも、どちらも観て比べてみようと思います。

そして、最後まで模範解答みたいな感想になってしまった…。


あ、ひとつ気になったのが、西村雅彦ってあんな演技下手でした?
棒読み感がハンパなくて気になりました。

2014年1月20日月曜日

メイジーの瞳(2014年)



メイジーの瞳

監督:スコット・マクギー、デヴィッド・シーゲル、原作:ヘンリー・ジェイムズ、出演:ジュリアン・ムーア、アレキサンダー・スカルスガルド、オナタ・アプリール、ジョアンナ・ヴァンダーハム、スティーヴ・クーガン。


NYに暮らす6歳のメイジー。アートディーラーの父とロック歌手の母(ジュリアン・ムーア)が離婚、彼らの家を10日ごとに行き来することになる。元ベビーシッターのマーゴが父の新しい奥さんになり、母の新しい夫リンカーンも加わり、メイジーは大人たちの身勝手な事情に振り回されていく。


ナカメキノ」にて、公開に先行して鑑賞。
このイベントでセレクトする作品がかなりツボなので、期待して観たみたところ、期待以上の作品でした。


※以下、ネタバレ含む。

メイジーの視線
『メイジーの瞳』が表すように、この作品はすべてメイジーの視線=メイジーの瞳に映るものだけが描かれています。なので、メイジーの知らないこと、見ていないことは徹底して描かれていない。そのあたりは原題の『What Maisie Knew(=メイジーの知っていること)』がよく表しているかも。
カメラの高さも低く、6歳児の目線の高さを意識しているみたいです。

メイジーの視線を通して大人たちの世界を見ると、子供が意外といろんなことを見ていること、そして見ていないフリをしていることを思い知らされる。メイジーは大人たちの喧嘩や恋愛関係…など、本当はいろいろなものを見ていて、でも気づかないフリをしている。その映像の表現も秀逸で、メイジーが見ていないフリをして、視線を逸らすものだから、観客として観ているこちら側からすると、チラっと視界に入り込むパパとマーゴや、遠くで聞こえる大人たちの喧嘩などすべてを知ることができなくなってしまう。6歳児がとっさに「これは見てはいけないもの」と判断するのに対し、こちら側は「んん?」と案外にぶい反応をしてしまうのが、結構リアルかもと思った。メイジーは頭で考えてそうしたわけではなくて、“本能的”な判断でなのだろうから、子供の洞察力はなめてはいけないな。


メイジーの選択
メイジーは大人たちに振り回され、最後にある選択をします。
それもまた“本能”での選択なのではないかと感じました。パパもママももちろん大好き。だけど、夜の街に取り残されたひとりぼっちになったとき、帰りたいと名前を出したのはマーゴだった。一緒に遊んでくれて、楽しませてくれるのはリンカーンだった。ある時からパパとママの登場が明らかに減っていきます。さっきも言ったように、この映画はメイジーの視線で撮られているので、メイジーの世界にパパとママはいないということを、何よりも象徴しているのでしょう。

ナカメキノの鑑賞後のトークショーで映画文筆家の松崎さんが「どの世界が一番幸せなのか、パパとママが仲良しの世界よりももっと幸せなのは、メイジーのいない世界。」というような話をしていました。確かにそうでしょう。残酷だけど。メイジーもきっとパパとママの喧嘩も、パパとマーゴがうまくいかなかったのも、ママとリンカーンがうまくいかないのも、全部自分のせいだと感じている。じゃあ、メイジーが「自分させいなくなれば」という発想になるか?と、言ったらならないんじゃないかと感じました。メイジーはたぶん“本能”で生きていく選択をして、生かしてくれる人を選択したのではないでしょうか。
6歳の女の子に「自分させいなくなれば」なんて想像をさせたくないという、願望も含め、マーゴとリンカーンがうまくいくことを願います。メイジーの存在を肯定できる「メイジーがいたこと」がつなげた縁なのだから。



すごくワタクシゴトを少し。
両親の喧嘩のシーンを見て、いろいろ思い出しました。小さい頃のことを。隣の部屋で喧嘩している声、気になるけど聞いちゃいけない感じ、何かが変わっていく予感、知らない大人、その人と仲良くなる術、変わってしまった生活に違和感を感じていないフリ、知らないフリ、気づかないフリ、あほのフリ、子供のフリ、大丈夫なフリ。
当時のことは、正直あまり記憶にないのはそんないろんな“フリ”をしていたからなのかもしれない。したたかな子供だったのかもしれないし、メイジーを見ていたら、もしかしたらどこかで“本能的”に、生きていくためにそんないろんな“フリ”をしてきたのかもしれないと感じました。
子供は全部見ているし、知っているけど、その先のことはやっぱり考えてはいないんだと思う。その先は“本能”できっと選択しているんじゃないでしょうか。
うちも6歳くらいで離婚していて、その当時の自分に照らし合わせるとそう思いました。

メイジーが最後に、桟橋を走っているところを見てものすごい生命力を感じました。生きていくんだ、という。それもやっぱり、“本能”から湧き出るような。




他にも、ものすごくいいシーンが盛りだくさんで言いたいことはいっぱいあるんだけど…、ファッションもものすごくかわいいし、映像もすてきだし、アレキサンダー・スカルスガルドもめちゃくちゃかっこいいし。

