2014年2月25日火曜日

アニー・ホール(1977年)



アニー・ホール

監督・主演: ウディ・アレン、出演:ダイアン・キートン

―あらすじ―
NYを舞台に、都会に生きる男女の恋と別れをペーソスと笑いで綴ったラブ・ストーリー。うだつの上がらないスタンダップ・コメディアン、アルビーは、知り合った美女アニーと意気投合して同棲生活を始めるが、うまくいくのは最初だけ。次第に相手のイヤなところが気になり出した二人の間には見えない溝ができ上がっていた。そしてアニーの前に現れた人気歌手のカリフォルニアへの誘いが二人の仲にピリオドを打つ決定的なものとなった……。(以上、yahoo!映画

いつの時代も恋愛ってめんどくさいな~w
出会って、運命だと思って恋をする、それでもいつか終わる恋。

それでもどうしてか、人が恋に振り回されている姿は、滑稽で、そして愛おしい。
アルビーのネガティブさは、特に滑稽そのもの!好きだから、やきもちやくのかもしれないけど、だんだん主題が分からなくなってきてしまう感じあるよな。



「関係というのはサメと同じで 常に前進してないと死ぬ」という言葉があるけど、これって、もっとポジティブな意味で使われるのかと思ってた!
“前進あるのみ!”的な。ポジティブすぎかw
なんとなく惰性で付き合ってるような二人の関係は、もう死んでいたのか。

そして、発展性のない関係であっても、一度好きになったら忘れられないもので、失って気づくのが恋。
さらに、失って気づいてからじゃ遅いのも現実。

再会したときの、ちょっとうれしい感じと、照れくささと、期待と諦めとそういうところまで含めて、これが恋だよね~って思える映画。


アニーの服装がおしゃれ!トラッドでかわいい。

2014年2月24日月曜日

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1994年)



打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか


1993年にフジテレビで放送された岩井俊二監督のテレビドラマ作品を、一部修正し、1994年に映画として公開された。

監督・原作・脚本:岩井俊二、出演:山崎裕太、奥菜恵、反田孝幸。

―あらすじ―
小学校最後の夏休み、プールの掃除当番ため登校していた典道、祐介、なずな。祐介は、典道に水泳の競争で勝った方がなずなに告白するという話をもちかける。(以上、映画.com



ドラマ『モテキ』でいつかちゃんの生涯ベストドラマと言っていたので、気になって鑑賞。

小学生たちの夏の思い出。好奇心と行動力だけの男子と、大人びた奥菜恵演じるなずなの対比がよかった。
まだまだ子供の祐介の選択。
まだまだ子供の典道が選んび進んだ先にある、ちょっと大人の世界。

なずなは同級生だけど、少年たちにとってみたら“大人”の象徴だったんだろうな。同級生だからこそ感じる“大人”感。
でも、なずなも子供で、そんななずなと典道が過ごした夜のプールのひと時は本当に美しい!
そこで、典道が少し大人になった感じがすごく出ていた。

選んだ道、選ばなかった道。そういう小さな選択で、出会ったり出会わなかったりする出来事で、人は少しずつ大人になっていくんだろうなと思った。


少年たちの好奇心の代表として、“打つ上げ花火は丸いのか?平なのか?”というキーワードが最初から最後まで、出てくる。
大人になったら、考えもしないような好奇心とそれに突き動かされる行動力。
「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」いつから、そういうこと忘れちゃったのかな。なんて、ちょっとセンチメンタルになる映画。

エンディングの曲が流れ始めるところでは、涙が出てきた。


2014年2月19日水曜日

ブルーバレンタイン(2011年)



ブルーバレンタイン

2010年のアメリカ映画。監督・脚本デレク・シアンフランス。主演はライアン・ゴズリングと、本作で第83回米アカデミー主演女優賞にノミネートされたミシェル・ウィリアムズ。
第63回カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門に出品。第68回ゴールデングローブ賞ではライアン・ゴズリングとミシェル・ウィリアムズがノミネート。

―あらすじ―
仕事が芳しくないディーンと、長年の勉強の末に資格を取り、病院で忙しく働くシンディの夫婦は、娘のフランキーと3人暮らし。2人はお互いに相手に不満を抱えていたが、それを口に出せば平和な日常が崩れてしまうことを恐れていた……。夢や希望にあふれていた過去と現在を交錯させ、2人の愛の変遷を描くラブストーリー。(以上、映画.com


はからずも「離婚もの」(『クレイマークレイマー』『セレステ∞ジェシー』)、「過去と現在同時進行もの」(『サニー永遠の仲間たち』『きっと、うまくいく』『建築学概論』)が続いております。



すれ違っていく結婚7年目の夫婦と、出会って惹かれあった頃の二人が同時進行し、結末に向けてそれぞれのゴール(離婚と結婚)へと収束していくんだけど、二人でいれば全てが楽しく、幸せだった頃と、何をしても腹がたち、喧嘩になってしまう二人が並行して進んでいくので、その落差がものすごく際立つ作りになっている。
映像や画面の構図、音楽なども二つのパートで違って、感情が盛り上がっていく二人と、気持ちが離れていく二人を表現する演出がすばらしかった。

出会った頃は、魅力的だったディーンのおちゃめで陽気で、自由なところが結婚後は、シンディを苛立たせる。
ディーンの惚れていた、シンディの知的さもまた二人のギクシャクした関係に水を注ぎ…。
かつて魅力的で好きになった理由のひとつ、ひとつが、結婚後は苛立たせる原因になっていく。

美しかったシンディも“生活”の中でやつれ、愛おしかったディーンの無邪気さも“生活”の中では煩わしいものになっていってしまう。
結婚と恋愛は別物とはよく言ったもので、結婚って“生活”なんだな…と、改めて思い知らされました。
どんなにときめいた相手でも“生活”のパートナーとなると、話は別で、好きなところが一番苛立つところになってしまうなら、付き合ったのが間違いなんじゃん!という、そもそも論にたどり着くわけですが…。


シンディはディーンに出会う前に以下のような会話がある。
―シンディ「いつか消える感情なんて信じられる?」
―おばあちゃん「愛を見つけるためには感情を持たなくちゃ」

シンディはもともと愛や恋を信じていなかった。だけど、ディーンに出会ったことで、“いつか消える感情”を信じていくようになる。
結婚後のシンディははじめディーンに対して期待し、ああしてこうして言うが、徐々に諦め、最終的にはディーンに対して感情を抱くことすら放棄しようとしてしまう。
こういう風に二つのパートはクロスするようにできていて、最初に言った「いつか消える感情なんて信じられる?」という言葉が結果的にものすごく未来を見据えたもののように見えてきて怖いんですよね。



