2013年12月31日火曜日

ハルフウェイ(2009年)


ハルフウェイ

北川悦吏子映画初監督作品。岩井俊二と小林武史がプロデュースしている。北乃きい・岡田将生主演の日本映画。
キャッチフレーズは「だけど、それは まだ 物語の途中…」。

ヒロは、あることをきっかけに、片思いしていたシュウから告白され付き合うことになる。
高校3年生。進路、受験、卒業、そして二人の恋。

リアルな高校生の日常を切り取ったような映画(こんな、高校生活ではなかったけど…)。
会話が自然だな〜と、思ったらほとんどアドリブ&岩井俊二プロデュースで納得。
花とアリスが好きなので、なんとなく似ている雰囲気だと思ったので。

ストーリーは特にあるわけじゃないんだけど、誰もが通ったことのあるような、あるいは憧れていたような高校生活なので、共感したり、きゅんきゅんできるのではないだろうか。
リアルな会話を丁寧に撮っているから、特にこれといったエピソードがなくてもなかなか楽しめる。

また、タイトルのハルフウェイは「half way=途中」(北乃きいが読み間違えたのを採用されたらしい)を意味しているんだけど、ラストのプツッという終わり方は、まさにそういう感じだった。
高校時代の恋なんて、どうなるか分からない。それでも、その恋がその時のすべてで。
その後、二人はどうなるのか分からないけど、「だけど、それは まだ 物語の途中…」なので。

ゆったりしているので、期待しすぎずポケーと見るといいと思います。




2013年12月28日土曜日

ピンポン(2002年)


ピンポン
松本大洋の同名漫画を原作とする日本映画。
監督・曽利文彦、脚本・宮藤官九郎、出演・窪塚洋介、ARATA、中村獅童など。

上映当時「この星の一等賞になりたいのっ!俺はっ!そんだけっ!」とか、「I can fly!」とか、よく言ってたな〜と懐かしい気分なりつつ。当時、高校生だったのかな?

今だから分かるのは、才能とか努力とか、楽しみと苦しみとか、自分の限界とか…
結構、キャラクターそれぞれの葛藤が分かりやすく、そしてリアルだった。

卓球が好きで楽しくて、天性のセンスと勝てる自信はあるけど、努力はしないペコ。
才能もあるし、努力もできるけど、ペコがいる卓球が好きなスマイル。
努力努力努力の人。勝ち続ける以外に道はないドラゴン。
努力をして、その結果、自分の限界を知ってしまったアクマ。


「ヒーローっていると思う?」と、スマイルは問う。

勝ち続け、負けを知らず、最強のヒーローはこの映画には出てこない。
スマイルにとって、ペコが絶対的なヒーローで、負けるところが見たくなくて、手を抜くことさえする。なんという、不器用なあこがれ。
そんなスマイルにとってのヒーロー=ペコは、ドラゴンとの闘いのさなか、ヒーローに助けを求め、そのとき答えるヒーローはスマイルだった。
それはスマイルがいるからこそ、ペコはヒーローとしていることができるということなのだろう。

スマイルを笑わせ、ドラゴンに楽しい卓球を教え、アクマを泣かせる。
負けては泣き、弱さを知り逃げ出す。でも、やっぱりペコが最強のヒーロー。

キサラギ(2007年)


キサラギ

ストーリーの大部分が一つの部屋の中で進行する密室推理劇。
脚本は古沢良太によるオリジナル。監督は佐藤祐市。
小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之が出演。


友達に「なんかおもしろい映画ない?」と聞かれたら、まず勧めるのがこの映画。
なので、すでに5回くらいは観ていると思う。推理ものにもかかわらず。

1年前に謎の自殺を遂げた、如月ミキの1周忌オフ会に集まったファン5人(ほぼ5人だけで話は進む)。

「なぜ、彼女は自殺をしたのか?」

という、ひとつの謎についてひたすら議論していくのだけど、そのやり取り、展開、伏線の回収、ラストのオチ全てがおもしろい。間違いないエンターテイメント。

その5人はネット掲示板を通じて知り合っているので、ハンドルネーム以外の素性はお互い知らないわけだから、その素性が明らかになるに伴い、議論の的も変わっていく。疑ったり、疑われたりを5人で延々と繰り返すんだけど、飽きさせない会話劇!
脚本は『リーガル・ハイ』の古沢さんということで、それも納得です。

ラストのオチも秀逸。
真実は誰にも分からない。けれど、彼ら5人にとって「如月ミキ=アイドル」であることは揺るぎない真実で、如月ミキはアイドルのまま死んでしまったということは間違いないのだろう。
5人と如月ミキの関係がそれぞれ違うけど、それぞれにとってのアイドルだったんだな〜と、最後は実は結構泣けたりする映画です。

そして、この映画を観たら、ぜひエンドロールも観て欲しい!このエンドロールがまた素晴らしく痛快なの。実は観る度に、エンドロールだけ巻き戻して2回観たりするくらい好きです。



