2013年11月28日木曜日

新しい靴を買わなくちゃ(2012年)



新しい靴を買わなくちゃ

北川悦吏子監督、岩井俊二プロデュース、主演中山美穂、音楽監督・坂本龍一。オールパリロケで撮影。

もっとラブストーリーなのかと思って観たら、そうでもなかった。
海外で、偶然出会ってなんとなくいい感じになって、でもどちらかの帰国でお別れする、というよくありそうなストーリー。

とくに何があるわけではない。
ドラマっていうより、たまにドキュメントなんじゃないかっていう、自然な会話が中心。
劇的に恋に落ちるでもないし、事件に巻き込まれるでもなく、たんたんと二人の数日がすぎていくんだけど、映像がきれいだし、音楽とかセリフも押しつけがましくないから、飽きずに見ることができたかな。
まあ、パリっていう街と生活が、それだけで映画になるっていうのもあるのだろうけど。


過去に傷を抱えた中山美穂を、抱きしめる向井理はなかなかよかった。そこで、変に恋に落ちました!別れたくない!という展開があったら、逆に醒めてしまったかもしれない。
何を語るわけでもなく、抱きしめて、朝が来て、帰ってく感じが逆に切なくてよかった。

綾野剛がパリ在住の画家を演じているんだけど、まあダメな男で(笑)。桐谷美玲は、その彼に会ってプロポーズしに来るんだけど、まあダメな男なわけで(笑)。
でも、この人が演るダメ男は、なんか、惹かれる気持ちがわかる…。


桐谷美玲と向井理(この二人は兄弟。パリ滞在中は二人別行動していた)が最後疲れてソファで寝ているところが妙にリアルだったな。
旅行の夢みたいな感じと、疲労がどっと押し寄せるのって、帰る直前だったりするし。
あのシーンは、特にきれいだなあと感じた。自分がパリ行ったときの帰り、乗り継ぎのヒースロー空港のソファでみんなでうたた寝したときのことを、思い出したのもあるのかもしれないけど。


休日にだらっと観るのには、おすすめ。パリ行きたくなる映画です。




2013年11月26日火曜日

世界でいちばん不運で幸せな私(2004年)



世界でいちばん不運で幸せな私

2003年に公開されたフランス映画。ヤン・サンミシェル監督。
フランスでは、140万人を動員する大ヒットを記録し、日本では2004年に公開された。

子供の頃に、「相手に条件を出し、出された条件には絶対にのらなくてはいけない」というゲームを始めた、ソフィーとジュリアン。
子供の頃のゲームの条件は、無邪気ないたずらでしかなかったが、大人のそれは悪趣味で周りいにも迷惑なものになっていった。

ふたりはいくつになっても、「ゲーム」をやめることができない。ふたりは「ゲーム」でしか、つながっていられない不器用な関係に陥っていってしまったのだ。誰よりもお互いが必要なのに、自分の気持ちさえ「ゲーム」の影に見失って。

ソフィーの「私たちってどこかちぐはぐなのよ」というセリフがあるが、まさにその通り、すれ違いの繰り返しで、しかもお互い不器用な上に「ゲーム」があるものだから、そのちぐはぐがエスカレートし、ますます素直になれなくなっていく。
「ゲーム」のせいで、ちぐはぐな関係になってしまい、でも、「ゲーム」がある限り関わっていられるという無限のループの中にはまってしまったような。。。


ラストは、ちぐはぐなふたりもお互い素直になり、ハッピーエンド!と、言いたいところだが、これはハッピーエンドなのだろうか?いや、ハッピーエンドなんだろうけど…悪趣味で破天荒なふたりならではの、ハッピーエンドというところでしょうか(笑)。


「ゲーム」に振り回されて、素直になれない二人だけど、お互いが「ゲーム」を介してでもつながっていられたのは、「相手が出した条件には、必ず乗る」という二人の「約束」があったからなんだろう。「相手が出した条件には、必ず乗る」というのは、「ゲーム」であり、二人の「約束」だった。
それは要するに、絶対に相手を裏切ることはない、見放さないということと同意だ。

ジュリアンが出した最後の「ゲーム」が、「君を熱愛する」だったように。

この物語は「子供の頃の約束を、大人になっても守る」というシンプルなことなんだろうけど、「ゲーム」(それもちょっと悪趣味な子供たちの)というやり方で描くことによって、二人の関係はちぐはぐに、複雑に遠回りして、やっと気づくというファニーなラブストーリーになったように感じた。
(二人の性格が悪趣味で不器用だから余計「ゲーム」がおもしろくなっているんだけど、二人がそういった性格になる理由も描かれているので、すんなり納得できてしまう。)


『アメリ』となんとなく似ているので、『アメリ』が好きな人は好きかも。


2013年11月25日月曜日

プレステージ(2006年)




プレステージ

クリストファー・ノーラン監督によって、クリストファー・プリーストの1995年の小説『奇術師』を映画化。主役である二人のマジシャンを、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが演じる。


<ストーリー>(Amazonより)
2人の天才マジシャン、アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)はライバルとしてしのぎを削りあう2人だったが、ある舞台でのマジック中、アンジャーが水槽からの脱出に失敗し、ボーデンの目の前で溺死する。翌日、ボーデンは殺人の罪で逮捕され、死刑を宣告される。ボーデンはそこに恐るべきトリックの存在を感じる。これはアンジャーが仕掛けた史上最大のイリュージョンではないのか-。やがて明らかになる驚愕の真実とは?