そんな極めて絶望的なラストなんだけど、じゃあ、出会わなければよかったのか?いつか消える感情なら信じなければよかったのか?と、言ったら、そうならないのがこの映画のすごいところだと思う。映画が終わる瞬間までは、そう思ってしまうんだけど、終わった瞬間から連続したまま流れるエンドロールを観ると、そうは思えなくなってくる。
かつて二人が愛し合ってた頃、“君と僕”の世界がすべてだった頃が、花火と共に映し出される。そのときの二人の表情を見ると、どうしても全部否定する気にはなれないから不思議だ。でも、生きるってそういうことなのかなとも思う。やっぱり、いつか消えると分かっていても信じたからこそあった時間なんだから。
幸せな二人の顔が、花火と共に映し出されるから一瞬なの。それがまた、はかない時間、もう取り戻せない過去という感じもあって
より切なくなって、エンドロールから泣きだしてしまった。



映画評論家の町山さんライムスター宇多丸もウィークエンド・シャッフルで絶賛していた映画です。
確かに人と話したくなる映画だな。

ポスターがどれも素敵。一番好きなのをメインにしたけど、他のもかわいいから載せておきます。







2014年2月18日火曜日

クレイマー、クレイマー(1979年)



クレイマー、クレイマー』(1979年)

1979年公開のアメリカ映画。製作・配給会社はコロンビア映画。
原作はアヴェリー・コーマンの小説。監督・脚本ロバート・ベントン、主演はダスティン・ホフマン。
第52回アカデミー賞作品賞ならびに第37回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。

あらすじ
毎晩深夜に帰宅する仕事人間の夫テッドに愛想を尽かし、自分自身を取り戻すために家出した妻のジョアンナ。その翌日からテッドは7歳の息子を抱え、仕事と家庭の両立に励むが、家出から1年後、ジョアンナが息子の養育権を主張し、テッドを提訴する……。(以上、映画.com

昔から有名な映画ということは知っていたけど、すごくよかった。
設定は今では、珍しくない設定だと思う。母親が出て行ったことで、家事なんてやったことない父親が手探りで家事や子育てをしていく。最初はギクシャクしている父子も、生活する中で、絆が強くなり、父親は自分自身を見つめなおし価値観が変わっていくという物語。
設定だけ聞くと、ドラマとかでよくあるな~という印象だけど、すごくすごくよかった。

余計なエピソードがなく、ただ単に二人の生活を描いているところとか!最初はグチャグチャだったフレンチトーストも、最後には手慣れたものになってる。ただそれだけのことなんだけど、二人の関係の変化を見てきたら、そこは本当に涙ポイント。

息子のビリーが本当にかわいい!
母親からの手紙を聞きたくないというところとか、「パパもいなくなる?」のところとか、本当に切なくなってしまう

二人で築いてきた関係も、母親が帰ってきたことで変わってしまう。
そのときのビリーの涙が、二人の過ごしてきた時間の深さや、関係を物語っていて、最後号泣してしまった。


あらすじはよくあるものでも、やっぱり名作が名作と言われる所以がわかったような気がする。
そして、フレンチトーストが食べたくなりました。

サニー 永遠の仲間たち(2011年)



サニー 永遠の仲間たち』(2011年)

カン・ヒョンチョル監督/脚本の韓国映画。シム・ウンギョン、カン・ソラ、キム・ミニョン、パク・チンジュ、ミン・ヒョリン、ナム・ボラ、キム・ボミ、ミン・ヒョリン、ユ・ホジョン、ジン・ヒギョン、コ・スヒ、ホン・ジニ、イ・ヨンギョン、キム・ソンギョン、チョン・ウヒが出演。

―あらすじ―
夫や娘にも恵まれ、何不自由ない生活を送っていた42歳のナミは、ある日、母の入院先で高校時代の友人チュナと再会する。25年前の高校生時代、ナミやチュナら7人の仲良しグループはずっと一緒にいると約束しあったが、ある事件がきっかけで離れ離れになってしまっていた。病気に苦しみ、最後にみんなに会いたいというチュナのため、ナミは当時の仲間を集めようと決意。各地に散った仲間を訪ねる旅の過程で、再び人生に輝きを取り戻していく。(以上、映画.com


おもしろかった!

42歳の現在と、高校生だった25年前が交互に展開していく構成になっている。
25年間の何にでもなれたあの頃の仲間たちと、何にもなれなかった現在の対比が、切なくなった。

高校時代の悪友たちと、このメンバーでいれば無敵かも!と思う瞬間や、ずっとこのまま仲良くしていられると思う瞬間、何てことのないことに笑っていたあの瞬間。誰もがあるそういう瞬間や、そういう友達。
そんな無敵の時代から、時間が過ぎ、たどり着いた現在の痛々しさと言ったら!病気になったり、子供の教育に悩んだり、営業成績伸びなかったり、嫁姑問題、水商売、夫の浮気…。大人の問題ってシビアだ…。騒いで、喧嘩して、ふざけて、はしゃいでれば大抵の問題が解決したあの頃とは大違いな現在。

彼女たちは、ある事件をきっかけに離れ離れになったんだけど、たぶんその時に大人の世界に足を踏み入れたんだと思う。ふざけていられなくなった事件が起きたことで。

でも、かつてのリーダー・チュナの最期の願いで、みんなが再会することになり、再び当時の気持ちを取り戻し、みんなではしゃぎ出す。当時の仲間たちといると戻れる感じすごくわかる!チュナの最期のときまで、みんなで楽しくすごすんだけど、決してお涙ちょうだいの病気ものではなく、観終わった後スカッとする清々しさがある。


たぶんこの後も、サニーの仲はきっと続くだろうけど、きっと高校時代とも、それはチュナの最期の期間とも違うんだ思う。高校時代もサニーの再集結も、どちらもある限定された期間だからこその突き抜けた瞬間で、過ぎてしまってはもう戻ることのできない時間なんだから。
ナミの夫が赴任中の2か月と、最期の期間がかぶっていて、チュナのお葬式の後、夫が帰ってきて「何かあった?」という質問に「何もないよ」と答えるのが、もうすでにその一連の出来事すらも、過去になっていそれを象徴しているのではないでしょうか。

どっちの時代のエピソードも、あーわかる!という感じがすごくあった。
もう戻れない過去と、もう戻れないとわかってしまった過去。それでも、あの頃、共有した時間があったから取り戻せた時間がある。
過去の自分は未来の自分に期待し、憧れていたし、未来の自分は過去の自分を懐かしみ、うらやむ。全て終わって、一瞬味わえたその懐かしい感じを思い出したからこそ、そのどちらもないものねだりで、だけどどちらも自分のものだったんだと受け入れて、“現在”を生きることができる清々しさが、ナミの「何もないよ」にはあったように感じました。

音楽がいいし、ポップでテンポもよくて、また観たくなる映画です。


個人的におおー!って思ったのが、韓国って整形大国だから25年も経ったら顔が別人ってこともあるんだね(笑)。
人探しとか、再会とか大変そう。ふつうに「整形した?」って会話が出てきておもしろかった。

2014年2月17日月曜日

セレステ∞ジェシー(2013年)