AKIRA(1988年)



AKIRA

大友克洋による同名漫画を原作とする、アニメーション映画。
脚本・監督も大友克洋が務める。

爆音大友克洋』というイベントで鑑賞。
伝説的アニメと知っていながら、なかなか鑑賞できずにいたのだが、爆音で初めて観たのがよかったのか、どうか…。

爆音映画祭音楽ライヴ用の音響セッティングを使い、大音響の中で映画を視聴出来るイベント。
単に音を大きくするのではなく、その映画にとって最適な音とは何か、それぞれの映画における音の核心はどこにあるのかを追求している。

そんなわけでものすごく恵まれた環境での『AKIRA』という映画体験をしてしまいました。
そして、この映画が四半世紀たった今も、こうして見られ続ける意味をビシビシと感じざるを得ない2時間だった。

むしろ、今こそ観るべき映画!
舞台は2019年。翌年にオリンピックを控えた東京。その裏で政府がひた隠しにする、最高機密=アキラ。
オリンピック招致のお祭り騒ぎの裏で、人間の手に負えない力がまだ確実に日本を覆っているわけで…現実の日本が25年前にすでに描かれていた。
人類の手に負えない力、最高機密、隠されている真実…どうしても「原発」を想像してしまうのは私だけではないはずだ。

そんな理不尽な圧倒的な力の前にしても、ただ親友の鉄男だけを見ている金田はヒーローの理想だと思う。そして金田が無邪気に、まっすぐにそうしているからこそ、鉄男の感じていた行き先のない劣等感もまた、リアルで切実なものとなる。
それでも、そんな劣等感を抱えながらも最後の光に包まれるシーンでの行動が救いとなる。金田の行動は否定されることがなくてよかったと心底思った。鉄男の劣等感で金田が失われることがあれば、その劣等感はより救いがなくなってしまうだろうから。

あこがれの人はあこがれのままでいて欲しい。超えたいけど。超えようとするけど。
鉄男にとっても、金田は最後までかっこ良かったはずだ。


ストーリーも25年前とは思えないけど、アニメーションも表現も到底そう思えないクオリティだった。
最後のアキラの暴走(?)の描写なんて、確実にエヴァンゲリオンに受け継がれてるよね。エヴァに関して言えば、人類が神の領域に踏み入るようなテーマとか、根底がそもそも同じだし、影響を受けているのは間違いなさそう。


爆音についても少し。
今回の『爆音大友克洋』で『AKIRA』は35mmフィルム版とデジタルリマスター版が上映され、デジタル5.1チャンネルを駆使したデジタルリマスター版で鑑賞。

なんと言うか、もう…包まれている感じだった。

冒頭のバイクでの暴走のシーンから、会場がビリビリ震えていて、何が起きているのか分からなかった。ラストの鉄男が暴走して、アキラが覚醒するところでは、自分もアキラに飲み込まれているような錯覚に陥った。なんと言うか…包まれているという表現しかできないのだけど。前にちょっとサラウンドシステムの体験をしたことがあって、そのときは数分の体験だったんだけど、映画というある程度の時間(今回は2時間)をその中で過ごすと、耳がおかしくなってくる。それは、聞こえにくいとか不調という意味ではなくて、目はスクリーンを通して映画を観ているんだけど、耳に関しては客観性がなくなるというか、映画の中にいるような感じになってくる。

そして、吉祥寺バウスシアターの天井は、鉄骨とかはしごのようなものがむき出しで、それもまた『AKIRA』を観る環境としては、しっくりくる感じがした。はしごとか照明が、その音で震えている感じとかも含めて。

今回、爆音という特殊な環境で『AKIRA』を観れたことで、またひとつ貴重な映画体験ができた。そして、今まで観ずにきたこの映画と、今この時代に初めて対面したことも。

2013年12月13日金曜日

鍵泥棒のメソッド(2012年)


鍵泥棒のメソッド

内田けんじ監督。
2013年、第86回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画脚本賞、芸術選奨文部科学大臣賞、第36回日本アカデミー賞・最優秀脚本賞を受賞。
堺雅人、香川照之、広末涼子が出演。


内田けんじ監督おなじみの、ドタバタ劇。
そして、パズルのように組立てられた展開は、最後まで騙され続けてしまう。これも内田けんじ監督の得意技。

おもしろいです。まじで。
売れない貧乏役者の桜井武史(堺雅人)が、銭湯で転倒し記憶をなくした山崎信一郎(香川照之)のロッカーのカギを盗み、自分のカギと入れ替える。山崎のふりをする桜井と、記憶がないため自分を桜井だと思い込む山崎。
山崎の金を使い、家に暮らす桜井に、一本の電話がかかってくる。その電話はどうも、自分(=山崎)はコンドウという人物で、殺し屋のようだ…。
一方、山崎は桜井が住んでいたボロアパートで、自分はどんな人間なのかを探っていく。売れない役者で、どうも自殺しようとしていたらしい…。
お互いが、全くの他人の人生を生きていこうとする。

そこに、広末涼子演じる水嶋香苗が絡んでくる。この水嶋香苗のキャラがまたいい!
職場のミーティング中に「私、結婚します。年内に結婚するので、独身男性の知人がいる方は紹介をお願いします。」なんて、まじめな顔して言ってしまうんだから。手帳には、結婚までのスケジューリングがきっちり記入されている!