ボビー・フィッシャーを探して(1993年)



ボビー・フィッシャーを探して』(1993年)

実在の天才少年チェスプレイヤーのジョシュ・ウェイツキンの父親フレッドが、ジョシュの生活を綴った本をスティーヴン・ザイリアン脚本・監督で映画化。


7才のジョシュ・ウェイツキンがたまたま公園でストリート・チェスを見たことがきっかけで、その並外れた才能を開花させ、チェスの世界へ入っていく。

この映画は、アメリカン・フィルム・インスティチューが選ぶ、「感動の映画ベスト100」にも選ばれているみたいで、本当に涙なしじゃ見れない映画。2回見たけど、2回とも号泣しました。

いち早くその才能に気付いた母親、その才能を開花させようと動く父親、ストリート・チェスで勢いのある攻めのチェスを叩き込むヴィニー、チェスの名手として知られ考えるチェスを教えるコーチのブルース。ジョシュを取り巻く様々な大人たちがみんな、ジョシュを勝たせようといろいろとするが、自分たちの勝負の方法や考えを押し付ける中、ジョシュ自身をただひたすらに見守る母親が、本当にすばらしい。
自分の子供がたぐいまれなる才能に恵まれていると知った時、果たしてあのように振る舞えるのだろうか?お父さんのように、その才能を活かすことに夢中になってしまう気がしてならない。お母さんは、ジョシュのみを見つめている。チェスが強くても強くなくても、勝っても負けても、野球が好きでも、ストリート・チェスが好きでも、どんなときもただジョシュ自身を見つめ、やりたいことをやらせ、ジョシュに無理を強いる人がいれば全力で守る。そんな母がいたからこそ、ジョシュは再びチェスの世界に戻ることができ、決勝戦では優しさを持った勝者になれたんだと思う。

最後の勝負は本当にずるい!まわりの誰も悪者にしない映画にする勝負を見せつけられるんだから。


チェスはなかなか日本じゃメジャーじゃなく、とっつきにくい感じがあるけど、この映画はスピード感のある演出で、物語の勢いに一気に乗れるので、その心配はないです。展開がただ早いんじゃなく、スピードの緩急とか喧噪と静寂の出しわけがすばらしい。
個人的にすごく好きな小説に「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川洋子・著)があり、チェスの芸術的かつ数学的、哲学的な世界観も好きなのですが、その辺もさらりと盛り込んでいて、ますますチェスに興味も持ってしまいました。(実際に自分でやるとなると別で、その世界観に興味があるということですが)

この映画でチェスに興味を持ったら、「猫を抱いて象と泳ぐ」もおすすめです!

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(2007年)



腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007年)

本谷有希子による戯曲を原作とした映画。
監督・脚本: 吉田大八。佐藤江梨子、佐津川愛美 、永瀬正敏、永作博美が出演。


サトエリ、佐津川愛美、永瀬正敏演じる家族が、まじで全員どうしようもなさすぎで、救いがないくて、永作博美演じる待子さんが唯一の癒し?と思いきや、能天気すぎて逆に一番怖いんじゃないかって思えてきてしまった(笑)。
サトエリの痛い女っぷりが気持ちいいし、佐津川愛美のブラックっぷりも気持ちいいし、永瀬正敏のただのダメなやつもいい感じ。

もうダメさ突き抜けてくれ!って、思ってきた矢先に、サトエリが赦しちゃうもんだから、ハッピーエンドとか期待していないんだけど…と、テンション下がってきたら、妹が本性を現し、いいぞ!と思ったら、サトエリ意外とおとなしくて、これまたテンション下がってきたところ…きちんと期待を裏切らないでくれました。
「私をネタにするんなら最後まで見なさいよ!」で、スカッとしたカタルシスに達した。(結末に関しては、賛否両論あるみたいだけど)


田舎という小さな閉塞の世界で、和合家の3人が3にとも「ここではない何か」にすがってぶつかりあっていく。ある種、家族支えあってるともいえるんじゃないかっていう状態で、恨み憎しみ合いの上に均衡が保っていたのかも。


めちゃくちゃブラックなコメディで、「おいおいおいおい、まじかよ。」の、連発なんだけど、観終わった後スッキリします。きれいにまとまる結末ではないので、そのスッキリの理由をうまく説明できないんだけど、桐島と同じ監督と言われれば、なんとなく納得してしまいました。

死ぬまでにしたい10のこと(2003年)



死ぬまでにしたい10のこと』2003年

イザベル・コイシェ監督・脚本。原作はナンシー・キンケイドの短編。
サラ・ポーリー主演。
原題は『My Life Without Me』

カナダのバンクーバーが舞台。幼い娘2人と失業中の夫と共に暮らすアンは、ある日腹痛のために病院に運ばれ、検査を受ける。その結果、癌であることが分かり、23歳にして余命2ヶ月の宣告を受けてしまう。その事実を誰にも告げないことを決めたアンは、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出し、一つずつ実行してゆく。


淡々と進んでいく日常が、リアルで、あまりにも淡々と進みすぎる日常がアンのゆるぎない決意を物語っているように感じた。

彼女の“死ぬまでにしたい10のこと”は以下。
1.娘たちに毎日愛していると言う
2.娘たちの気に入る新しいママを見つける
3.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
4.家族とビーチに行く
5.好きなだけお酒と煙草を楽しむ
6.思っていることを話す
7.夫以外の男の人と付き合ってみる
8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する
9.頬の感触と好きな曲だけしか覚えていない刑務所のパパに会いに行く
10.爪とヘアスタイルを変える