※ネタバレあり

マジシャンの話ということ、ノーラン監督であること以外の前情報なしで鑑賞。
(ノーラン監督なので、最後まで緊張感を持って観ないといけないなとは思いつつ…)



開始早々、ボーデンが逮捕され、前半は、なぜボーデンは逮捕されたのか?という疑問でいっぱいだった。(ボーデンが真犯人を獄中から探すという話かと思っていたくらい)
話が進むにつれ、過去のボーデンとアンジャーの関係が見えてくる。アンジャーはかつての恋人の死で、ボーデンを恨んでいること、復讐をするが、それは徐々に、お互いの騙しあい、報復合戦と奇術でのライバル心でさらに激しい対決になっていく。

恨んでいた側が復讐をし、それに対してまた復讐が行われ…それが繰り返されるのだが、冒頭から、アンジャーの死とボーデンの逮捕(死刑)は決まっているので、その報復合戦がどのように、そこにつながるのかを想像しながらみていくこととなる。

ボーデンは自らの死をもって、アンジャーを死刑にすることで、戦いに勝ったのか?!
なんて、ラスト15分くらいまでは、そんなことを考えていたのだけど。


完全に、ノーラン監督のマジックのプレステージ(=偉業)に持ってかれましたわ。

ラストを観て、そういえばって気になる箇所があったので飛ばし飛ばしで振り返ってみると、伏線がめちゃめちゃあって、それが全部回収されていて、なんというかまさに偉業としか、言いようがなかった。


序盤で、ボーデンは中国人マジシャンを見て、
「すべては奇術のためだ。日々を犠牲にしている。分かるか?そこまでして始めて成し遂げられる。」と言っていて、対してアンジャーは
「何年も別人のふりをするなんて」と、鼻で笑っている。

もうここで最後の結末を象徴しているような、伏線が!!!


ボーデンは、日々を犠牲にし、二人でひとつの人生を送ることで、マジシャンとして成功した。
「そこまでして始めて成し遂げられる」マジックを。ボーデンは徹底していた。

ボーデンに関して、ずっとまわりの女性に対しての行動や発言だけが妙に違和感があって気持ち悪いなと感じて観ていた。それも、演技なのか?と、マジシャンを演じて生きるということなのか?と、考えたのだけど、最後にしっくりきた。
ボーデンは、二人でひとつの人生を送る以外の点では、嘘をまったくついていなかったという、恐ろしさ!実は、ものすごくシンプルなタネ!


アンジャーの、復讐心とボーデンへのライバル心で、複雑になりすぎたタネは自分自身をも破滅へと導くことになってしまったのだろう。かつて愛した女性が死んでしまった方法と同じやり方で、日々、自分自身を殺さなくてはいけないなんて…。



ミステリーで、クローンを使うというトリックはズルいし、それを使ってしまうと何でもありじゃないか…という感じがして、あまり好きではないんだけど、『プレステージ』に関しては違和感なく受け入れることができた。
マジシャンということもあるし、時代背景(19世紀)もあるし、テスラというエジソンと対立していた発明家が作った装置という設定もあるのだろう。

テスラという発明家は、実在していたみたい。エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」という言葉に対して、テスラは「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」言ったとか。もしそうなら、大金を払い自分自身を日々殺す苦痛をしてまで、マジシャンでいようとしたアンジャーと、1つのひらめきで鮮やかにマジシャンで居続けたボーデンに重なるような気もしてくる。
(この名言に関してはいろいろな解釈があるようだけど…)


ちなみに、タイトルとなっている「プレステージ」は、手品における一段階。
確認(pledge)=観客に種も仕掛けも無いことを証明する。
展開(turn)=パフォーマンスを行う。
偉業(Prestige)=マジックショーを完成させる最終段階。

この映画も、
最初のアンジャーの死亡事故、ボーデンの逮捕=プレッジ
報復合戦=ターン
ラストのタネ明かし=プレステージ
という、構造がきれいに描かれている。

なんという、ノーラン!まさに、マジックのような映画です。
もう一度観て、ノーランの偉業のすべてをこの目で確かめたい。



2013年11月24日日曜日

第5回 TAMA映画賞授賞式


第5回 TAMA映画賞授賞式に行ってきました。
映画ファンが決め、市民が手作りで開催しているTAMA CINEMA FORUMというイベントのひとつ。

パルテノン多摩で開催された授賞式では、
舟を編む横道世之介、『さよなら渓谷』も上映。


舟を編むは3回目、横道世之介は4回目の鑑賞にも関わらず、面白い。

観れば観るほど面白い。詳細は過去に書いています。
(『舟を編む』はこちら。『横道世之介』こちら。)


はじめて観たさよなら渓谷も、すごくよかった。劇場で観れてよかった。
感想については、こちら


なによりも刺激的だったのが、授賞式。

特に、最優秀女優賞と最優秀作品賞を取った『横道世之介』の沖田監督と吉高由里子と、『さよなら渓谷』の大森監督と真木よう子のコメントがすごく印象的だった。

どちらの女優さんも、その出演映画を愛している様子が伝わるもので、監督のコメントも、その映画と出演者を本当に大切にしているんだという思いに溢れているものだった。

吉高さんの表現は、独特だけど、大好きでしょうがない感じが露骨に出ていて、世之介を思い出すときの祥子ちゃんと同じ表情をしているように見えてきたりして。
(女優を辞めてもいいと思った。とまで言っていたのは、各メディアでとりあげられていました。こちら。)

恋の渦』の大根監督と、DQNファッションの若者と和気あいあいと取り囲んでいる様子も、本当に雰囲気がよく、無名の役者さんを大舞台に出してあげたいと言う気持ちがあったのかな〜と、勝手に想像してみて、こちらまで暖かい気持ちになるようなものだった。
恋の渦』はまだ観ていないので、来年の下高井戸シネマでの公開を楽しみにしている。

そもそもの目的だった松田龍平は、いつになく穏やかな笑顔だなと思ったら、まほろの監督お二人(ドラマ版の大根監督と、映画版の大森監督)、まほろで共演してる真木よう子、舟を編むの黒木華と、一緒に仕事してた顔ぶれが多いこと!