その水嶋香苗と山崎(記憶をなくしている方)が出会い、ちょっといい感じになったり、桜井は殺しの依頼に右往左往したりしているうちに、山崎は記憶が戻り…。
もうここからの展開の勢いは、しびれっぱなしでしたわ。
ここからの展開は、ぜひ観て、しびれていただきたいので触れないでおきます。


後半は騙されっぱなしで、細かいキャラの設定が、全部最後につながる感じは、もう鳥肌もの!
伊坂幸太郎の小説に近いものを感じます。伊坂さんの小説は、小説だからこそできるところがおもしろかったりもするけど、内田けんじ監督の作品は、映画だからこそできるおもしろさが出ているように思う。どちらも、鮮やかなパズルで、してやられた!となる、後味は共通です。

かぐや姫の物語(2013年)



かぐや姫の物語

『竹取物語』原作。高畑勲監督・スタジオジブリ制作のアニメーション映画。キャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」。


なんかすごいもの観てしまった!
観終わってすぐは「なんかすごいもの観てしまった!」という感情がすべてだった。

宮本信子のナレーションで始まる「今は昔 竹取の翁というものありけり~」という冒頭は、中学校で暗唱した『竹取物語』と全く同じだった。(あまちゃん好きとしては、密かに「おお!夏ばっぱ!」と、ちょっとうれしかったり。)
正直『竹取物語』が130分という、意味が分からなかった。不安と期待の中、観始めた。

気づいたときには、完全に『かぐや姫の物語』の世界に飲み込まれていた…。


内容は『竹取物語』のまんま。だけど、すごい。
まず、展開は誰もが知っている通りで、そこに変更はないんだけど、姫の感情の微細な変化がすごい。アニメで、しかも表情を細かく描くわけではなく、平面的な表現でここまで伝わるものかと。

野山で捨丸たちと、駆け回っていた幼少期を経て、父の「娘を幸せにしたい」という思いから姫になったかぐや姫。折にふれ、野山での記憶に思いを馳せる。鳥かごの中のように、自由を制約された屋敷の中で。その窮屈さから、姫はあることを願ってしまい、月へ帰ることとなる。
「ここから逃げ出したい」。

姫は月の住人で、かつては地球に憧れ、地球の生活の中で自由がないと逃げ出したいと願う。両親や求婚者たちの愛も、煩わしいと受け流し、なくしてからはじめてその大切さに気付く。なんてことはない、現代人と同じなのだ。どこに行っても、ここではないと所在なさを感じ、あの頃はよかったと過去に思いを馳せ、まわりを振りまわす。
父とのすれ違いもまた、現代にシンクロする。父と娘の気持ちはすれ違い、正反対の方向を向いていってしまう。決して憎いわけではないのに。姫の父親への煩わしさも分かる反面、このまま最後まで姫は父への愛情を空回りに終わらせてしまうのかとものすごく胸が苦しくなった。
地球での記憶を消され、月へ向かっていくとき、一瞬振り返ったあのシーンがあってよかった、あの一場面で少しだけ救われたような気がする。


「姫の犯した罪と罰」というコピーについて
このコピーの意味を、私は観終わった今も、正直理解しきれていない。
月の住人である姫が、地球に憧れていた。これが姫の犯した「罪」なのではないのではないだろうかと考えた。迎えに来た月の住人たちは、仏のような姿をしていたので、神の世界で俗世に憧れたからなのかなと(宗教的なことはあまり詳しくないので、想像です)。だとすれば、翁たちと過ごした日々が、「罰」ということになる。それは、あまりにも辛いので、それ以上は考えないようにしてしまった。
いつか、気持ちが落ち着いたらコピーの真意を知りたいと思う。

姫は最後、月へ帰るときになって、もっと生きていたいと、屋敷の中で死んだように生きていたことを悔やむ。姫にとって「生きる」とは、捨丸そのものだった。それが分かったとき、この映画のテーマも「生きる」なのではないかと思った。(ちなみに、『風立ちぬ』のコピーが「生きる。」)