セレステ∞ジェシー

リー・トランド・クリーガー監督、ラシダ・ジョーンズ脚本/主演で2012年制作の映画。

『最高の離婚』アメリカバージョンといったところ!
バリバリ働き稼ぐしっかりもののセレステ(ラシダ・ジョーンズ)と、売れないアーティストでヒモ状態のジェシー(アンディ・サムバーグ)は離婚調停中で同居中。別れても一番気の合う親友だった二人。だがあることがきっかけで、本当に別れなくてはならなくなり…という話。

要するに優位に立ち、ジェシーは何だかんだ自分に惚れていると調子乗っていたいたセレステが、ある時、本当にジェシーを失ってその大切さに気付くんだけど、リアル!
このジェシーとセレステの居心地のいいズルズル感も、別れても友達という都合のよさも、過ごした時間が故の二人にしか分からないネタも…分かるわ。
そして、本当に自分になくてはいけない人なんだと、失ってからしか気づけない感じも。


自分がいくら変えようとしても変わらなかったジェシーが食事はマクロビ、ちゃんと求職中なんていうジェシーの変化は受け入れがたいものだろう。
セレステは向上心のないジェシーに「私が食わせてる」と文句をいいながも、実はそんなジェシーそのものが好きだったのかもしれないし、自分が変えられなかった悔しさかもしれない。今まで何でもセレステペースに乗ってきたジェシーの作り出した、セレステの知らない流れに振り回され、右往左往するセレステ。何でも自分ペースで事を運んできたものだから、突然のできごとに対応できない。自分がいなくてはダメだと思っていた人が、自分なしの世界に生きるときのやるせなさといったら。

でも、セレステはバリバリキャリアウーマンの強気な女。そんな動揺、表に出すこともない。一人で何とか自分を立て直そうとする姿にものすごく共感してしまった。セレステは不器用な失恋にはまり、酒に逃げ、新しい男を探し、それじゃダメだ!と仕事や健康に気を使う。そのループ経験したことある…。


大人になってからの失恋は、男がいなくなったっていうだけじゃなくて、もしかしたら、自分が信じてきたもの、これまでの自分自身すべてを否定された気分になってしまうのかも。なのに、失恋すらうまくできなくなっていて。
でも、最後に救ってくれるのは、仕事だったり友達なんだな。対立していたライリーとも“失恋”を介して意気投合して、仕事もうまくいくようになって、焦らず、少しずつ踏み出そうとするセレステの姿がすごくよかった。


最後の最後、さよならをするシーンで「送っていくよ」と言ったジェシー。別にジェシーはセレステを嫌いになったわけじゃなくて、きっとずっと大切な人ナノは変わらないと思わせる一言だった。それに「当たり前でしょ」と答えるセレステを見て、なんだかんだ二人はやっぱり最高のカップルなんだな~。それが、結婚とか家族となると、また違う話なんでしょうけどね。

ウルフ・オブ・ウォール・ストリート(2014年)



ウルフ・オブ・ウォール・ストリート

マーティン・スコセッシ監督。アメリカでの公開は2013年。ジョーダン・ベルフォートの回想録『ウォール街狂乱日記 - 「狼」と呼ばれた私のヤバすぎる人生』が原作。脚本はテレンス・ウィンター。
レオナルド・ディカプリオ主演、ジョナ・ヒル、ジャン・デュジャルダン、ロブ・ライナー、カイル・チャンドラー、マシュー・マコノヒーらが共演する。

くっそおもしれえ!まじでやべえ!まさにこれに尽きる映画。

要するに株で億万長者になって、破滅していく物語。正直、株と経済に疎いからついていけるか自身なかったんだけど、全然関係ない!とりあえず、ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートのジェットコースターに一緒に乗り込んでしまったら、そんなことどうでもよくなった(笑)。

ディカプリオ始め全員がしゃべるわ、しゃべるわ!マシンガンでまくしたてて、ほんとジェットコースターみたい。怒涛のごとく金、SEX、ドラッグの連続!まじで狂ってる!ジョーダン・ベルフォートがあらゆることに麻痺してくるように、観ているこちらも、どんどん刺激を求めて感覚がなくなっていく感じになってしまった。
展開が早く、常にしゃべりまくってるので、ミュージカルみたい。3時間の長尺を感じさせないスピード感がものすごく気持ちよかった。
アドレナリンが出まくって、大雪の中全力疾走しちゃうくらい!
あと、観終わった後は言葉づかいがちょっと悪くなっちゃうね(笑)。ファッキン!ファッキン!って何回言うんだよ!って。

物語はよくある、栄光と挫折で目新しくはないけど、このジェットコースターみたいなスピード感ある演出と、バカみたいに狂ったレオ様は本当にヤバイ!の一言。

一人で観ちゃうとこの興奮をどうしろと!という感じになってしまうし、でもデートでこれはゲスすぎてあまりおすすめできないかな。悪友というか、バカできる友達といくくらいがいいかもね。

2014年2月13日木曜日

ドット・ジ・アイ(2004年)



ドット・ジ・アイ

イギリス・スペイン合作恋愛映画。マシュー・パークヒル監督、ガエル・ガルシア・ベルナル、ナタリア・ベルベケ出演。


結婚前の女性が最後にちょっとはめをはずした夜を過ごすヘンナイトで、その場に居合わせた男性の中から一番気に入った人とキスをするというイギリスの風習があるらしい。そのキスがきっかけでお互いメロメロになってしまうキット(ベルナル)とカルメン(ベルケル)。結婚を控えたカルメンの気持ちは次第に夫からキット傾いていく…という、三角関係のもつれを描いた恋愛ドラマ。

すごいおしゃれな出会い!運命の人と出会ったときには、もう結婚間近…

なんて、話ではないです。コピーは「運命の愛・・・それは仕組まれていたのか」。
仕組まれていたのでしょうか?誰が?誰に?なぜ?

なんとなーく不穏な空気をまといつつ、恋愛ドラマは進展していきます。泥沼の不倫よ、どこまでいくの!?

からの、ラストへのスピード感!真実が明らかになるとき、リアルに目を見張るというか、瞳孔全開になってしました。
もう一度言うけど、「運命の愛・・・それは仕組まれていたのか」。最後の展開の鮮やかさは、本当にやられた!という感じ。コピーでどんでん返し系とまではわかっても、結末まではわからないんじゃないかな。
観終わったあと、軽く人間不信になる(笑)。



こういう映画は感想を書くのが難しいな…。結末を言いたいけど、言えないし、言わずに面白さを伝えられる術がない。とにかく結末へのスピード感とか、伏線の回収とか、その辺りの鮮やかなトリックをぜひ観ていただきたい!

ちなみにタイトルのDot the iは、英語の慣用句の「dot the i's and cross the t's」からきているみたい。意味は「細部まで気を配る」。なるほどね。



ひさびさにガエル君作品。以前、めっちゃはまって、かたっぱしから見たな~。
エロかわいいガエル君満載だよ!