余命ものの映画やドラマは多いが、ここまで残された家族への愛に満ちた映画、そして、残り少ない人生を悔いを残さず過ごすかということを描いた映画は少ないんじゃないだろうか。
ものすごく劇的な偉業をやり遂げるでも、ドラマチックに思いを伝えるのではない。23年間の彼女の人生の中から湧き出た10の“したいこと”は、ごくありふれたもので、何てことのないことだ。でも、とにかく家族への愛に満ちている。

7、8については、賛否両論あるが、17歳でファーストキスの相手と結婚し、出産したアンにとってはものすごくリアルなことなんじゃないだろうか。夫のことはもちろん愛しているし、大切だけど、死を前にして夫しか知らないことに対して思うところがあっても当然だと思う。23歳だよ。死を前に、あったかもしれないもう一つの人生に思いを馳せたなら、アンにとっては選ばなかった方の人生を少し経験したいと思いついて不思議はない“やりたいこと”ではないのだろうか。

お母さんが何も告げず、急に死んでしまえば当然悲しいだろう。だけど、アンの本心、決意を知ったとき、きっと残された人々も救われるはずだ。その決意を伝える役目として選ばれた医師が、すごくいいと思った。彼なら、彼女の意志をきちんと伝えてくれるだろうと。

原題の『My Life Without Me』。私のいない、私の人生。
タイトルは原題の方が素敵かな。アンがやったことは、“私のいない、私の人生”が少しでもいいものになるよう願ってしたことなのだから。


余命をテーマにしつつも、淡々とすすむストーリーと、ポップな色遣いで、暗くならず、アンが残したかった“私のいない、私の人生”そのもののように見える。

2014年1月14日火曜日

ジャッジ!(2014年)



ジャッジ!

監督・永井聡、脚本・澤本嘉光。
出演・妻夫木聡、北川景子、鈴木京香、豊川悦司。


上司の身代わりでアメリカの広告フェスティバルの審査員にさせられた、落ちこぼれ広告マン(妻夫木)が、自社のちくわCMを入賞させろとムチャぶりされて右往左往するというコメディ。

出演者も豪華だし、ストーリーはそんなになくても広告業界の中身も垣間見れておもしろいかも~くらいで、あまり期待しないで見たら、めちゃめちゃおもしろかった!

テンポがいいし、ギャグにしか見えないコネタがちゃんと終盤で伏線として鮮やかに回収されていて、最後にはちょっと感動までしてしまうとは。
伏線の張り方がうまいな~。明らかに違和感すぎて、ギャグにしか見えないんだもん。全部。オオタ キイチロウとオオタキ イチロウが実は結構ツボだった(笑)。
この監督はCMディレクターなんですね。CM特有の、瞬発力のある攻撃力というか、つかみのアイディアが満載!冷静に考えると「それ、思いついちゃったやつでしょ!」とかつっこみたくなるんだけど、それがビシビシ途切れずくるから、気が付くとどっぷりはまってしまった感じ。

北川景子演じるひかりが、太田喜一郎(妻夫木)にいちいちイライラするが、一緒にイライラするくらい本当に鈍臭い(笑)。鈍臭いし、頭固いし、ダサイし、でも真っ直ぐで純粋。最初はその真っ直ぐさも鈍臭くて、イライラするんだけど、その問いかけは自分にも問われているように感じてくる。
「好きなものを好きと言う。」そんな当たり前のことを。
そして、その真っ直ぐさに突き動かされてしまうんだよね、結局は。

そんな太田喜一郎に突き動かされ、そんな太田喜一郎を乗りこなしたひかりは一枚上手かな。上手というか、ただのギャンブラーなのか(笑)。それも、序盤の競馬からつながる伏線とは、やられた!という感じ。

観終わった後に、なんとなく頭に残るコピーが多いのは、やっぱり広告業界出身の人の言葉のうまさなのかな。
“無茶”と書いて“チャンス”と読む。とか、ちくわを覗くと未来が見えるとか(笑)。



2014年1月9日木曜日

鑑定士と顔のない依頼人(2013年)



鑑定士と顔のない依頼人

ジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本のイタリアの恋愛・ミステリ映画。
ジェフリー・ラッシュ、ジム・スタージェス、ドナルド・サザーランドが出演。

天才的な審美眼を誇る美術鑑定士ヴァージル・オールドマンに鑑定を依頼したクレアは広場恐怖症のため、壁の中の部屋に閉じこもっている。鑑定に訪れるヴァージルとの交流の中で徐々に心を開いていくが…というような話。

正直、途中から読めてしまった…。時折出てくる小人の女性とか、序盤から意味深だったし。
まあ、ありがちといえばありがちなオチでした。

それにしても、オートマタ(機械人形)のくだりは、何かの伏線だったんだろうか。考えすぎなのか、見落としたのか、妙に気になる存在な割に、最後の落としどころがよくわからなかった。小人の女性が入って操作してたっていうミスリード?それとも、ヴァージルとクレアの関係が、別の人間に裏で操作されていたということのメタファーなのだろうか。