これはアニメではない。動き出す「絵」。
アニメというより、「絵」です。だから、ものすごく不思議な感じ。筆のようなタッチの絵が、スルスルと動いていくから、その場で書かれているような錯覚さえ覚える。躍動感も迫力も、筆のタッチで表現している。動き出す「絵」は、線ひとつひとつにも感情を宿しているかのように、幸福感や怒り、悲しみを訴えかけてくる。線は個体や情景を描く以上に、感情や状態までを描きだしている。やっぱり、これは「絵」なんだと思う。
その「絵」が動いているという感覚を、逆手にとって、静けさを表現するシーンであえて全くの静止画を挿入してくるところは、「やられた!」としか言いようがなかった。(月の住人が姫を迎えにくるシーンなど。)
今まで観たことないものであることは間違いないし、これはアニメではない、「絵」に近いもの。



小さい頃からお馴染みの物語にもかかわらず、未だに消化できない感情を湧かせ、それを観たこともない表現で伝えてきた『かぐや姫の物語』。
「なんかすごいもの観てしまった!」という、感情で表現するのが精いっぱいだけど、観てよかったと心底思う映画だった。

2013年12月12日木曜日

俺俺(2013年)


俺俺
原作は星野智幸作の同名小説。
三木聡監督・脚本、亀梨和也(KAT-TUN)主演で映画化された。



前情報なしで鑑賞。

亀梨君演じる永野均が、ひょんなことからオレオレ詐欺を働き、それを機に別の「俺」が増殖していく。
実家や職場で他人と関わることにめんどくささを感じていた「俺=永野均」は、「大樹の俺」や「ナオの俺」と出会い、「俺」たちだけのユートピア俺山を作ろう!と盛り上がる。みんな「俺」なのだから、考えることも同じで、気を使わず、分かり合えると思って。

最初は身代わりになったり、楽しくすごしていたが、色々な「俺」が集まるうちに、徐々に許せない「俺」と許せる「俺」がいることに気付く。そして、そう思っているのは「俺」だけでなく、もちろん別の「俺」にとってもであり、「俺」同士の削除がはじまっていく…。


正直、オレオレ詐欺で「俺」が増えていっちゃうコメディーかと思っていたら、全然違った。
むしろ結構怖い。

「もうひとり自分がいればいいのにな~」という、夢想はきっと誰でもしたこがあるだろう。そして、対峙する人や場所、立場、状況によって態度や振る舞いが変わってしまうということも、誰もがあることだろう。
そんな単純な夢想、無意識の日常を突き詰めていく先にある怖さがあった。

別の自分がいるということは、自分を100%理解している自分がいるということだ。それは、煩わしい気遣いなどはいらないかもしれないけど、自分の中に隠している、汚い感情も相手にバレてしまうし、自分も分かってしまう。これは怖い。
分かり合えないから知りたいと思うし、逆に分からないふりをして誤魔化せる部分ってどうしてもあるから、100%理解してくれるっていうのはお互い誤魔化しようがない怖さがある。
でも、日頃は理解してほしい、認めてもらいたいって思うのが人間だから、わがままな生き物だなと改めて突きつけられたような。ないものねだりっていうことでしょう。

そして、「永野の俺」、「大樹の俺」、「ナオの俺」という、別の「俺」の人格が存在するというものも、無意識のうちに日常的にあることなのではないか?会社の自分、友達といる自分、恋人といる自分は違うだろうし、友達でも相手によって違う「自分」をきっと無意識に出しわけている。その中には嫌いな自分も、認めたくない自分もいるだろう。それがずらっと並ぶなんて…。冷静にその「自分」を見ることができてしまうなんて…。怖い。


この映画を観てゾワゾワした。『俺俺』の状況を想像して怖くなったし、それ以上に自分は思った以上に色々なものを見て見ないふりをして、誤魔化しているんだという現実に。


勢いがあるし、ポップな感じの演出なので、ゾワゾワしながら観て「何だ?!このゾワゾワは?」なんて思っていたらラストになっていた。観終わって「怖い!」となるような。



最後に。亀梨君演技うまいのね。何人もの「俺」を演じ分けていて(どれも亀梨君なんだけどどれも別人!)、これ合成だろうからきっと一人で演技しているところも多いんだろうな~と思うと、すごいわ!これもまた、ある意味、怖い!

2013年12月7日土曜日

箱入り息子の恋(2013年)


箱入り息子の恋

ミュージシャンとしても活躍している星野源の映画初主演作品。監督は市井昌秀。

35歳、市役所勤務。出世欲も恋愛経験もなし、趣味貯金、童貞の天雫健太郎と、盲目の美少女・今井菜穂子。将来を心配したそれぞれの両親が行った代理見合いで出会い、恋をする。


まず、思ったのが、恋してるときのダサさ、滑稽さと言ったら!
不器用な探り探りの、それでいて繕うことを知らないピュアな恋は、見ているこっちがドキドキにやにたしてしまうくらい歯がゆい!