スタンリーのお弁当箱(2013年)



スタンリーのお弁当箱

2011年のインド映画。日本では2013年公開。
シナリオを用意せず、演技経験のない子どもたちだけを集めて約1年半にわたり撮影された。子供たちははワークショップだと知らされており、最後まで映画の撮影だということを知らなかった。
製作・監督・脚本・出演:アモール・グプテ。主演はグプテの息子・パルソー。グプテは本作が初監督作品、パルソーは本作がデビュー作となる。


子供たちがなんといってもかわいい!いい表情をしている映画。調べてみたら、ワークショップということで、撮影されていたみたいなので納得。

家庭の事情で、お弁当を持参できないスタンリー(パルソー)と、そんなスタンリーを心配して、お弁当を分けてあげる優しい仲間たち。そんな彼らに忍び寄るのが国語教師のヴェルマー(グプテ)。お弁当を持ってこないこと、友達にもらっていることにつけこみ、スタンリーをいじめるヴェルマーとの攻防が中心。


子供たちがとにかくかわいいし、テンポがよく、ポップな感じなんだけど、実はきちんとテーマがある泣ける映画です。インドの生活格差や子供たちの現実が描かれています。

でも、どんなときでも笑顔を絶やさずにいるスタンリー。友人たちも、悲しみや辛さを表に出さないスタンリーに答えるかのように、深く追求せず笑顔で迎え入れる。そんな子供たちの姿に涙があふれてくる。

ヴェルマーという悪者がいるけど、勧善懲悪というわけでなく、悪者を通して、友情やスタンリーの優しさを描いている感じ。
スタンリーが本当にいい子!決して恵まれた環境じゃないのに、文句も言わず、笑顔を絶やさず、優しいの!ラストでお弁当を持って学校に行き、いろんな人に配るシーンがあるんだけど、今まで優しくしてくれた人への感謝を返しているかのような最高のシーン。

スタンリーは弱さを決して出さないけど(たぶん無意識に)、きっと支えてくれる仲間がいるから、そんなにがんばらないでよ~と、思わずその強さが心配になってしまった…。


あと、カレーがおいしそう!カレー食べれないんだけど、これを観たあとならカレー食べれる気がしてならなかった!

きっと、うまくいく(2013年)



きっと、うまくいく』(2013年)

2009年公開のインドの映画。日本公開は2013年。
ラージクマール・ヒラーニ監督。アーミル・カーン、カリーナー・カプール、マドハヴァンが出演。
インド映画歴代興行収入1位を記録した大ヒット映画。
インドの工科大学の寮を舞台にした青春劇。

3時間近い長い映画だったが、飽きる暇がないくらいにおもしろい映画だった!

学生時代を共に過ごし、卒業後に消息不明になったランチョーの行方が掴めたところから物語は始まり、ランチョーの元へ向かう現在の物語と、過去の学生時代の思い出が同時進行で進んでいく。
ちょっとした伏線が散りばめられていて、後々になって「こうつながるのか!」という、展開も多く、インド映画でおなじみの歌と踊りも要所要所で入ってくるので、本当に飽きる暇がない3時間でした。

インド映画は、その日観た『スタンリーのお弁当箱』に続き2つ目だったので(目黒シネマの2本立てで鑑賞)、その踊りや歌がどんなものかも分からなかったんだけど、いい!ミュージカルみたいな感じで、しかも結構耳に残る歌で、はまりそう(笑)。

全体はかなりコミカルで笑えるコメディなんだけど、インドの教育問題や、格差の問題、家庭の問題が盛り込まれていて、考えさせる部分も多々ありました。
特に“自殺”という、キーワードが個人的に気になりました。自由に自分のやりたいことができなかったり、理不尽な選択を迫られたときに、“自殺”という選択肢が、普通に出てくることにびっくりしました。
大学に行くということの意味も、確実に日本とは違って、一家を背負っていて、卒業後にはそのプロフェッショナルとして、稼ぐことが求められているみたい。それは当然なんだけど、日本の大学生にそこまで志や期待があるかっていうと…ないような。

主人公のランチョーは、物事の本質が見えている人で、賢い。 intelligentという意味でも、cleverという意味でも。本質が見えているからこそ、斜め上から見透かしたような悪ふざけをして学長を懲らしめていく…そんでもって、成績優秀。一番嫌な学生だよな(笑)。でも、その賢さも、見透かしている性格も、彼のバックグラウンドに理由があって、納得できる。悪ふざけを繰り返すけど、友人たちにかける言葉や、悪ふざけをする理由も実は本当にまっすぐで本質を見極めているからこそ。
最初はなかなかランチョーのキャラが掴めなかったんだけど、徐々にわかってくると、ファルハーンとラージューが慕っていた理由もすごく腑に落ちます。ふざけているように見えて、言っていること正しいんだよね。ランチョーがファルハーンとラージューにかけた言葉の数々は、本当に自分のやりたいことについて考えるとき、すごく胸に響くものでした。



社会背景やバックグラウンド、抱えている悩みがあっても、大学生ならではのモラトリアム感や、おバカ具合は炸裂!それも相当やりすぎてる。気持ちいいくらいに!対立構造としては、学長vsランチョー、ファルハーン、ラージューという感じ。(『スタンリーのお弁当箱』でも、そうだったけど意地悪な先生vs生徒の構造が多いんですかね?なんだろ。)
わかりやすい構造なのも飽きないポイントなのかも。

でも、学長もただの悪者ではなく、きちんと最後にはランチョーたちを認め、最後決着がつくところがすごくいいです。
しかも、エンジニアの力を如何なく発揮するところは、お見事!あそこのシーンは本当しびれます。理系バンザイ!!


色々なことを考えさせられ、最後の最後までスカっとして、感動までしてしまう最強エンターテイメント映画です。
人にすすめたい、まさにすべらない映画です!

2014年2月12日水曜日

ラッシュ/プライドと友情(2014年)



ラッシュ/プライドと友情

ロン・ハワード監督。クリス・ヘムズワース、ダニエル・ブリュール主演。脚本はピーター・モーガン。

あらすじ―――
1976年のF1世界選手権を舞台に、2人の天才ドライバー、ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの戦いと絆を描いた。76年のF1チャンピオンシップで、フェラーリのドライバーとして快調なレースを続けていたラウダは、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで大事故に見舞われる。奇跡的に6週間で復帰を果たしたラウダだったが、ライバルでもあるマクラーレンのハントにポイント差をつめられてしまう。チャンピオンシップを競う2人の決選は、富士スピードウェイで行われる日本での最終戦に持ち越される。



正直、F1について全く明るくなく、休日前の前日に映画館に行ったところ、サラリーマンのおじさんたちがチラホラいるだけの状況に若干ビビりながら鑑賞。
が、オープニング後、すぐにそんな不安は覆されました。

オープニングからもうしびれましたわ~。エンジン音、クローズアップされるマシン類、道路の高さに設置されたカメラ…。か、かっこいい!もう、このオープニングのかっこよさで、これは観て損はしないなと確信しました。

F1の映画だけど、レースシーンばかりというわけではないです。事故についても事実に基づいているので、このあと何が起こるかも最初からわかっています。でも、事故を描いてるわけじゃなく、ニキ・ラウダとジェームズ・ハント二人の人間を描いている映画。