でも、美術鑑定士というのがポイントになるのかな、と。ヴァージルは「どんな贋作にも、本物が隠されている」と言っていたのが、彼への救いの言葉であればいいと願うばかりです。クレアの愛にしても、ビリーやロバートとの友情においても。では、何がにせもので、何が本物なのかという話になるんだけど。


ものすごく後味が悪くて、何度も見る映画じゃないなというのが観た直後の感想でした。宣伝を見ると「2回観たくなる」を売りにしていて、そこまでではないなと思ったんだけど、振り返ってみると確かにもう1回観たいかも。見落としたところがある気もしてきたし、もしかしたら、ヴァージルの救いになる何かを見つけたいだけかもしれないけど。

最後の、老人ホームのようなところに入ったヴァージルの顔がなかなか頭から離れなくなる。
考えることをやめたような表情が。

2014年1月7日火曜日

間宮兄弟(2006年)



間宮兄弟

江國香織の同名小説を原作とした日本映画。監督/脚本・森田芳光、出演・佐々木蔵之介、塚地武雅(ドランクドラゴン)。

佐々木蔵之介と塚地武雅が兄弟を演じる。間宮兄弟と彼らを取り巻く人たちの日常の物語。

ゆるいです。でも、笑えてほっこり癒される映画。
こんな仲が良い同性の兄弟いないだろうと突っ込みつつも、対照的に描かれるナオミとユミの姉妹もやはり仲が良いので、同性の兄弟ってこんな感じなの?と羨ましくなってきたり。
間宮兄弟だけだと、突っ込みどころ満載でしかなかったけど、ナオミ&ユミ姉妹を描くことで、恋や異性との関係でつまずいても一緒に笑える「相方」としての兄弟として羨ましさが湧いてきたのかもしない。

本当に仲良いんだよね(笑)。同性の兄弟がいないから、分からないんだけど、一番の親友という感じなのかな。

仲の良さは置いておいても、間宮兄弟の生活は嫌いじゃない。カレーパーティー(私は、カレーは嫌いので、食べ物イベントという意味で)とか、浴衣でゲーム大会、家で映画館ごっこなど…家族とではなく、恋人とやったら楽しそうだなという想像で(笑)。
毎日、反省会したり、いろいろ考えすぎなところもあるけど、ふたりの焦らず、丁寧に暮らしている感じは、すごく好きです。憧れます。


あと、この映画の沢尻エリカと北川景子のかわいさは、ハンパない!
割と派手な役のイメージをしがちだったけど、普通のかわいさがハンパない。北川景子演じるユミが、校庭で塚地演じる弟・徹信に後ろからハグして「これは愛じゃないよ。友情の抱擁だよ」というシーンは、女から見てもノックアウトされた…。


他にも、お母さん役に中島みゆきや、徹信の同僚に常盤貴子などが出演しており、どの役柄もとても魅力的で愛おしい人たちです。


あ、この映画観ると、すごくモノポリーしたくなるんだよな。

好きだ、(2005年)



好きだ、

2003年撮影・2005年製作の日本映画。
第1回ニュー・モントリオール国際映画祭のコンペティション部門に出品、監督賞を受賞。
監督/脚本・石川寛、出演・宮崎あおい、西島秀俊、永作博美、瑛太、音楽・菅野よう子。


ある田舎の川辺を舞台にした高校生の日常から始まる物語。ストーリーは、はじめから最後まで一貫して、淡々とした空気のまますすんでいく。
石川寛監督は、セリフを用意しないで、その場の会話を撮る手法をとるそうだが、会話のやり取りがあまりに自然で思わずくすっと笑えるところが多々ある。
高校生時代の宮崎あおい演じるユウと、瑛太演じるヨースケの会話は特に、観ているこっちが歯がゆくなる会話が印象的だった。
最近観た『ハルフェイ』も、アドリブで撮影されていたけど、高校生のアドリブの会話ってなんでこんなに照れくさくて、きゅんとするんでしょう。

アドリブということだけど、宮崎あおいから永作博美の成長は本当に同一人物なんじゃないかというくらい、自然で驚いた。宮崎あおいのユウのキャラが17年経つと、「こうなるよね。」というのが、まさに永作博美のユウだった。演技が同じというか、17年経ったあとのユウという点で。


高校生のとき、お互い惹かれ合いながらも、不器用なあまりすれちがって、そのまま会えなくなってしまった二人。それが17年後再会します。
再会して、恋心が盛り上がって…というところまでは想像できるんだけど、高校生のときの不器用さ(というか、めんどくさい感じ)を残したままのユウ(永作博美)は相変わらずでかわいい(笑)。

でも、お互いが不在の17年間があり、大人になったからこそ言えた、最後の「好きだ」の一言。
この「好きだ」を聞くために、もう一回観たくなるくらい素晴らしい「好きだ」です。
永作博美が思わず「好きだ」と言ったとき、西島秀俊はもぞもぞしていて実はちゃんと聞いていないと思うんだけど、そのあと西島秀俊もまた「好きだ」という。このどちらもポロッと出てきてしまったような「好きだ」が本当に素晴らしい。淡々とした空気で1時間半ほどぽけーっと観ていたら、ここで一気に感情がぶわっと溢れてきてしまいました。