そういう作品を越えた、つながりも映画って面白さのひとつだと
同じ吉田修一原作だが毛色の違う横道世之介』とさよなら渓谷』が最優秀作品賞というのも、とても興味深いつながりで。


気になったコメント(※ざっくりとしたメモをもとにしています。

吉高さん「お互い新人の時の共演から、5年ぶりに高良君と再共演できて、出会いとか再会について考えながら、この作品を作れてよかった。」

真木さん「この役を他の人がやるのをみたくなかった。やりたいと思った役は、どれもそういう気持ち。好きな人を取られたくないような。」

出会いとか、タイミングとか、そういう運命的な何かが、いい映画ができるときには必要なんだというコメントが目立ちました。

龍平さんも前に何かで「30歳になるタイミングで、同い年の石井監督と仕事をできてよかった」と言っていたし、よくタイミングと出会いには述べてるし。

そういう映画の向こう側にある思いを知るのも、映画の醍醐味ですね。


他の受賞者の皆さんも、映画を愛しているのが伝わってきた。
この映画祭自体が、本当に映画愛に溢れているからということもあるだろう。1日中、映画愛に満ちた空間で、すばらしい映画を鑑賞し、映画への熱い思いを聞き、「映画っておもしろい!」と心底思い、感動してしまった。

さよなら渓谷(2013年)



さよなら渓谷

原作は吉田修一による、同名小説。大森立嗣監督、真木よう子主演。

※ネタバレあり

「TAMA映画祭授賞式」で鑑賞。
ごく普通の夫婦が、隣家でおきた殺人事件をきっかけに、大森南朋演じる記者である渡辺が二人の過去を探っていくストーリー。

最初は、観ている側も全く二人の過去について知らず、「ごく普通の夫婦」の状態で始まる。徐々に真木ようこ演じるかなこの行動や表情に不穏な陰りが見え始め、大西信満演じる俊介が逮捕される。かなこの証言によって。

「かなこがそう言ったんですか?」の後、すべてを受け入れるような俊介の表情が印象的だった。そこから、渡辺が調べてきた二人の過去のストーリーが入り込み、少しずつ明らかになっていくのだが、観ている側としても渡辺同様に知っていくので、少し知る度に「まさかそんな残酷な…」という気持ちになっていった。

釈放後、かなこのもとに帰る俊介と、「おかえり」といってチャーハンを作るかなこに違和感を覚え、二人でスーパー銭湯に行き、俊介の注ぐビールを飲むかなこに気持ち悪さを感じた(そのシーンの前に流れた過去のシーンでは、「やめて」とコップを塞いでいた)。

その時点では、過去に俊介がしたことで、かなこは俊介へ復讐していること、俊介は償いをしていることが明らかになっており、何事もなく「ごく普通の夫婦」であることが、気持ち悪かった。

なぜ、一緒にいるのか?

当初は復讐のためであり、償いのためであった。
釈放後、かなこのもとへ帰り、二人でいる姿を観ると、再び「なぜ一緒にいるのか?」が分からなくなり、混乱してしまった。
「私達はしあわせになるために、一緒にいるんじゃない」という、かなこの言葉が頭にループしながら。



その後、かなこに去られた俊介のもとに、渡辺が現れる。
「僕達は一緒に不幸になろうと約束したんです。幸せになりそうだったから、去ったんです。」という、俊介の言葉で全てが腑に落ちた気がした。

最後に、渡辺が「彼女と出会った人生と、出会わなかった人生の、どちらの人生が良かったですか」と聞くんだけど、その疑問はきっと誰もが思うところだろう。でも、皆まで言うな!と、思った。気になるけど、ここでその答えを俊介が答えていたら、私はきっとこの映画をよく思うことはなかった。がっかりしていたと思う。答えず、俊介の表情で終わるこのラストで、がっかりせずに済み、ほっとしたままエンドロールを観ることができた。(原作がどういうエンディングなのかは知らないが、この質問はなくてもいいような気がするす、あることでよくなった気もする…)

二人の関係や愛や復讐について、うまく説明できる言葉がまだ見つからないけれど、門語りにも、二人の関係にも納得できるラストであった。


同じ吉田修一原作で、テーマとしても似ている「悪人」とどうしても比べてしまうが、観客の目線と同じ渡辺というキャラクターがいたことで、物語に入り込むことができたのではないだろうか。
(「悪人」は、誰にも共感できず、ただ気持ち悪いという印象だけが残った…)

それにしても、真木よう子の不幸な役はすごい。ただの不幸女ではなく、不幸だからこその色気というか…。
授賞式で、「この役を他の人が演るのを観たくなかった」と、言っていたが、真木よう子以外の人が演じるかなこを想像できない。