これは盲目の少女との障害を越えた恋では、決してない。
むしろ、健太郎のコミュニケーション障害の方が、やっかいな障害だった。
そんな、今まで会社と自宅の往復(昼休みも実家に帰る!)で、出世もしないまま同じ仕事を13年間し続け、狭い世界にしかいなかった健太郎は、菜穂子と出会い、恋をして、その世界から飛び出して行く。

手をつなぎ、キスをして、牛丼を食べ、菜穂子といろいろな話をする。今まで見えていなかった周りの人のことも見えてくる。会社の帰りに同僚と飲みに行き、昇進試験を受け、会社を初めて早退する。

恋をしなければ、知ることのなかった、辛い気持ちも同時に知ることとなる。自分の不甲斐なさや、気持ちのすれ違い。うまくいかないことだらけだ。街で見かけて思わず、追いかけてしまう。二人で行った牛丼屋は、今では対岸で見守るしかできない。そんな自分を菜穂子は知ることはない。見えないから。

だから、伝えなければいけない。
ベランダから菜穂子に会いにいくシーンは、きっとロミオとジュリエットのオマージュなんだろう。でも、実際の恋愛って「おおロミオ~」「ああ、ジュリエット~」なんて、おしゃれじゃないでしょう。走って、ぐしょぐしょになって、心底ダサいもんでしょう。

おしゃれな映画のような恋愛ももちろんいい。憧れる。
けれど、健太郎の恋みたいな無我夢中で必死な恋を自分はまた出来るのだろうかと、うらやましくもなった。
きっと誰もがこういうダサい思いをしたことがあり、傷ついたことがあると思う。
でも、傷ついてもダサくても、こんな恋って悪くないよね、と思わせてくれる滑稽さがあった。
ダサくなれるほど、人を好きになるって、ちょっといいかも、と。


最後に、今、ダサい童貞男を演じさせたら星野源の右に出るものはいないと思う。






2013年12月2日月曜日

第23回映画祭 TAMA CINEMA FORUM「松田龍平という佇まい ―春から大海原へ―」




第23回映画祭 TAMA CINEMA FORUM「松田龍平という佇まい ―春から大海原へ―」に行ってきました。


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●スケジュール

青い春上映
松田龍平、豊田利晃監督、新井浩文(サプライズゲスト!)のトーク
舟を編む上映
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映画の感想は、別の記事に書いてあります。
『青い春』の感想はこちら
『舟を編む』の感想はこちら


今回は、『青い春』豊田監督と、主演の二人ということで、『青い春』のトークが中心だった。
当時のエピソードや、思い出を交えつつ、新井さんのトークと、それに対するクールな龍平さんのトークで盛り上がっていた。


面白かったのは、観客の質問で
「九條はあのあとどうなったと思いますか?」という、質問に対しての答えだった。
「辞めたんですかね?考えましたね。ある意味、ナインソウルズに続くというか。九條にとっては、学校が一番楽しくて、つまらないというか。でも、卒業したと思います。」

ちゃんと卒業したのかどうかは、龍平さんの答えからはよく分からなかったが、龍平さんの中では九條は、あの後ちゃんと学校との折り合いをつけたという答えだったのだろう。彼自身、『青い春』の撮影前に高校を中退してから撮影に挑んでいる。
卒業証書をもらい、「仰げば尊し」を歌うことが卒業ならば、松田龍平も九條も卒業はしていないかもしれない。でも、泳ぐには寒すぎる世の中(=学校の外)へ出ていくことを、自らの意志で決断したことを卒業と捉えているのかもしれない。
それは九條の仲間たちが、学校を去る時にはなかったものだから。

この質問に監督は「お客さんに想像して欲しいですね。その先にナインソウルズがあるとは思いますが。」と答えた。
それも、おお!と思った。

二人の中で、『ナインソウルズ』のみちるに繋がるという、話があったのかどうかは知らないが、この話を初めて二人の口から聞いて、ものすごく『青い春』の結末がしっくりきた。
九條=みちるということではなく、きっと九條は学校の外で、変わらずあの眼差しで何かを見つめて生きているということなんだろう。

この後、新井さんは「しっくり来た!だから、うち、ナインソウルズに出てないんだ(笑)」と言い、笑いが起きていた。


『御法度』から『青い春』へ。『青い春』から『ナインソウルズ』、『I'M FLASH』へと繋がっていく。
『青い春』でデビューし、出会った新井浩文、瑛太とはその後も共演していく。映画ひとつひとつに、出会いがあって縁があって、広がっていく関係が面白いなと思った。

最近はミズタクや馬締君とかゆるっとした役が多いけど、何を考えているか分からない狂気を孕んだ表情の松田龍平といったら、豊田監督の作品だよな~と思っていたら、やっぱり監督もそういう松田龍平を撮りたいんだというようなことを言っていた。
新井さんも、いつも龍平の出演作を見るとなんで自分が共演していないのかと思うと言っていた。
「こういう龍平を撮りたい」と監督に思わせるのも、「一緒に共演したい」と思わせるのも、すごいことだと思う。人柄もあるんだろうけど。