タイトルの「好きだ、」もいいよね。
「。」じゃなくて、「、」というところが、すごくいいと思います。「好きだ」から続く先があるようで。あるんだろうけど、「好きだ、」で終わるところもすごくいい。
睡眠不足で観ると、眠くなるけど、諦めずに最後まで観るといいと思います。エンドロールも素敵ですので、ぜひ最後まで観ていただきたい。


2014年1月6日月曜日

ゼロ・グラビティ(2013年)




ゼロ・グラビティ

原題:Gravity。アルフォンソ・キュアロン監督によるSF・ヒューマン・サスペンス映画。第70回ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品。

これはもうとにかく観てください!ぜひ3Dで!できるならIMAXで!わざわざ、としまえんまで行く価値のある映画です。
実はIMAXでしか鑑賞してないので、他の条件でどうなのか分からないんですが、とにかく素晴らしい映画体験ができたので、IMAXはおすすめできます。
これだけ、IMAXや3D推ししてしまうと、映像のすごさだけの映画に思われてしまうかもしれないのだが、そんなことは全然ないです!ストーリーも含めての感動で、興奮です。

この映画の現代は「Gravity」。すなわち、「重力」。邦題では、逆の意味の「ゼロ・グラビティ=無重力」となっているが、これは失敗ですね。
宇宙空間の無重力状態と重力のある状態。この対比が素晴らしく、観終わった人は必ず「重力」があることを実感することとなる映画なので、やっぱりここは「グラビティ」だったのでは、ないでしょうか。

映像と音。重力と無重力。

宇宙空間の放り出されるところから始まる映画なので、舞台はほぼ宇宙空間です。
3D映画については、『アリス・イン・ワンダーランド』で体験して以来、2度目の体験。そのとき、3Dっていうのは「飛び出す」と思いがちだけど、「奥行き」なんだと感じたのですが、『ゼロ・グラビティ』に関して言えば、「空間」でした。ISSなどの機内よりも、宇宙空間でその感想は特に感じました。宇宙は「奥行き」もなにも、なんもないんですよ。でも、そこに茫洋と広がる宇宙がある。もう宇宙体験のようなひと時だった…。

最初のナレーションで「音を伝えるものがない」というくだりがあるんだけど、本当に静かなんだということを実感しました。BGMは最小限にとどめられ、息使いと自分の声、機械の警報音しか聞こえない世界。映画館でも、息をするのが憚れるくらい静かなシーンが多々流れ、緊張感と言ったら。
一緒にいたときはマットのおしゃべりはうるさく感じていたのに、いなくなった途端ライアンは独り言が増えるんです。無音は孤独を掻き立てるのでしょう。自分の声しかない世界。自分はまだいるんだという、確認作業のようにも感じる独り言。

映像と音。このふたつの演出が際立つのが、ラストのシーン。
水の重み、砂の質感、植物や虫など目に見えるものだけじゃなく、空気があるという目に見えないけれど、確かにそこにあるものを観ることができました。音についても、ラストでその対比が鮮やかに描かれています。風の音、虫の羽音、波の音。音を伝えるものがある、重力のある世界は、ずいぶんと賑やかで、騒がしい。そんな当たり前のことに、改めて感動してしまったシーンでした。
そう考えるとやっぱりタイトルは「グラビティ」だったのでは?(←ひつこい)


「生きて還らなければならない」

最初に言った通り、この映画のおもしろさはストーリーも含めてなんです。
絶望的な状態から、いかに生還するかという展開だが、決して最初から、生きて還る!が目標ではないし、還れると希望を捨てなかったから~なんて、キラキラまぶしい感動スト―リーではない。サンドラ・ブロック演じるライアンは、諦めるし、くよくよするし、もうダメ…って何度もくじけるし、切れるし…でも、「生きて還らなければならない」と気づいていく。信じるとか、がんばるとかじゃなくて、そこには「生きて還らなければならない」という、思いだけしかない。「生きて還らなければならない」という思いが生まれると同時に、過去に残してきた思いもまた整理がついてくる。すべてはジョージ・クルーニー演じるマットの存在があってこそ。もう、ジョージ・クルーニーの笑顔を見るだけで、涙が出てくるくらいかっこいいです。



まあ、とにかく観て欲しい。観て色々話したくなる。
この映画は観ている人もきっと一緒に絶望します。一緒にイライラします。一緒にそわそわして、ドキドキして、一緒になって祈ります。
そして、ラストには重力を感じるサンドラ・ブロックと共に、自分までも重力を感じてしまいます。
最後の最後、「Gravity」の文字が出てくるときほど、「重力」の意味を感じる瞬間はないんじゃないかと思う。静かなエンドロールの間中ずっと、鳥肌とドキドキしっぱなしの心臓は落ち着くことはなかった、そんな映画でした。


いいから、観て!