クールで人付き合いがうまくない頭脳派・ニキ・ラウダ、明るく常に仲間に囲まれるプレイボーイ・ジェームズ・ハント。若い頃、F3で出会い、その後F1でもライバルとしてしのぎを削る…という、まあ、映画とか漫画でよくあるライバル構造です。

クールで社交性のないニキ・ラウダが実は、優しく、人間味のある性格だったり、みんなに愛されるジェームズ・ハントの明るい笑顔の奥に見え隠れする孤独や不安が、レースを通じて少しずつ明らかになってくる。ハントへのライバル心から事故後、早急に復帰するも守るもののため、“生きる”ということを選ぶニキ。勝つために、刹那に生きるハント。二人の生き方は最後まで対照的だが、どちらも“自分の存在を証明するために、勝つ”ということは共通している。生きるということがレースをするということのように感じました。

お互い嫌味を言い合い、なかなか本心を口にはしない。復帰後のレース前、ぎこちなく思いを告げる二人。だが、スタート位置についた二人が目線を交わし、手を挙げるシーンの方が、二人は多くを語り合っているように見えた。言葉ではない会話にしびれました。



かっこいい男が二人出ている映画ということで、しょうもないけどどっちが好きか考えてみました。
最初は、結構嫌われ者が好きだったりするので、ニキかなーと思ったんだけど、終盤からハントの笑顔の向こうに隠された影の部分に惹かれていきました。笑顔めっちゃかわいいから余計に。
ニキの冷たくみせて優しい強さも、ハントの明るさの奥の孤独も、どっちもそれぞれギャップがあって素敵なのは間違いないんですが。


とにかくものすごく、いい映画なんです。アカデミー賞ノミネートされてないので、『アメリカン・ハッスル』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』ほど話題じゃないけど…。なんでアカデミー賞ノミネートされてないんだろ?その辺りの事情はわからないけど、観て損はないです!女の子は特にF1~ってなりそうだけど、騙されたと思って観てほしい映画だわ。

観終わった後、劇場を出てもエンジン音とかサスペンションとか頭の中グルグルして、まさに興奮冷めやらぬという感じになりました。それも、涙目で。

光にふれる(2014年)



光にふれる

盲目の天才ピアニストとして活躍するホアン・ユィシアンが本名のままで主演。監督のチャン・ロンジーが2008年に発表し、台北映画祭で最優秀短編賞を受賞した「ジ・エンド・オブ・ザ・トンネル(黒天)」を、ウォン・カーウァイの企画により長編化した。12年・第25回東京国際映画祭「アジアの風」部門で上映。
台北映画祭で最優秀主演女優賞と観客賞を受賞。


視覚障害を持つ天才ピアニストとダンサーを目指す女性が、互いに励まし合いながら夢に向かって奮闘する姿を描く物語。


すべてがキラキラしている映画だった。物語はもちろん、映像も、音楽も、出演者もすべてがキラキラとまぶしい2時間。
視覚障害が主人公だが、障害であることがテーマではなく、ユィシアンとダンサーを夢見る女の子・シャオジエというふたりの若者が挫折や迷いから抜け出し、再び夢を目指すという点がテーマである。

物語の中でも出てくる「目が見えないからかわいそう」というユィシアンへの感情は、観終わった後に完全になくなります。
ユィシアンの弾く曲はどれもキラキラとした光が見えるかのような音楽で、音楽だけで涙があふれるという初めての経験をしました。音楽については詳しくなく(ユィシアンのことも本作で知ったくらい)、音楽の才能というものはわからないので、説明はできないけれど、とにかく感動で涙が止まらなくなる演奏でした。


映像の演出も素晴らしく、逆光の使い方がほんとうに美しい!二人が一歩踏み出すような大事なシーンでは、特に光の演出が施され、それもいやらしくないからこそ、観終わった後の「すべてがキラキラ」しているという印象につながったのではないでしょうか。


互いに言葉で励まし合うのではなく、言葉を超えた空気のようなもので、それぞれが一歩を踏み出す。そんな二人を見ていると、一人では踏み出せない一歩も、誰かがいることで踏み出せるのかもしれないと、教えられました。

二人の人生はまだまだ続くことだろう。この映画で描いているのは、その最初の一歩を踏み出すまでの話。エンドロールの映像が、まさにそういった演出になっていて、エンドロールの最後まで涙が止まらなくなりました。


言葉で説明すると最初の「視覚障害を持つ天才~」という説明になるけれど、この映画の主人公は障害を持った男の子でも、天才的なピアノの才能がある男の子でもなく、ごく普通に悩める男の子だという思いが強く残った。そして、とても優しい心を持った男の子。


シャオジエをイメージした曲を聴いていると、ユィシアンが思い描いた、シャオジエの踊る姿はどんなものなのだろうと、思わず目をつぶりたくなる。
目をつぶっても、キラキラとした光が見えるような音楽で、まさに「光にふれる」感覚に陥りました。

2014年2月11日火曜日

ニシノユキヒコの恋と冒険(2014年)



ニシノユキヒコの恋と冒険

真実の愛を求め様々な女性と恋愛を重ねる男ニシノユキヒコの生きざまを描く、芥川賞作家・川上弘美の連作短編集が原作。井口奈己監督、竹野内豊主演。尾野真千子、成海璃子、木村文乃、麻生久美子、阿川佐和子、本田翼が出演。

何というか…竹野内豊がかっこいいだけの映画でした。ものすごくかっこよかったです。ただ、それだけ。
ニシノ君のモテモテ恋愛遍歴を描きたいのか、ニシノ君の魅力を描きたいのか、ニシノ君の孤独を描きたいのかまったくわからず。

確かにひとつひとつのエピソードは、かわいいし、尾野真千子の職場でのふたりのやり取りとか、本田翼とのやり取りとか、「あ~あるある!」っていうのも多いし、キュンとするポイントがないわけじゃない。だけど、「で?何?」となってしまう。短編小説だから、ひとつひとつのエピソードが並列になるのはしょうがないけど、オチがないというか…。


それでも内容について思ったことを少し言うと、麻生久美子演じる夏美が、「ニシノ君はわかっちゃうんだよね、女の子がどうして欲しいのか。」って言うけど、分かってないでしょう(笑)。ただ優しいだけでしょう。しかも、相手を考えての優しさじゃなくて“なんとなく、そうしちゃう”程度の。だって、本人何もわかってないじゃん。
「ふつうに結婚したい。ふつうに幸せになりたい。なんでいつもフラれちゃうんだろう。」って言うけど…、分かってないところが罪だよね。尾野真千子が別れを切り出すところなんて、要は「一人でいる孤独より、誰かといる孤独」問題なわけで。

でも、モテる。
まあ、いないわけじゃないと思う。ああゆう無自覚に優しくて、その結果「一人でいる孤独より、誰かといる孤独」を与えてしまう人って。で、そんなエピソードをいくつも展開していって…だから?という、オチ。結局ニシノ君の気持ちはわからないしね。


そんな人もいたよね~って、思い出して笑うには、そんなに魅力が感じられなかった(竹野内豊の顔と体は魅力的)。そういう映画にしたかったのかなと感じたんだけど(“そんな人もいたよね~って思い出して笑ってしまう映画”というジャンルがもしあるなら、『横道世之介』は間違いなく最高ランク)。

あと、オチはなくてもいいとは思うんだけど、ゆったりほっこり路線でもいいと思うんだけど、そういう映画も嫌いじゃないから。ただ、やっぱ長いと思う。無駄なカットが多い気がしました。やたら長いカット割りや、やたら挿入される情景だけのカット…。長いし、多いしで疲れてしまいました(また『横道世之介』の話になってしまうけど、世之介はそのカットの長さがうまくいってた)。

もうちょっとコンパクトなつくりだったら、竹野内豊のかっこよさでテンションをキープしつつ、まとめられたような気がしてならなかったです。なんとなく消化不良になってしまう映画でした。


あ、アートワークはすごくかわいいです!