最後に一通り、トークが終わって退場の時。一人マイクをいじっている松田龍平。
「今日はありがとうございました。」と、あいさつして退場していった姿が印象的だった。きっと言い忘れたことが気になったんだろう(笑)。


13年前、隣駅の廃校で撮影された映画が、この13年間この映画祭で何度も上映されているらしい。13年後こうやって、監督共演者が映画について語るというのも、なかなかないことだと思う。すごいな。改めて見て思ったけど、13年前なんて関係ないくらいの鮮度を保ったままの映画だった。



トーク後、会場から車に乗り込む3人を見ることができた。近くで見たいけど、ごりごり行けず、背伸びして眺めていたら、会場の案内の方が「こっちの方が見えるよ。見れてよかったね。」と、こっそり誘導してくれた。「ありがとうございます!」と、喜んでいたら、「来年もみんなが喜んでくれるような、映画とゲストを呼べるようにがんばるね。」と。
授賞式でも思ったけど、やっぱりあったかいイベントだな、と思った。

ウォールフラワー(2012年)



ウォールフラワー

スティーヴン・シュボースキー著『ウォールフラワー』を原作としたアメリカの映画。
著者であるシュボースキー自身が監督を務める。ローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラーが出演。 

『桐島』の再来?!と、SNSで話題の本作。
たまたま、『青い春』を見た直後に鑑賞(『青い春』の感想でも、『桐島』を思い出した)したのも、何かの縁かもしれない。
※たしかに『ウォールフラワー』と『桐島』、『青い春』と『桐島』は通ずるところがあると思う。けど、『ウォールフラワー』と『青い春』は、つながらならないです。

スクールカーストの下層にいる、内気な少年チャーリーの生活が、パトリックとサム兄妹と出会うことで変わっていく物語。

『桐島』以降、「スクールカースト」という言葉が注目されているが、その面白さは「自分もかつてその図式の中に組み込まれていた時期があり、それを思い起こさせる」ところだと思う。
よって、今回の『ウォールフラワー』もスクールカーストの図式は出てくるが、そこがポイントではなくて、そのカースト制度に「勝手に」振り回されていた、「ちょっとこっ恥ずかしい時期」への共感が面白いポイントです。

ちょっと悪そうなかわいい(かっこいい)子への憧れ、友達が芋づる式に増える照れくささと調子乗った感じも、誰にも離せない自分の過去や個性も、好きでもない子と付き合ってしまう感じも、将来のやりたいことを密かに考えている感じも、卒業の不安と希望、それを見送る後輩のお祝いしたいけど、さみしい気持ちも、漠然とまだ変わらない関係で居られる気がしているお別れも。

チャーリーだけでなく、サムも、パトリックもその仲間も、みんな魅力的で、ひとつひとつのエピソードに、何かしら共感でき、照れくさくなってしまう。

自分が生きている世界がすべてだったから、いちいち必至で、必至すぎてちょっとダサくて、でも、誰もがそこにいたことがあるから、愛おしく懐かしむことができるんだろう。
チャーリーもサムも、パトリックも大人になれば、分かることなんだけど、あの頃だからこそのキラキラした文化祭みたいな夢のようなものが、描かれている映画だった。

けど、ただキラキラしただけの映画ではない。
チャーリーの過去も、サムの過去も、パトリックの個性も、高校生がひとりで抱え込むには大きすぎる。
大きすぎるから共有しようというきれいごとではなく、大きなものを抱えているけれど一緒にいれば笑える友達がいるということの意味を教えてくれる。

個人的にはチャーリーの過去はものすごく共感できて苦しかった。
守られなかった約束は、人を縛り付け、自分を責める。そして、何が起きても自分のせいだと、諦める。また諦めていく自分に、絶望しながら、同時に一緒に笑えた時間をどこかで欲し、それを求めることは許されないと、閉じていく。そんなことはないのに。分かっている。

またね、と言って、街を去ったサムを見送り、チャーリーはどこかでその「また」がないことに怯えていたはずだ。みんなが卒業し、また一人に戻った学校で。

「また」はちゃんと来た。パトリックは相変わらずだし、休みにサムは帰って来た。来年は一緒にシナモンロールを食べる。

守られない約束もあるけど、守られる約束もある。
あの頃には戻れないけど、続いていくものも確かにある。


青春のまぶしい日々の映画かと思いきや、もっと深い映画だった。


ただ、原作のあらすじを読むと、チャーリーの過去にもっといろいろエピソードがあったみたい…?
原作も気になる。
原作には、自殺した親友マイケルのことももう少しあるのかな。映画の中のエピソードだけだと、ヘレン伯母さん=マイケル?!と、勝手に深読みしてしまいそうになった。




青い春(2002年)