2014年1月4日土曜日

フィッシュストーリー(2009年)


フィッシュストーリー

伊坂幸太郎の同名小説が原作。監督・中村義洋、出演者・伊藤淳史、高良健吾、多部未華子、濱田岳。斉藤和義が楽曲をプロデュース。

オムニバス風に異なるエピソードが、展開し、それが最後ひとつにつながっていく、伊坂さんお得意の展開。伊坂さんのこのタイプの小説は『ラッシュライフ』の失敗もあるので、この展開の映画化はかなり難しいのではないかと思っていたが、最後まで観るときちんと伊坂さんの世界観を壊さず映画化されていてよかったです。
映画にするとこう表現するのか!と思いました。

1975年に録音された売れないバンド・逆鱗のラストソング「フィッシュストーリー」が、時代を超え、形を変え、結果的に2012年の隕石衝突の危機にさらされた地球を救うことになる。
「この作品(音楽だったり、小説)が、世界を救う。」という、思想は伊坂さんの根底にある思想なんでしょう。他の作品にもちょくちょく出てきます。そして、直接何かを救わなくても、「誰か」に届き、それが伝わり、つながっていくという考え方も。謙虚にものすごく大きいことを企んでいる感じ、嫌いじゃないです。

ラストでそのつながりを連続して見せる方法もよかった。
伊坂さんの小説は、読んだことある人は、その先の展開を予測できたりするし(もちろん裏切られることもあるけど)、読む人によって伏線に気づくのには差があるので、文字だと想像でしかなくても、映像だとどうしてもまるっと見えてしまうところが難点だと思っていたのだけど、各エピソードではうまい具合にごまかして、「ええ?もしかして」と予感を感じさせつつも、最後にまとめて見せているのはうまいな〜と、思いました。


それにしても、豪華な出演陣ですね。高良くんの歌唱力にもびっくりしました。



2014年1月3日金曜日

インセプション(2010年)



インセプション

クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による、アメリカのSFアクション映画。
レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙が出演。

これも映画館で前のめりになって観た映画のひとつ。観た直後は、テンション上がって、「すごい!絶対観て!」と触れ回っていました。

まず、何がおもしろいかというと物語の構造がとにかくしびれる!
入れ子状に、夢の中→夢の中の夢の中→夢の中の夢の中の夢の中と入っていく構造なんだけど、個人的にそういうパラレルワールドもの大好きなので、ものすごくツボでして。

シンプルな構造なんだけど、撮り方によっては複雑になってもおかしくないと思うところを、説明臭くない説明(作戦の解説風に話したり)や、世界観の違う場面などで、分かりやすく展開していく。夢の中深くに行けば、行くほど、時間の進み具合が変わってくるんだけど、場面が切り替わるごとにスピード感の違う場面が出てくるので、鬼気迫ってくる場面の臨場感が強調されて、最後の30分なんてソワソワが止まらず、本当に手に汗握るという感じ!

もちろん入れ子構造だけじゃなくて、心の闇やトラウマがミステリーの要素として入っていて、目が離せない。一度観た時は、興奮しすぎてあまりトラウマの部分が理解できなかったんだけど、二度目に観た時はトラウマの部分で興しました。
ディカプリオ演じるコブのトラウマが、最初からちょこちょこ出てきてて、それは今回の依頼とは無関係のようで、最後のところで全部つながる感じはさすがノーラン監督という感じです。鳥肌が立ちました。


そして、ラストは議論が分かれるトーテム(コマ)のシーンで終わります。
コマは止まるのか(現実の世界に戻っているのか)、コマは回り続けてるいるのか(夢の中に留まっているのか)、結論は特に明かされていないようです。
中盤で「彼らは眠りに来ているのではない。目覚めに来ているんだ。彼らにとっては夢こそ現実なんだよ」という台詞があったり、モルの夢と現実の混濁のエピソードだったりを考えると、そもそも何が現実で何が夢かなんて誰が分かるの?という、哲学の問いになっていき、正直よくわからなくなってしまいました。

でも、最後の飛行機で顔を見合わせたときの表情や、子供と再会したコブを見ると、どちらにせよコブにとってのハッピーエンドではあるんでしょう。


見る度に新たな発見があるので、見る度にテンションが上がって大変な映画です。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(2013年)



オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ

ジム・ジャームッシュ監督作品。
出演はトム・ヒドルストン、ティルダ・スウィントン、ミア・ワシコウスカ、ジョン・ハート、アントン・イェルチン。
第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映。


初めてのジム・ジャームッシュ作品ということと、普段あまり観ないヴァンパイアものということで、めちゃめちゃ構えて観始めたら…度肝を抜かれました。
か、かわいい!お、おもしろい!

アダムとイヴの恋愛物語なんだけど、“ヴァンパイア”という設定だけで、何てことない恋愛物語がこんなにおもしろくなるのかっていう。ずるいわ。
現代が舞台ということで、iPhone使うし、YouTube見てるし(笑)。そしてヴァンパイアなので、食事は血液、日光は浴びれないので昼夜逆転、長生きなので昔話の単位が世紀単位だったり。
現代の血は汚れているとか“現代に生きるヴァンパイア”という、設定を活かしたオチもすばらしい!