2014年2月10日月曜日

ショコラ(2000年)



ショコラ』(2000年)
原作はジョアンヌ・ハリスの同名小説。ラッセ・ハルストレム監督。ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップが出演。

あるフランスの田舎の村にやってきた一風変わったヴィアンヌ母子。ヴィアンヌたちは、宗教上、断食があり、厳しい戒律のもと抑圧された街にチョコレート屋をオープンさせるところから始まる。
厳格な戒律の下で暮らす様々な人々の心をチョコレートで、癒していく…という話だが、ほっこり癒し系?と、思いきや全然癒し系の映画ではない。むしろ、香水の魅力に憑りつかれた青年を描いた『パフューム』を思い出した。チョコレートの効能と言えば聞こえはいいが、不思議な力というか…魔力というか。チョコレートに癒され、度々来店するようになる村民たちは、ある種の中毒状態にいるように見えてくる。

もともと、村長・レノ伯爵の力で教会を管理し、厳格な戒律を定めることによって、村民たちを支配してきた経緯がある。その戒律からの自由を促すヴィアンヌと村を支配するレノ伯爵は対立するが、徐々にヴィアンヌのチョコレートの力で、村民たちは自由を求めるようになる。
だが、それは本当に自由なのだろうか?ヴィアンヌは支配こそしないが、村民たちは結局チョコレートに魅了され続けているではないか。結局なにかに依存することを求め続ける村民たちの姿が、とても不気味に見えてならなかった。

ヴィアンヌはチョコレートを振る舞ったり、ジプシーたちとの仲を取り持ったり、村民のために様々なことを行うが、その真意が見えないからかもしれない。ヴィアンヌ母子が、北風の旅に村を転々とする理由も、旅立たなければならない理由も。チョコレートの効能を広めるため?でもなぜ?と、疑問が常にまとわりつき、奇妙さを最後まで拭うことがどうしてもできなかった。
そして、そこにチョコレートの不思議な力が入ってくるわけだから。


なぜ、そんなに違和感を感じてたかというと、TSUTAYAで「ラブストーリー」のジャンルにあったからに他ならない。これが「ミステリー」や「ドラマ」にあれば、なんの違和感も感じず楽しめたのに…と、悔しくてならない。
ラブストーリーなのでしょうか?うーん。ラブストーリーじゃないわけじゃないけど…。


でもまあ、『ショコラ』というタイトルだけあって、チョコレートはどれもおいしそうでした。特に気になったのが、ホットショコラにチリペッパーを入れたやつ。
この映画はどちらかというとビターチョコにチリペッパーのアクセントが入った、大人な後味でした。

お後がよろしいようで。


2014年2月7日金曜日

その街のこども(2010年)



その街のこども』(2010年)

2010年1月17日にNHKで阪神・淡路大震災15年特集ドラマとして放送し、大きな反響があったことから劇場版として再編集され公開された。
監督・井上剛、脚本・渡辺あや、音楽・大友良英。実際に阪神・淡路大震災を被災した森山未來、佐藤江梨子が主演。


阪神・淡路大震災から15年後の「追悼のつどい」の前日、すっかり変わった神戸の街で、ふとしたきっかけで出逢った男女が出会い、15年目のその時までの時間を共に過ごすことになる。今は東京に暮らすふたりが10数年ぶりにかつて暮らしていた場所、かつて震災によって破壊された場所、それぞれの過去がある場所を経由しながら、その朝を迎える。


カメラの動きや、ポツポツと語られえるセリフ、挿入される当時の写真や映像。ドキュメンタリーのような映画でした。言葉少なに語られる言葉、決して相手に分かってもらおうという言葉ではなく、自分のための言葉のように響いてきました。過去と折り合いをつけるというきっぱりとしたものではないし、何かが解決するようなものではなく、その土地を歩き、同じ瞬間を経験した相手といることで、15年間ふたをしてきた思いに気付いていく。そもそも、折り合いがつくことでも、解決することでもないのだから。

本当はこわい。でも行かなあかん。そう、何度も言う美夏(佐藤江梨子)が当時の親友の父親と再会したとき、それは「生かなあかん。」に聞こえてきた。

しかし、そういった説明はもちろんないし、ふたりの言葉の多くも当時のことばかりで、今ふたりが思っていることは語られることはない。情景描写やただ事実を写しだした映像を見て、ふたりの気持ちを知っていくことになる。
この井上監督は、『あまちゃん』のチーフプロデューサであり、『あまちゃん』の中のもっとも重要な震災の週(第23週)を担当した方。『その街のこども』を見て、井上監督だから、あの週の『あまちゃん』ができたんだと思いました。震災が起きた日を描いた133話は、当時の映像を一切使わず、それでも当時の状況をありありと伝える秀逸な演出でした。その後の回も、『その街のこども』同様、状況をたんたんと描写することで、観る人たちそれぞれが当時の自分を思い出させ、そこに何かを感じるようなものでした。

『その街のこども』を観てももやはり阪神・淡路大震災当時10歳の私でも思い出すものがありました。(当時10歳ってことは、森山君演じる中田勇治と同い年か)井上監督は観る人の感情を引き出すことで、物語の奥を作り出すのが素晴らしくうまいです。



そういうえば何かで、「震災を風化させてはいけない!という人たちは、そうしなければ簡単に忘れられる人たち。被災者は忘れたくても忘れられない。」という記事を読んだ。
このふたりを観ていると、「忘れよう、思い出さないようにしよう。そして、そう思っている自分も気づかないようにしよう。」という気持ちが出ているように感じました。しかし、前述の言葉のように、決して忘れたくても、忘れたふりをしていても、忘れられないということも。

15年たって、変わった街があって、変わった気持ちもあるけど、変わらないものもある。15年たったから変われたことも。「追悼のつどい」の広場の前、「行かへんの?」の美夏の言葉に、「やめとく。また来年。」と答えた勇治。それは向き合うことから逃げたわけじゃなくて、今年はここまでこれた。もう一歩先に行くのは来年。という、ものすごく前向きで未来があるからこその希望の言葉に聞こえました。

15年後の勇治が一歩進めたように、未来を見れるように、東北の15年後を考えずにはいられませんでした。

2014年2月6日木曜日

バレンタインデー(2010年)