青い春

松本大洋の短編集『青い春』を基に豊田利晃監督が実写化。
『しあわせならてをたたこう』をベースに、『青い春』に収録された漫画のエピソードやキャラクターの要素を合わせて長編映画にしている。
松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑、大柴裕介が出演。


学校を仕切る番を決める「ベランダ・ゲーム」(屋上の柵の外に立って何回手を叩けるかを競う根性試し)で、最高記録を出した九條と、それを取り巻く不良たちの群像劇。

九條の幼馴染の青木、甲子園の夢が破れた木村、家族はエリートの雪男、先輩に媚を売り気に入られていると威張る太田、使いっぱの吉村。
そして、九條。

九條の気持ちや考えていることは、ほとんど語られることがない。語られても、真意のわからない言葉がぽつりと発せられるだけだ。だからこそ、彼の言葉に、つい引き寄せられてしまうのだろう。
―(青木に対して)「あいついいやつだから」
―「泳ぐには寒すぎる」
―「咲かない花もあると思うんです」
そして、そういった感情の出ない役の松田龍平はすごく、狂気に満ちているし、より引き付けられる。豊田監督は、そういう松田龍平の使い方が本当にうまいと思う。

九條は仲間に「卒業後どうするのか?」と尋ね、それに対して彼らは、のらりくらりと返すだけで答えないのが印象的だった。「卒業後」を見るもの、見ることから避けるもの。

将来だけでない。仲間との関係や、自分自身の可能性。みんな見えない、言葉にできない、フラストレーションを抱えている、あの頃。
学校のぬるま湯に浸かりながら、間もなくやってくる寒すぎる外の世界に出なくてはいけない時。九條だけには、見えていたのだろう。確実にやってくるその時が。他のものたちが、目を逸らしているその時が。

そんな地上15センチくらい上に浮遊しているような、九條への嫉妬。青木は最後「九條にはできないこと」をやろうとして、ベランダの柵を越える。
九條は、その時初めて走りだし、感情が一瞬露わになる。地面に叩きつけられた青木の姿を見て、振り返った九條の表情に鳥肌が立った。その表情から、九條の感情はもう見えないんだけど、ハッとする表情だった。今の松田龍平だったら、もしかしたら違う表情をするのだろう。けれど、17歳のリアルな表情が、この時の九條にものすごくシンクロしていたように感じた。


イケメン不良映画の走りのような言われ方をする映画『青い春』だけど、学園もので分けるとするなら、個人的には、むしろ『桐島、部活やめるってよ』につながっていくような印象を持った。
狭い世界での、ヒエラルキー、葛藤、アイデンティティ、これからの未来。『桐島』より、もっとミクロに個の葛藤を描いている。
決して、すっきりする映画ではないし、ぐりぐりと突き刺さる映画であることは間違いない。『桐島』と違って、「あの頃こうだったよね。」と、語り合えるような映画でもない。でも、もっと深いところで、懐かしいというか、恥ずかしいあの頃を思い出す。たぶんどこかで、九條に憧れている青木に近い自分を。



青木が最後、黒で塗りつぶした青い世界。
真っ黒で流れ出したエンドロールが、最後徐々に青になっていく。
ものすごく、救いだと思った。

2013年11月28日木曜日

新しい靴を買わなくちゃ(2012年)



新しい靴を買わなくちゃ

北川悦吏子監督、岩井俊二プロデュース、主演中山美穂、音楽監督・坂本龍一。オールパリロケで撮影。

もっとラブストーリーなのかと思って観たら、そうでもなかった。
海外で、偶然出会ってなんとなくいい感じになって、でもどちらかの帰国でお別れする、というよくありそうなストーリー。

とくに何があるわけではない。
ドラマっていうより、たまにドキュメントなんじゃないかっていう、自然な会話が中心。
劇的に恋に落ちるでもないし、事件に巻き込まれるでもなく、たんたんと二人の数日がすぎていくんだけど、映像がきれいだし、音楽とかセリフも押しつけがましくないから、飽きずに見ることができたかな。
まあ、パリっていう街と生活が、それだけで映画になるっていうのもあるのだろうけど。


過去に傷を抱えた中山美穂を、抱きしめる向井理はなかなかよかった。そこで、変に恋に落ちました!別れたくない!という展開があったら、逆に醒めてしまったかもしれない。
何を語るわけでもなく、抱きしめて、朝が来て、帰ってく感じが逆に切なくてよかった。

綾野剛がパリ在住の画家を演じているんだけど、まあダメな男で(笑)。桐谷美玲は、その彼に会ってプロポーズしに来るんだけど、まあダメな男なわけで(笑)。
でも、この人が演るダメ男は、なんか、惹かれる気持ちがわかる…。


桐谷美玲と向井理(この二人は兄弟。パリ滞在中は二人別行動していた)が最後疲れてソファで寝ているところが妙にリアルだったな。
旅行の夢みたいな感じと、疲労がどっと押し寄せるのって、帰る直前だったりするし。
あのシーンは、特にきれいだなあと感じた。自分がパリ行ったときの帰り、乗り継ぎのヒースロー空港のソファでみんなでうたた寝したときのことを、思い出したのもあるのかもしれないけど。