ものすごく構えて観たけど、話はシンプルで、シンプルだからこそ“現代に生きるヴァンパイア”という設定の活かし方のうまさに、度肝を抜かれました。


ブリングリング(2013年)


ブリングリング

監督・ソフィア・コッポラ、エマ・ワトソン主演。
第66回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」でオープニング上映された。
少年少女が、セレブの邸宅に侵入し、窃盗を繰り返した実話を元にした物語。

センセーショナルなテーマだけど、映画の内容は窃盗事件の罪を追及するものでも、犯人たちの心境を深く探るような内容でもない。淡々と事実を追い、その中に逮捕後の犯人たちのインタビューが少し挿入されるだけである。

その淡々と進む展開は、当時の犯人たちの事件に対しての動機を表しているかのようで、すべてがとても軽い。
本当に「パリスんち行こうよ。」のノリ以上でも、以下でもないのだろう。ストーリーの展開の軽さが、よりいっそう彼女たちの物事の考え方の軽さを象徴しているようで、最後には少し恐ささえ感じてしまった。

たぶん何も考えてないんだろうな、彼女たちは。そう思えるくらい自分は大人になってしまったんだとも感じた。


罪の意識とか、事件の善悪についてどうこう言うつもりはないし、そういう映画でもないけど、セレブの並外れたゴージャスな生活っていうのは何かやっぱ変だよね(笑)。パリスの部屋に入ってしまったら、確かに何かがおかしくなる気にもなってくる。
セレブって何なの?笑

セレブの世界に侵入して窃盗したっていう事実は、きっと彼女たちにとってみれば、現実感のないふわふわした夢の中で起きたことなんだろう。
それがどういうことなのかということも、よくわからなくなるくらいパリスの家は現実感がないものだった。


それにしても、『ウォールフラワー』といいアメリカの高校生って、こんなにクスリとかハッパとかやりまくってるもんなの?!



モテキ(2011年)



モテキ
原作の久保ミツロウが映画のために、ドラマ版の1年後を舞台に完全オリジナルストーリーを描き下ろした。
ドラマ版同様、主演・森山未來、演出脚本・大根仁。

長澤まさみのかわいさを見るためだけに、見てもいいんじゃないかっていうくらいかわいい!女目線で見ても魅力的すぎる、殺人的かわいさです。はい。

原作漫画もおもしろいし、監督は大根さんだし、キャストすばらしいので、まちがいなくおもしろいんだけど、予想をはるかに超えるおもしろさで、見終わった後のテンションやばかった…。
(公開時レイトショーでひとりで観て、おもしろすぎてテンションを共有したくて、感想を話すためだけに友達に会いに行ったんだよね)


幸世のめんどくささは、あいかわらずなんだけど、モテキのおもしろさって、悩んだり、泣いたり、喜んだり、うじうじしたり、もやもやしたりって言う、恋したときのめんどくさい感じをみんながしてるっていうところ。
みんながみんな恋する時のダサイ感じになっちゃってる。現実もそうだよな〜って、誰かのダサさにちょっと共感したり、切なくなったりするんだけど、テンポの良さと、ダサさの出し方がうまいから、自分もダサイ側にいた経験があっても人のダサさには思わず笑っちゃってるんだよね。
かっこつけてる墨さんですら、ダサイもんね(笑)。

好きになってくれる人とか、好きになったら幸せだって分かってる人を好きになれなかったり、好きになっちゃダメなのに好きになってたり、理由もないのに好きになっちゃダメな気がしたり、理由もないのに好きになってたり、自暴自棄になったり、思いが暴走したり、大人になろうとしたり。

そうそう、恋ってダサイんだよね。必死の恋って、端から見るとめちゃめちゃ滑稽になってしまう。でも、いいよね。そのダサさいいよね。そう思える映画です。

うん。いいはずなんだよね。恋って。

2014年1月2日木曜日

ニュー・シネマ・パラダイス(1988年)



ニュー・シネマ・パラダイス

1988年公開のイタリア映画。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。

完全版で鑑賞。3時間弱の長い映画にもかかわらず、ラストに向けて全てがつながり、徐々に感動が高まっていき、飽きなかった!

映画好きのいたずら小僧トトが、大人になり、映写技師の老人アルフレードの思いをラストで知ることになるところで、涙が止まらなくなった。

兵役を終え村に戻ったトトは、かつてのようにアルフレードに映画の話を振る。そんなトトにアルフレードは「人生は映画とは違う。村を離れろ。」と突き放し、トトを村の外に出るように仕向ける。「ノスタルジーに惑わされず、かつて、映写室を愛したように、自分のすることを愛せ」と。
最初は、狭い村じゃなく、広い世界を見て経験しろ、ということなのかと思っていた。そう思うと恋を阻んだところが納得いかなかった。

けれど、最後、アルフレードの遺した映画を観て分かった気がした。
アルフレードは、いつかキスシーンも映画館で上映できる日が来ることを願っていたのではないだろうか。自由に映画を作り、上映できる日が来ることを。
そして、自由に恋愛できる日が来ることも。

アルフレードはトトに、キスシーンがカットされる映画をあたり前に思って欲しくなく、縛られた恋愛しかないと思って欲しくなかったのではないだろうか。この街にいれば、自然とそれはあたり前になってしまうことを避け、村から出したのではないか。

アルフレードが夢見た映画の未来、トトに託した映画の未来。
アルフレードはトトに映画も恋愛も自由に表現できる楽園で生きて欲しいと願った。トトのラストの笑顔は、30年前に託されたその思いを理解した表情だったように見えた。


他にも胸が熱くなるエピソードが随所にある。折に触れて、また見たくなる映画になりそうだ。


Dolls(2002年)


Dolls

北野武監督作品。第59回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門正式出品作。
キャッチコピーは「あなたに、ここに、いてほしい。