バレンタインデー

ゲイリー・マーシャル監督。ジェシカ・アルバ、テイラー・ロートナー、ジェシカ・ビール、ブラッドリー・クーパー、エリック・デイン、パトリック・デンプシー、ヘクター・エリゾンド、ジェイミー・フォックス、ジェニファー・ガーナー、トファー・グレイス、アン・ハサウェイ、アシュトン・カッチャー、クイーン・ラティファ、ジョージ・ロペス、シャーリー・マクレーン、エマ・ロバーツ、ジュリア・ロバーツなど豪華出演陣。

15人の登場人物のバレンタインデーを追うオムニバス形式のラブコメ。

まずびっくりしたのが、日本のバレンタインデーと何か違う!チョコじゃないんだ!赤いバラなんだ!女の子からとかじゃないんだ!と、まあ普通に文化の違いを実感しました。
ストーリーは、ふつうです。ふつうにおもしろい。小説も映画もオムニバスがあまり好きではないので(それぞれがつながっていくオムニバスは大好物なんだけど…)、案の定そんなに入り込めなかったけど、それでも、ひとつひとつのストーリーは素敵だし、気負わず観れる感じでした。
ひとつひとつのストーリーがおもしろいからこそ、深く入り込めないままのオムニバスが物足りなくなっちゃうんだけどね;;
最後にそれぞれがつながるわけでもないから、もう少しエピソード減らしてもよかったような気もするけど…。オムニバスって、その辺の裁量が難しいですね。



それにしても、こんなに浮かれているのか?!バレンタインデー!
日本のバレンタインデーとはまた違う感じ。日本のクリスマスのような感じというか…。

バレンタインデーって、ここ数年毎年「まだ流行ってるんだ~」目線で見ていたんだけど(←勝手にやさぐれてるだけか)、この映画観ると何かちょっとウキウキしてしまいました。1日ってこんな長いの?!っていうくらい、それぞれの恋に展開がありすぎるからね(笑)。1日でそんなに気持ち変わるかっ!っていう突っ込みをしつつも、それがバレンタインデーマジックとやらなんでしょうか?

でも、みんな必死でいいよね。うん。女の子も男の子も、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな右往左往してる感じ。『ニューイヤーズ・イヴ』同様、最後にはみんなそれぞれにとって最高のバレンタインデーになっているところは、「おいおい」と突っ込みつつもこの時期そういうの大事だと思います(笑)。

バレンタインデー、何があるか分からないので、ほどほどに期待しつつ、でも諦めすぎず過ごそうと思いました(笑)。



何のブログか分かんなくなってしまいましたが、観ればバレンタインなんか楽しそうじゃん!と、思えることでしょう。

2014年2月5日水曜日

ビフォア・ミッドナイト(2013年)



ビフォア・ミッドナイト

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)、『ビフォア・サンセット』(2004年)の続編。3作ともリチャード・リンクレイターが監督、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが出演し、2作目以降はリンクレイターとホークとデルピーが共同で脚本を執筆。

『ビフォア・ミッドナイト』の鑑賞前に随分前に観た、『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』と、見逃していた『ビフォア・サンセット』を併せて鑑賞。

シリーズの3作とも、物語のほとんどがイーサン・ホーク演じるジェシーとジュリー・デルピー演じるセリーヌの会話で展開していく。『サンライズ』~『サンセット』~『ミッドナイト』と9年おきに制作され、物語の時間もそれぞれ9年後を描いている。


最初に『サンライズ』を観たとき、ものすごくロマンチックでうらやましいな設定なのに、なんだかしっくりこなくて、見直しても同様で…。なんとなくもやっとしたまま、『サンセット』を鑑賞。うーん。『サンセット』は、ちょうど今の自分のちょっと上くらいの年齢のときの話なので、セリーヌの思いとかは割とシンクロするんだけど、やっぱり、もやっと。
で、『ミッドナイト』を鑑賞。わかりました。セリーヌが好きじゃないみたいです、私。

そもそもの話をすると、二人はヨーロッパの長距離鉄道の中で出会い、意気投合し、ジェシーが降りるプラハでセリーヌも途中下車し朝まで語らうのが、『サンライズ』。翌朝別れる時に、半年後の再会を約束するが会えず、9年後にジェシーが二人のその夜の思い出を綴った本が出版されたことで、再会を果たす『サンセット』。『サンセット』の終わりはまだ続きがあるような、含みのある終わり方となっていて、『ミッドナイト』ではすでに二人が夫婦(事実婚?)で子どももいるところから始まる。

セリーヌはすごく賢い女性で、負けず嫌い。それが、会話の端々の出るわ出るわ。割と感覚的なジェシーを理論(のようなもの)で攻めるわ攻めるわ。『サンライズ』、『サンセット』では、ふたりの距離感があるから、そこまで露骨じゃないんだけど…『ミッドナイト』のセリーヌの破壊力。攻めるわ攻めるわ、理屈っぽいような、感情的なだけのような、言葉攻撃で攻め立てる。おばさん(41歳)になってパワーアップしてるし…。
正直な話、結構「それ言っちゃダメでしょう!」と「今さら、その話持ち出すのかよ?」と「それ関係なくね?!」の連続でジェシーはいたたまれなくなりました。


そんな、セリーヌの性格のキツさも見てられなかった理由のひとつではあるんだけど、『サンセット』のセリーヌに若干共感できてしまったから(32歳で、恋に仕事にうまくいかない、焦りを抱えていた)、いつか来る自分の姿がこうなのかもしれないという恐怖もありつつ。

28歳の目線からは、さすがにロマンチックな『サンライズ』のようなことは夢物語と知りつつも、『サンセット』のように葛藤しているさなか(9年後にかつての旅先で出会った人との再会は、ロマンチックだけど…)、そんな過去があったとしても圧倒的な現実に染まっている『ミッドナイト』は、ちょっとまだ見たくない未来でした;;
そう、リアルなんだよ。リアルすぎて、つらいんですよ。


でも、3作通して見ると、『サンセット』を見て『サンライズ』の良さがわかって、『ミッドナイト』を見て『サンライズ』と『サンセット』の良さがよりわかるような、作りになっていて、18年の歳月を越えた壮大な映画で、3つあってこその映画でおもしろいと思います。3つあるからこそ、誰でもどこかの段階で共感できると思う。共感できるからこそ、その先の未来(私の場合は『ミッドナイト』)がつらくて…(←まだ言ってる)。



と、まあ、いろいろ言ったけど、『ミッドナイト』の結末はしんどいものではないです!
むしろ、途中で目を逸らさなくてよかった、最後までふたりを見てよかった~と思える結末でした。
なかなか素直になれない、ついいじわるばかりが口をついて出てくるセリーヌにとっての、ジェシーの最後の歩み寄りは本当に最高だった。


それにしても、もう一回ここで『サンライズ』を見直すと違うんだろうな。『サンライズ』の写真見ただけで、ジュリー・デルピーの経年変化がやばい!人って18年で変わるんだと、思い知らされましたとさ。