2013年11月19日火曜日

地獄でなぜ悪い(2013年)


地獄でなぜ悪い

園子温監督。出演:國村隼、長谷川博己、星野源、二階堂ふみ、友近、堤真一。

私にとって『地獄でなぜ悪い』は、『ヒミズ』から入り、『愛のむきだし』から3作目の園子温監督作品。


これは本当に面白い!2013年で一番、エキサイティングな映画なんじゃないの?
劇場で大笑いしましたわ。


池上組での戦闘シーンがクライマックスなのだが、開始早々すでに興奮が収まらなかった。
「全力歯ぎしりレッツ・ゴ~♪ギリギリ歯ぎしりレッツ・フライ~♪」ってなに?!血の海?!二階堂ふみいつでるの?!源くんは?!と、これから始まる予感にあたふたしていたのもつかの間。
一気にジェットコースターに飲み込まれたみたいな感覚に。

もう、本当、みんなバカ。全力でバカです。気持ちいいほどバカです。
でも、とにかく愛おしいバカ。

妻しずえの夢である、娘ミツコを主演にした映画の製作したい武藤。
映画バカの平田。ミツコにつかまり、惚れて(?)監督になってしまう、コウジ。ミツコに恋する池上。
それぞれの思惑があって、あれよあれよとヤクザの抗争を映画にすることになって、でもそれぞれの思惑があるから本当に自由で狂ってる。

見ていて、出演者が本当にいきいきとしていた。出演者が全員、いきいきと血まみれになりながら、縦横無尽に動き回るものだから、目を離す隙がなくて、前のめりになってみてしまった。


これは、園監督が映画監督を目指していた頃の話が、ベースになっているとか。映画を撮りたくてたまらない、いつか映画を撮るんだ!っていうエネルギーが空回りしている、平田には園監督が反映されているのだろう。
このインタビューを読むと、監督はもちろん出演者の映画愛も詰まっているんだと感じた。
ビシビシ伝わる映画愛はとても気持ちいい。

観終わった後、にやにやしながら(ちょっと飛び跳ねてるくらいな勢いで)、狂ってる!と、叫びながら帰りたい気分だった(渋谷だったので、心の中でそうした)。

とにかく狂ってて、とにかくバカ。
でも、いや、だからこそ「やばい、映画おもしろい!」と改めて思わされた。



余談だけど、なんでだろう…
『地獄でなぜ悪い』もそうだけど、『僕らのミライへ逆回転』や『キツツキと雨』とか、映画製作の映画は、なんとも滑稽なものが多い。そして、まちがいなく映画愛が伝わってくる。

きいろいゾウ(2013年)



きいろいゾウ

原作は西加奈子による同名小説。宮崎あおい向井理の主演、廣木隆一監督。

原作がものすごく好きで、2、3回読んで、その度に胸が苦しくなるんだけど、何度も読みたくなる作品。
ツマのイメージは、勝手に作者の西さんのような小柄で華奢な人を想像していたので、あおいちゃんか~という感想は否めなかった。

でも私が原作を手にしたとき、その帯にあった「いつかツマを演じてみたい」という、あおいちゃんの言葉を覚えていたので、「おお、ついに!」という感想も半分。

原作がある映画は、どうしても構えて見てしまうし(私も多くの人もそうだと思うのだけど)、原作が好きであればあるほど、そのギャップを受け入れることができないこともある。
けど、私は最近、そういう原作ものを、「その原作を好きな人たちが、原作からインスピレーションをもらって作ったんだ」と、コラボレーションのような気持ち見ると、「色んなところに私が好きなこの物語を好きな人がいるんだ」と、思えるので、ギャップも気にならないし、むしろうれしく思えるようになった。

映画自体は、割と忠実に小説に基づいていて(若干、はしょられている箇所もあるけど)、当初ツマ=あおいちゃんに疑問を抱いていた点も、思ったより気にならず、ムコさん=向井理も他にもっと会う人いるんじゃないかと思ったけど、違和感なく受け入れることができた。
物語がちょっとファンタジーが入ってるんだけど、そこの演出も押しつけがましくなくて好感が持てた。


ただ、気になる点が、、
この映画のコピー「出会ってすぐに結婚したツマとムコ。お互いの秘密を知らないまま、ふたりは一緒に暮らし始めた」。

この物語のポイントはそこではないような気がしてしまった。
出会ってすぐ結婚したことも、お互い秘密があることも、物語のエピソードの一部であって、そこではないんですよ。
「出会ってすぐ結婚」で、「秘密がある」となると、結婚が気になるお年頃の女子の気を引けるのかもしれないけど…。原作「きいろいゾウ」を好きな人の反感を買うとしたら、その売り出し方のほうなのではないのだろうか。
もうひとつのコピーも「愛する痛みを知る、すべての人へおくる感動のラブストーリー」。
感動、涙推しアレルギーなので、このコピーも嫌悪感。


「ムコとツマ。もう出会う運命にあった!と、ゆう感じ。」(本文より引用)

これでどうだろうか?
とにかく、この物語は泣けるとか、感動とかではなく、もっとハッピーなものだと思う。
もちろん、胸がえぐられるくらい苦しいし、切ないんだけど、もっと手の届く範囲の愛の話でしょう。