直接関わることはない3組の男女の物語が交錯するラブストーリー。
ただひたすら一緒に歩き続ける男女、男を待ち続ける女と待たせていた男、傷ついたアイドルとそれを見ないために視力をなくした男。
これは愛なのか復讐なのか。それぞれの「愛」については、究極過ぎて、正直理解できなかった。

そんなそれぞれの究極の愛に少しの光が射したとき、それは失われる。悲しいを通り越して、絶望を思い知らされる映画だった。

そして、描かれる美しすぎる映像に、どこか恐怖を感じてしまうのは私だけだろうか。とりわけ、赤が印象的に描かれている。その恐ろしく鮮やかな赤は、もう一度恐いもの見たさで見たくなる何かを持っているような気がする。

この映画も、美しすぎる「愛」ゆえに恐ろしく、もう一度観たくなるような中毒性があるような気もしている。今はまだ理解できていないが、いつか理解できるのかもしれないし、できなくてもいいような、そんな映画だった。



実は高校生のとき一度観たが、その時も理解できなかった。
それでもあの当時、菅野美穂と西島秀俊が大量の風車の前をただ静かに歩いている映像がものすごく衝撃だったのを憶えている。

ヒューゴの不思議な発明(2011年)


ヒューゴの不思議な発明

ブライアン・セルズニックの小説『ユゴーの不思議な発明』を原作とする、マーティン・スコセッシ初の3D映画。
第84回アカデミー賞では同年最多の11部門にノミネートされ、5部門で受賞。

1930年代のフランスを舞台に、駅の時計台に暮らす孤児・ヒューゴ。ヒューゴは身寄りもなく孤独の中、父の遺言が唯一の形見である機械人形の中に隠されていると思い、毎日こつこつと修理をし続けている。あることがきっかけでその機械人形が完成するが、それは父の遺言ではなかった。

そこから、徐々に謎を探っていくんだけど、個人的にたまたま、映画史の授業をとっていたからというのもあるけど、映画の歴史の中でジョルジュ・メリエスという人物がしたことのすごさを思い知らされる。
映画が夢だった時代。そして夢を見せてくれるものとして映画が存在していた時代があったということを。この辺りの謎がつながる感じは、すごくドキドキしてテンション上がった。

父の遺した思い、自分の存在意義を探るためにしていたことが、はからずもジョルジュ・メリエスが再び夢を見るきっかけを与えることとなるヒューゴ。
彼は「ここの世界が1つの機械だとしたら、いらない部品なんて1つもない。僕も必要とされているんだ」と語る。少年の小さな行動はつながり、映画人ジョルジュ・メリエスに再び夢を見せるきっかけを与えることとなる。機械の歯車のように。




個人的な話だが、2014年最初に観たのが、この映画となりました。
ストーリーうんぬんより、色々な人の映画への思いがあって、今こうして私が魅了されている多くの映画があるんだと思うと、2014年の映画生活、とてもいいスタートな気がする。
ヒューゴやイザベルのように冒険心を持っていろいろな世界を観て、パパ・ジョルジュが教えてくれた空想することを忘れずに、今年もどっぷり映画に恋していこうと思います。

人生はビギナーズ(2010年)


人生はビギナーズ

マイク・ミルズ監督・脚本によるアメリカ合衆国の映画。ユアン・マクレガー主演。

“「私はゲイだ」 父が75年目に明かした真実が、僕の人生を大きく変えた。”
ポップなメインビジュアルと、キャッチーなコピーを見て、コメディかと思い込んで鑑賞してしまったら、全然違いました。

奥手で、自分から積極的動くタイプではない38歳独身男・オリヴァーが、母を亡くした後ゲイとカミングアウトした父と、最期の時を共に過ごしたことで、少しずつ変わって行く
長年ゲイであることを隠していた父に戸惑いながら、そしてカミングアウトしたことで毎日を楽しみはじめる父に驚きながら、愛に生きた父を知って行くオリヴァー。
簡単に「そうなんだね」と受け入れられる現実ではないが、父が生き生きとしていることこそがリアルな現実となる。

父は亡くなり、孤独の中でひとりの女性と出会い恋をするのだが、オリヴァーは不器用で内向的。そして、母を失い、父を失ったばかりで失うことを恐れている…。オリヴァーが失うことを恐れ自ら関係を終わらせるところは、気持ちが痛く、苦しくなってしまった。


それでも、ラストはすがすがしい。
なんでもうまく行くわけがない人生。辛いことも、受け入れがたいことも、ハッピーだけじゃ生きられないのが人生だ。
「わからないけど、とりあえずやってみよう。どうせみんなビギナーなんだがら」という、スタンスがとても気持ちよかった。信じればうまくいくよ!という、無責任な前向きではなく、当たって砕けろ!の、手放しの冒険でもない、もう少し軽い気持ちのやってみようという感じが、気持ちを楽にしてくれる映画だった。

それも淡々と進む静かなストーリーの中で「あの父もビギナーなりに人生を楽しんだんだ。」という、視点を通して伝わってくるので、押しつけがましくなく、なのに、納得できてしまうのだろう。


ちなみに、この映画は監督の実話を元にしているそうで。
映画監督は、こういう形で親孝行できるのはすてきだな。麦子さんもそんな監督エピソードあったっけ。