原作は西加奈子による同名小説。宮崎あおいと向井理の主演、廣木隆一監督。
原作がものすごく好きで、2、3回読んで、その度に胸が苦しくなるんだけど、何度も読みたくなる作品。
ツマのイメージは、勝手に作者の西さんのような小柄で華奢な人を想像していたので、あおいちゃんか~という感想は否めなかった。
でも私が原作を手にしたとき、その帯にあった「いつかツマを演じてみたい」という、あおいちゃんの言葉を覚えていたので、「おお、ついに!」という感想も半分。
原作がある映画は、どうしても構えて見てしまうし(私も多くの人もそうだと思うのだけど)、原作が好きであればあるほど、そのギャップを受け入れることができないこともある。
けど、私は最近、そういう原作ものを、「その原作を好きな人たちが、原作からインスピレーションをもらって作ったんだ」と、コラボレーションのような気持ち見ると、「色んなところに私が好きなこの物語を好きな人がいるんだ」と、思えるので、ギャップも気にならないし、むしろうれしく思えるようになった。
映画自体は、割と忠実に小説に基づいていて(若干、はしょられている箇所もあるけど)、当初ツマ=あおいちゃんに疑問を抱いていた点も、思ったより気にならず、ムコさん=向井理も他にもっと会う人いるんじゃないかと思ったけど、違和感なく受け入れることができた。
物語がちょっとファンタジーが入ってるんだけど、そこの演出も押しつけがましくなくて好感が持てた。
ただ、気になる点が、、
この映画のコピー「出会ってすぐに結婚したツマとムコ。お互いの秘密を知らないまま、ふたりは一緒に暮らし始めた」。
この物語のポイントはそこではないような気がしてしまった。
出会ってすぐ結婚したことも、お互い秘密があることも、物語のエピソードの一部であって、そこではないんですよ。
「出会ってすぐ結婚」で、「秘密がある」となると、結婚が気になるお年頃の女子の気を引けるのかもしれないけど…。原作「きいろいゾウ」を好きな人の反感を買うとしたら、その売り出し方のほうなのではないのだろうか。
もうひとつのコピーも「愛する痛みを知る、すべての人へおくる感動のラブストーリー」。
感動、涙推しアレルギーなので、このコピーも嫌悪感。
「ムコとツマ。もう出会う運命にあった!と、ゆう感じ。」(本文より引用)
これでどうだろうか?
とにかく、この物語は泣けるとか、感動とかではなく、もっとハッピーなものだと思う。
もちろん、胸がえぐられるくらい苦しいし、切ないんだけど、もっと手の届く範囲の愛の話でしょう。
「たいせつなもの、僕のツマ!」(本文より引用)
でもいいかもしれない。
ムコさんは最後に「たいせつなもの、僕のツマ!」と言って、日記を書かなくなる。
たいせつなもの、必要なもの、もう忘れないで、覚えてるからと。
そういう物語なんですけどね、本当は。
そういう物語なんですけどね、本当は。
「ソラで言えるか分からないけど、必要なものは、覚えているのだ。
それはきっといつも、そこにあるのだから。」(本文より引用)
映画は好きなのに、コピーで台無しになってしまったなという感想がメインになってしまいました。
どうしても気になったので。
映画は好きなのに、コピーで台無しになってしまったなという感想がメインになってしまいました。
どうしても気になったので。
0 件のコメント :
コメントを投稿