「たいせつなもの、僕のツマ!」(本文より引用)
でもいいかもしれない。

ムコさんは最後に「たいせつなもの、僕のツマ!」と言って、日記を書かなくなる。
たいせつなもの、必要なもの、もう忘れないで、覚えてるからと。
そういう物語なんですけどね、本当は。

「ソラで言えるか分からないけど、必要なものは、覚えているのだ。
それはきっといつも、そこにあるのだから。」(本文より引用)



映画は好きなのに、コピーで台無しになってしまったなという感想がメインになってしまいました。
どうしても気になったので。

2013年11月18日月曜日

ムード・インディゴ~うたかたの日々~(2013年)


ムード・インディゴ~うたかたの日々~

ボリス・ヴィアン原作の恋愛小説「うたかたの日々」の映画化。
「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリー監督、「アメリ」のオドレイ・トトゥ主演。

かわいい!
けど、これまで見たミシェル・ゴンドリーのくるくる展開して、最後すっきり爽快な後味とはちょっと違った印象。

かわいいんだけどね。
踊っているときの足の表現とか、水の中の表現とか、映像は「恋愛睡眠のススメ」を思い出した。
ただ結末は、もっと残酷。

彼女が病気になって、身の回りの世界がどんどん荒んでいき、色を失っていくところはわかりやすく、つられてどんどん苦しくなっていった。
でも、その闘病のシーンは、日本で公開されているインターナショナル版でも長く感じたから、ディレクターズカット版はどれほどなのだろう。

恋をしている、その美しい世界と、闘病の落差が激しいから、より苦しくなったのかもしれない。
私もコランと一緒になってクロエに恋をして、その後、一緒になって絶望していったのかもしれない。

でも、やっぱりミシェル・ゴンドリーのくるくるドキドキは健在。
いつまでもどっぷり浸かっていたいと思わせる世界。その世界から、現実に戻ってくると、まだちょっとふわふわしてしまう。







ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2012年)




ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ジョナサン・サフラン・フォアによる同名小説が原作のアメリカ映画。
主演トーマス・ホーン演じるオスカー・シェルの父トーマス・シェル役でトム・ハンクス、母リンダ・シェル役にサンドラ・ブロックが出演。

実は公開直後に一度観たので、今回は2度目の鑑賞。
日本での公開は20122月。当時、日本人の心の中には、まだ3.11の記憶が影を落としていた。どちらかというと日常生活においては目をそむけながらも、間もなくやってくる「1年」ということを意識せざるをえない時期だったと思う。 

トム・ハンクス演じる主人公の父・トーマスシェルは9.11で亡くなる。
突然失った父の残した“謎”を解明すべく主人公オスカー・シェルがニューヨーク中を探し探し回るのだけど、それは謎の解明から、父の死とどう向き合うかの冒険となっていく。

「あの時、もっと何かできたのではないか」と、オスカーは無意識に自分へと問い続ける。
公開当時、3.11で多くのものを失った私たち日本人は、理不尽に断絶されたあの日以前と以降の狭間できっと同じように問うていた。
そして、それでもあの経験を経て今があるなら、何が変わったのだろうと。

オスカーは、父の残した謎を探りながら多くの人や出来事に遭遇し、ありえないほど近くの大きな存在に気付く。
オスカーは、父の死を経て変わったのだろうか?変わったのかもしれないし、変わっていないのかもしれないが、気づくことはできた。
そのとき、オスカーは父を介して、謎や不思議のありかとして捉えていた世の中や世界が、実は自分とありえないほど近くて、耳を澄ませば、ものすごくうるさくにぎやかな世界だと知る。

物語後半で明かされるママの行動には、涙が止まらなかった。
ママもまた、愛する人を失った一人だ。オスカーが謎を解き明かそうとしながら、父の死と向き合っていったように、ママもオスカーを見守ることで向き合うことができたのかもしれない。

以下、引用
ママ:「彼の声が恋しいわ。いつも私に『愛している』と言ってくれた」
オスカー:「ママに好きな人ができたら付き合ってもいいよ」
ママ:「いいえ、彼は特別な人、わたしの初恋だったのよ」
オスカー:「パパはいつもママのことを『ママみたいにステキな女性はいない』と言ってた」

2013年11月13日水曜日

舟を編む(2013年)


御法度』以降の、松田龍平の代表作になりうるだろう『舟を編む』。

2012年に本屋さん大賞を受賞した三浦しおん原作の同名小説の映画化。
石井裕也監督、松田龍平主演という同世代コンビで作られ、2013年9月に日本映画製作者連盟により第86回アカデミー賞(英語版)外国語映画部門日本代表作品に選出されている。


舟=辞書、編集=編むという、辞書編集の15年に及ぶ物語。
言葉遊びとか、そもそも論好きの説明したがりな、文系かつ理系な思考にはたまらない映画。

辞書編集の15年という歳月を経て、変わるところと変わらないところを演じきっている松田龍平が秀逸!
劇的に変わるわけでもなく、変わらないわけでもなく、とにかくマジメを一貫しているんだけど、コピーにもなっているが、本当に「マジメって、面白い。」。
馬締くんも、面白い。

それでもって、熱い映画。
石井監督が「静かな情熱を表現したかった」という話をしていたけれど、まさにそれが表現されている。

たぶんこの映画の作り手の情熱も伝わってくるからだろうな。
撮影に入る前に、監督と龍平はすごく議論したと言っていたし、そういうこだわりが映像の中だけでなく、パンフレットとかにも出ている。