2014年2月4日火曜日

小さいおうち(2014年)



小さいおうち』(2014年)

第143回直木三十五賞受賞作、中島京子の同名小説が原作。監督・山田洋次。主演は松たか子。他に、倍賞千恵子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡が出演。
ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。

倍賞千恵子演じるタキ(青年期は黒木華)が、かつて女中として奉公していた「赤い屋根の小さいおうち」の中でのできごとと、そこで生まれた秘密の恋愛事件を自叙伝として綴った物語を中心に展開していく物語。昭和初期から、次第に戦争の状況が変化していく中での、東京に暮らす中流家庭の庶民の生活が描かれている。


60年以上前の昭和初期を舞台としており、戦争が激化するまでを描いているが、決してはるか遠く昔の物語のようには思えないものだった。昭和初期も満州侵略も、太平洋戦争も、この物語ではあくまでも時代背景でしかなく、その時代に生きている人々の生活に焦点を当て丁寧に描いているので、ある若い女中と奥様という二人の女性の物語としてみることができたからなのではないだろうか。

特にタキは、世界情勢や戦争はあまりリアリティを持って見聞きしているようには描かれていない。日々、平井家の家事をこなし、奥様の秘めた恋にドギマギしている毎日だ。
奥様だって、戦争が起きていても、夫の会社がその影響で傾いていても、どこか自分のこととして感じていないように描かれている。それは、戦争が起きていても、人には生活があるということを教えてくれているように思った。自分の身のまわり、家の中を守るので結局は精いっぱいなのだ。

そして、それは決して自分のこと以外、関心がなかったからどうこうという意味ではなく、そういう大切に守ってきた家族、密やかな恋愛、思い描いていた未来など、当たり前にあった生活が戦争によって、めちゃくちゃにされてしまった現実を思い知らせてくる。
戦争がそんな市井の人々のささやかな幸せを根こそぎ奪っていったという現実を。

どうしても戦争の映画を観ていて、出兵する家族や愛する人たちに向けて「バンザイ」ということに違和感を感じていました。戦死すれば、お国のため、と。当時の女性たちも本当にそうだったのだろうかと。
タキは出兵する板倉に「死んではいけない」という。それはきっと非国民と言われる言葉だけど、その言葉を聞いて、当時の人たちも今の女性と同じなんだと思いました。

タキや恭一が口にする「長く生きすぎた」という言葉は、亡くなってしまった多くの人たちへの思いや、その人たちが理不尽に奪われた普通の未来に自分が生きているということへの罪悪感のようなものだったのかと思うと、胸が苦しくなった。



何度も言うけど、この映画は戦争の映画じゃなくて、家族の物語や恋愛の物語だと思います。
タキという普通の女性の目線は様々な今に通じるものを教えてくれ、現代の健史の視線があることで時代との距離を感じずに観ることができたのではないかと。


と、結構重い話のように思えるけど、会話ややりとりには笑えるところもたくさんあって、うん、やっぱり本当に普通の生活が描かれているので、全体は全然気負わず観れる映画です。
前作の『東京家族』とキャストがほとんどかぶっていることも、個人的にはおもしろかったけど(笑)。かぶりすぎでしょ!あと、山田洋二監督の妻夫木君の使い方がいつも結構おもしろいな~と思う。実年齢より若い役を与えていて、なんか若者ポジションなんだよね。で、必ず一番の若者の立場から、いろんな世代をつなぐ役割を担わせているという。



ここからはワタクシゴトですが。
最後に妻夫木君演じる健史が彼女からプレゼントされた絵本「ちいさいおうち」。この絵本、私が建築学科に入学すると決まったとき、母親からプレゼントされた本なんだよね。探したら、ちゃんと今の家にも持ってきてたので、読み返してみました。私の最後(らしきもの)となった修士論文の考えの根本が、「ちいさいおうち」に通じるものがあって、なんだかホッとした。ちゃんと最初に描いていた「ちいさいおうち」を最後に作れていたんだな~と。
おうちを作ることはないけど、こういう形でつながっているのもありかもしれないなと、個人的には思うのでした。



ちなみに来週2/8の週刊映画時評ムービーウォッチメンは『小さいおうち』みたい!

2014年2月3日月曜日

アメリカン・ハッスル(2013年)



アメリカン・ハッスル

デヴィッド・O・ラッセル監督。アメリカで起こった収賄事件・アブスキャム事件を基に、ラッセルとエリック・ウォーレン・シンガーが脚本。
出演はクリスチャン・ベール、ブラッドレイ・クーパー、エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、ジェニファー・ローレンス。

2013年のアカデミー賞で、『ゼロ・グラビティ』と並んで、最多10部門ノミネートということで、話題にもなり、気になっていた作品。


詐欺師がFBIに協力して、おとり捜査によって汚職政治家たちを逮捕していく、という話なのだが、詐欺師とFBIと政治家と裏社会の人々…と、全員胡散臭く、その魂胆が全く読めず、何をたくらんでいるのかという騙し合いの連続。
しかも、詐欺師グループの中だけでも、アーヴィンとその愛人シドニーと、本妻ロザリンを巡る三角関係もあり、男と女の駆け引きが絡んでくるので、さらに複雑な騙し合いが展開されていく。

うーん…
正直、あれよあれよと物語についていくので精いっぱいで、理解しきれた自信がない(笑)。
常に騙され続けているような感じになってしまい、何も信じれないまま2時間がたっていた…。まんまと、というか。
なので、もう一回観たいです。いや、観ます。なんか、悔しい!

そういう感じで、理解しきれてはいないけど、もう一回観なきゃ!と思える面白さはある。かなり面白いからこそ、理解しきれていない部分が悔しいのです。


騙し合いの中で、エイミー・アダムス演じる愛人シドニーが何度も「リアルがいい」と口にし、クリスチャン・ベール演じるアーヴィンも大きな詐欺は不本意で、巻き込まれていくことに若干ビビッている。二人が望んでいたのは、巨大な詐欺でも騙し合いでもなく、「リアル」だったんだろうな。ふたりが一緒にいることができる「リアル」。
結末の収束には、そこがポイントになってくるような。詐欺師たちの本当の狙いが分かる最後は本当圧巻でした。
全員が全員裏がある、ものすごく壮大な騙し合いなんだけど、そこに注目しすぎて、結構構えすぎて散漫に観てしまった気がする初見だったから、もう1回観るときはアーヴィンとシドニーの関係に注目して落ち着いて観ようと思います。


あと、ジェニファー・ローレンス演じる本妻ロザリンがマジで最高すぎる(笑)。
ラストで、アーヴィンが「ロザリンはやっぱり面白い」、とロザリンのその後を語るところがあるんだけど、まさにその通りという感じ!


あと、これ観ると英語勉強したくなる!たぶん英語ならではの、ギャグとか言い回しがめっちゃあると思うし、字幕追うので精いっぱいになってしまって。
思い出せば、思い出すほど、自分の受け入れ態勢が整ってない鑑賞になってしまって悔しいです。