【丁寧】にものづくりをする様子を、ものすごく【丁寧】に描きだしている映画だと思う。

――――――――――――――――――――

てい—ねい【丁寧】
[名・形動]
1 細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。また、そのさま。「アイロンを―にかける」「壊れやすいので―に扱う」
2 言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。丁重(ていちょう)。「―な言葉遣い」
3 文法で、話し手が聞き手に対して敬意を表す言い方。→丁寧語
[派生]ていねいさ[名]

――――――――――――――――――――

4校で致命的なミスを発見し、みんなで編集部に泊まり込むくだりがある。
あそこの描写は懐かしいものがあった。

埃っぽい部屋や、サンダル履きの素足をボリボリとする描写で、
「ああ、きっと部屋からは、人間のにおいがするんだろうな~そして、しんどいんだけど、きっとテンションは高いはずだ。」と伝わってきた。

かつてあそこにいたことを思い出した。
あの妙なハイテンションとエネルギーと仲間を私も知っていると。





やっぱり【丁寧】というのは、たどりつきたい理想のひとつだ。
【丁寧】に何かを作ることや、向き合うこと、暮らすことをしたくなる映画だと思う。
できたらあの懐かしいエネルギーと仲間と共に。


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追記

2013/11/23 TAMA映画祭授賞式で再鑑賞。

3回観ても、おもしろい映画ってすごいと思う。懲りずにドキドキして、わくわくして、馬締君の丁寧な姿勢にあこがれ、彼と彼を取り囲む人々をもっと好きになった。

今回もたぶんフィルムでの上映だったと思う?(違うかな?上映後の授賞式で予告が流れたけど、映像のきれいさが違ったし、映写室にデジタルのとフィルムのがどっちも見えた気がする。)
もしそうだったら、フィルムで上映できるところでは、フィルムでなるべく流すようにしているのだろうか。個人的には、フィルムのがこの映画の雰囲気にはすごく合っているの好き。


横道世之介(2013年)



2013年のマイベストは?と聞かれれば、間違いなくトップ3に入る作品。

吉田修一の小説を、2013年に監督:沖田修一、主演:高良健吾で映画化。


1回目は、公開直後に劇場でひとりで鑑賞。
鑑賞後、“にまにま”してしまう後味が印象的だった。

3時間の間、世之介といて、帰る頃には、まるで本当に一緒にいたかのような錯覚に陥ってしまった。
やさしいとも違うし、ほっこりでもなく、ただただ“にまにま”してしまう。


そして、世之介がいなくなった後、冷静に考えてみると、これはとてもありふれた日常の、ありふれた残酷さというか、切なさのようなものを孕んでいるなと。

しょうこちゃんと世之介は「またね」と言って別れるところなんて特に。
しょうこちゃんと世之介のお別れがまたね」だったように、あの時ふたりとも「さようなら」って言わなかったように、「また」があると何の疑いもなく別れ、そのまま「また」が来ないなんてことはよくある。今なら分かる。

よくあるが故に、胸のどこか隅っこにひっかかり、ふとした瞬間に思いだし、傷んだり、懐かしんだり、悔やんだりする。

よくあるそんな不意の、永遠のさようなら。
世之介の周りの人々はみんな、同じようにふとした瞬間に思いだし、そして「ふふふ」と笑う。
そこがすごくいい。一緒になって「ふふふ」とにやけてしまうのだ。世之介だから。


高良君の演技も、「ふふふ」に相応しい、嫌味のない「いるいるこういうやつ」感がまたすばらしくて、さらに“にまにま”してしまう。



2回目にこの映画観たのは「ナカメキノ」というイベントで、真夏の夕暮れに屋外で鑑賞。

日没待ちのゆるさとか、蒸し暑さ、ぬるくなっていくビール、蝉の声、だんだん夜になっていくグラデーション、スクリーンに映りこむ車のライト、目黒川の音、風の気持ちよさ。

全部が『横道世之介』という映画にシンクロしていたように感じた。
(この話をすると、いつも世之介が洗面器に足をつっこんでラーメンを食べてたシーンと共に思い出す)


あの日も楽しくて、思い出して「ふふふ」とにやけてしまう一日だった。そういえば。

そういう、思い出して「ふふふ」とにやけてしまう魅力がふんだんに詰まった映画だと思う。
その時のトークショーで知ったんだけど、映画の奇跡もいっぱい詰まってるしね。

そんなことを思い出していると、また「ふふふ」とにやけ、また何度でも世之介に会いたくなってしまうのです。


好きなシーンは
『名前何?」 「加藤」 「うそ!?俺横道!」と「西友でそろえてみました!」っていうところ。

――――――――――――――――――――
追記

2013/11/23 TAMA映画祭授賞式で再鑑賞。

4回目でも、笑って、ほっこり、切なくなった。
きっとまた世之介には、会いたくなると確信した。

沖田監督のスピーチを見て、この人だからこの映画を撮れたんだなと思った。
沖田監督も世之介と同じような魅力的な「普通の人」オーラがをまとっていて、みんなに愛されていて、かわいらしかった。




2013年11月12日火曜日

告白(2010年)


告白

湊かなえによる同名のベストセラー小説映画化。監督中島哲也、主演松たか子

第34回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞を受賞。

ひさしぶりに再鑑賞したんだけど、やっぱり面白い。
もともと原作を読んでいて、原作も面白くて確か1日で読み切って、映画も最初見たとき、興奮して、劇場出てテンション上がったままで困ったんだもの。

今回は落ち着いて見れました。
淡々と続く独白、挿入されるスーパースローや早回しの映像、バックに流れる音楽と、全てが刺激的。

物語自体も淡々としていて、あまり波はない。
いや、物語の内容には波はあるんだけど、流れのようなものは終始一定のペースを保っているから、あっという間に時間が過ぎている。

複数視点の独白で進む小説、ミステリーが好きなんだけど、これはそれが成功してる映画だと思う。
そういう映画なかなか見つけられないんだけどね。

最後の体育館の優子先生と修哉のシーン〜研究室のシーンは、初見時は原作のイメージが残っていたから違和感があったんだけど、今回はそんなに気にならなかった。
あのシーンは、原作にはなくて、監督が追加した意図みたいなことを何かで話していたような。気になる。

それにしても、あの独白はものすごく演技力が問われるんだろうな。
そして橋本愛の驚異的なかわいさと言ったら!当時中学生?かわいいと言うか、美しい。
今より美しいんじゃないだろうか。



そういえば、中島監督で実写化されるはずの「進撃の巨人」はやっぱり頓挫したのかしら。

2013年11月11日月曜日

ソラニン(2010年)





浅野いにおによって2005年から2006年まで『週刊ヤングサンデー』にて連載された同名の漫画の映画化。
三木孝浩監督、宮崎あおいと高良健吾のダブル主演。

原作の漫画がすごく好きだったので、最初は若干懐疑的な視点で見てしまったが、漫画の映像化にしては、かなり忠実で漫画の世界観を崩すことなく、映画としてもおもしろいんじゃないかと感じた。

劇中に出てくる楽曲「ソラニン」をアジカンが制作し、宮崎あおいが歌うと聞いたときは、すごく心配になったが、漫画のふんわりした世界観の中に潜む不安とか絶望とかを、もう少しそういったものを直接表現しているような印象。
ロックというか、まあ、現実は結構イライラしたり、大声出したくなったりするから、より現実世界の泥臭い感じが出てるんじゃないかと思ったり。
漫画は漫画で、そのふんわりとした日常の中に潜む不安と絶望が、ふんわりがゆえにより印象的で胸をえぐられるのだけど。

受ける印象は若干違うけれど、どちらも種田と芽衣子の漠然とした不安を描いてる点では、どちらも共感できてしまった。

こちらも「さよなら」がないままのお別れの物語。
一時期は病気での「死」をどう受け入れ、それまでの時間をどう過ごすか、みたいな物語が多かったけど、最近は、突然の不条理な「死」をどう乗り越えるかみたいなのが多いのかな。

たまたま『横道世之介』とその点が似ているだけかな。
世之介より、よりリアルな「死」で、そこから乗り越える物語が中心だから、全く同じというわけではないけど。

高良君とアジカン、高良君と死んでしまう役という共通点のせいもあるのでしょう。きっと。

2013年11月10日日曜日

ムーンライズ・キングダム(2012年)



ムーンライズ・キングダム

ウェス・アンダーソン監督による2012年アメリカ合衆国の映画である。

おしゃれ映画という印象。
ファッションも小物もセットもかわいい。
物語も、12歳のスージーとサムが駆け落ちするというかわいい話。
かわいいんだけど、中身はないかな。

でも、12歳のふたりの駆け落ちに大人が振り回されている感じは滑稽で面白い。
ブルース・ウィルスがさりげなく出ていて、びっくりしたけど(笑)。

おしゃれカフェとかで、流れてそうな映画。

ルビー・スパーク(2012年)



ルビー・スパーク』は、2012年にアメリカ合衆国で製作された恋愛映画。


theおしゃれ映画。

妄想夢想ものの映画は好きです。
何となく(500)日のサマーに似ているような…と、思ったら、同じスタジオが作っているのね。

何だかんだ言って、男の子は女の子に振り回されたいのだろうか(笑)。
男の子が主体の妄想ものは、かなりの確率で女の子が、わがままだったり、変人だったり、とにかく振り回されるような。
そして、100%かわいい。これはまあ、最低条件ですかね。妄想する上では(笑)。


カルヴィンの綴る小説=フィクションが現実になり、ルビーが動き出す。
様々な過程があって、想像が及ばなくて振り回される。
思い通りにならなくても、結局楽しいんだろうな。

ただ、切ないのが結末を自分で綴らなくてはいけないということ。
自分で描いた妄想の世界を、自分の手で終わりに持って行くということを考えると、ものすごく切なくなった。

妄想にふけるダメ男かと思いきや、ちゃんと完結させるとは、カルヴィンやるなあ。

調べてみたら、ヒロインである「ルビー・スパークス」を演じたゾーイ・カザンが脚本・製作総指揮で、また主人公である小説家カルヴィンを演じたポール・ダノも、製作総指揮。しかも、カザンとダノは実生活でも長年のカップルなんだ。
そうなんだ!びっくり。

それにしても、いちいちオシャレでかわいい映画だ。

レ・ミゼラブル(2012年)


レ・ミゼラブル


ヴィクトル・ユゴー同名小説を原作として1980年代にロンドンで上演され、以後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていた同名のミュージカルの映画化作品。
トム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン主演。
アン・ハサウェイがアカデミー賞助演女優賞を受賞したことでも話題となった。

アカデミー賞語の話題沸騰のさなか見に行ったところ、満席で前から2列目という悪条件で鑑賞。

前評判通り、ストーリーもおもしろく(これが初レ・ミゼラブル)、アン・ハサウェイの演技も圧巻だし、ラストの民衆の歌のところは鳥肌が立つくらいしびれた。

けれど「ここがいい!」ってうまく説明できないのです。
泣きながら「何に泣いているんだろう」って地上10センチくらい上にいた。
だけど、間違いなく感動はしたんだけど。
こんなに壮絶な「愛」なんて知らないし、こんなに不幸な人生も、貧困の世界も自分にとってはあまりリアルではないから、この涙を説明する言葉が見つからないのだろうか。

この言葉にできない感動は、
「超よかったよね!泣いたー!これで4回目!もう1回観る!」なんて、そんなテンションではなかったことだけは確かだった。
ひとりで金曜日の夜レイトショーで、訳も分からないままグスグス感動する感じがなんだか丁度よかった。

宣伝の「泣ける!」や「感動」のコピーにやや構えてしまう。
「泣ける」からいい映画ということでもないと思う。
泣ける」という言葉以外で、その映画の感動を伝えられればいいのだけど。

あの群衆の歌での鳥肌や、理由も分からず流れた涙は間違いなく、何かを揺さぶられた「感動」だったわけだから。

009 RE:CYBORG(2012年)


009 RE:CYBORG

『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』の神山健治監督による3DCG映画。20123D・2D同時公開。

石ノ森章太郎原作『サイボーグ009』とは登場人物などは同じだが、2013年というリアルタイムな現代を舞台に新たなシナリオで描かれる。

本家のサイボーグ009を見ていないので、キャラ設定を理解するまでに時間がかかってしまった。
けど、映像はすごくきれいだし、見ていて飽きることはなかったかな。

本家もそうなのか知らないけど、かっこいいだけのヒーローじゃないところに好感。

神山監督は「東のエデン」の監督。
東のエデンも神とか、見えないものと戦っていたような。

009のキャラクターについてももう少し知りたいし、神山監督の他の作品も見てみたいなと思った。

バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!(2012年)


2012年に製作されたキルステン・ダンスト主演の恋愛コメディ映画。

仲良し4人組の一番のブスが、最初に結婚する。
その結婚式の前夜祭〜当日までのドタバタ物語。

女子のリアルなんて 、こんな感じなんじゃないのかな。
どんなに仲良くても嫉妬するし、かわいいって褒めても、腹の中でなに考えてるか…でしょう(笑)。

でも、だからって嫌いなわけじゃないし、幸せになって欲しくないわけじゃないし、悔しいから素直に認める前にグズグズ汚いことしてしまう。

だんだんと結婚式成功に向けて、必死に奮闘するところもリアル。

だって、嫌いなわけじゃないんだから。

しょーもないんだけど、妙に共感してしまって、スカッとした気分になった。




2013年11月9日土曜日

御法度(1999年)


改めて映画について考えたことをまとめようと思った時、この『御法度』という映画からはじめるのはとてもいいような気がした。

大島渚監督、1999年公開の『御法度』。主演の松田龍平のデビュー作で、当時中学生という話は有名な話。



ここ最近松田龍平出演作を片っ端から見ていたが、なんとなく見る機会がないままになっていた『御法度』を、松田龍平ナイトで見ることができた。
それが、改めて「映画っておもしろい!」と思ったきっかけになった。

その日は夜9時くらいから、トークショー、『舟を編む』、『まほろ駅前多田便利軒』と立て続けに観ていたし、なんせトークショーでテンションは最高潮に上がっていて、『舟を編む』も安定のおもしろさだったのだから、午前4時から始まる時代劇は睡眠覚悟で挑んでいた(申し訳ないことに)。
しかもデビュー作なんだから、演技もそんなに期待できないだろうと(これまた申し訳ないことに)。

そんなテンションで挑んだ『御法度』。いや、ほんとごめんなさい。
なにこれ、面白すぎる。

ストーリーはもちろん(原作は司馬遼太郎の短編小説集『新選組血風録』収録の「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」)、殺陣も、映像も、衣装も、演技も、とにかくしびれた。
演技は、基本的にみんなうまくない(笑)。たけしなんか安定の棒読みだし。
でも、それが淡々とした狂気みたいなものをかもしだしてるような。

松田龍平の美しさや、男色のことしか前情報として知らなかったし、むしろどっちかっていうと、美しい男設定照れくさい&BLものに興味ないから、縁遠かった作品だった。ほんとごめんなさい。

とにかく龍平は、すばらしく妖しく美しかったです。はい。

さらに、「映画っておもしろい!」につながったのが、このときの上映が35mmフィルムでの上映だったこと。
最近はデジタルに慣れて、気にもしなかったんだけど、35mmフィルムってたまに黒い影(?)やシミや、ブレみたいなものがプツップツッと入り込むんだね。
意識してなかったのに、「うわ、この感じ懐かしい!」って思った。そのプツップツッというノイズも、映画の雰囲気に合ってたな。

あとやっぱり、黒がきれい。家のテレビで見ると黒が多い映画って、どうしても映り込みとか気になって集中できないから、劇場で観れて、しかもフィルムなので『御法度』の墨っぽい黒がきれいに見えたのもあるのかも。


自分の中で、「前のめり級」っていう映画の評価ランクがあるんだけど、まさにそれ。
しかも、「“午前4時の”前のめり級」っていう!

とにかく、100分間アドレナリンでまくりの映画だった。