休日にだらっと観るのには、おすすめ。パリ行きたくなる映画です。




2013年11月26日火曜日

世界でいちばん不運で幸せな私(2004年)



世界でいちばん不運で幸せな私

2003年に公開されたフランス映画。ヤン・サンミシェル監督。
フランスでは、140万人を動員する大ヒットを記録し、日本では2004年に公開された。

子供の頃に、「相手に条件を出し、出された条件には絶対にのらなくてはいけない」というゲームを始めた、ソフィーとジュリアン。
子供の頃のゲームの条件は、無邪気ないたずらでしかなかったが、大人のそれは悪趣味で周りいにも迷惑なものになっていった。

ふたりはいくつになっても、「ゲーム」をやめることができない。ふたりは「ゲーム」でしか、つながっていられない不器用な関係に陥っていってしまったのだ。誰よりもお互いが必要なのに、自分の気持ちさえ「ゲーム」の影に見失って。

ソフィーの「私たちってどこかちぐはぐなのよ」というセリフがあるが、まさにその通り、すれ違いの繰り返しで、しかもお互い不器用な上に「ゲーム」があるものだから、そのちぐはぐがエスカレートし、ますます素直になれなくなっていく。
「ゲーム」のせいで、ちぐはぐな関係になってしまい、でも、「ゲーム」がある限り関わっていられるという無限のループの中にはまってしまったような。。。


ラストは、ちぐはぐなふたりもお互い素直になり、ハッピーエンド!と、言いたいところだが、これはハッピーエンドなのだろうか?いや、ハッピーエンドなんだろうけど…悪趣味で破天荒なふたりならではの、ハッピーエンドというところでしょうか(笑)。


「ゲーム」に振り回されて、素直になれない二人だけど、お互いが「ゲーム」を介してでもつながっていられたのは、「相手が出した条件には、必ず乗る」という二人の「約束」があったからなんだろう。「相手が出した条件には、必ず乗る」というのは、「ゲーム」であり、二人の「約束」だった。
それは要するに、絶対に相手を裏切ることはない、見放さないということと同意だ。

ジュリアンが出した最後の「ゲーム」が、「君を熱愛する」だったように。

この物語は「子供の頃の約束を、大人になっても守る」というシンプルなことなんだろうけど、「ゲーム」(それもちょっと悪趣味な子供たちの)というやり方で描くことによって、二人の関係はちぐはぐに、複雑に遠回りして、やっと気づくというファニーなラブストーリーになったように感じた。
(二人の性格が悪趣味で不器用だから余計「ゲーム」がおもしろくなっているんだけど、二人がそういった性格になる理由も描かれているので、すんなり納得できてしまう。)


『アメリ』となんとなく似ているので、『アメリ』が好きな人は好きかも。


2013年11月25日月曜日

プレステージ(2006年)




プレステージ

クリストファー・ノーラン監督によって、クリストファー・プリーストの1995年の小説『奇術師』を映画化。主役である二人のマジシャンを、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが演じる。


<ストーリー>(Amazonより)
2人の天才マジシャン、アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)はライバルとしてしのぎを削りあう2人だったが、ある舞台でのマジック中、アンジャーが水槽からの脱出に失敗し、ボーデンの目の前で溺死する。翌日、ボーデンは殺人の罪で逮捕され、死刑を宣告される。ボーデンはそこに恐るべきトリックの存在を感じる。これはアンジャーが仕掛けた史上最大のイリュージョンではないのか-。やがて明らかになる驚愕の真実とは?


※ネタバレあり

マジシャンの話ということ、ノーラン監督であること以外の前情報なしで鑑賞。
(ノーラン監督なので、最後まで緊張感を持って観ないといけないなとは思いつつ…)



開始早々、ボーデンが逮捕され、前半は、なぜボーデンは逮捕されたのか?という疑問でいっぱいだった。(ボーデンが真犯人を獄中から探すという話かと思っていたくらい)
話が進むにつれ、過去のボーデンとアンジャーの関係が見えてくる。アンジャーはかつての恋人の死で、ボーデンを恨んでいること、復讐をするが、それは徐々に、お互いの騙しあい、報復合戦と奇術でのライバル心でさらに激しい対決になっていく。

恨んでいた側が復讐をし、それに対してまた復讐が行われ…それが繰り返されるのだが、冒頭から、アンジャーの死とボーデンの逮捕(死刑)は決まっているので、その報復合戦がどのように、そこにつながるのかを想像しながらみていくこととなる。

ボーデンは自らの死をもって、アンジャーを死刑にすることで、戦いに勝ったのか?!
なんて、ラスト15分くらいまでは、そんなことを考えていたのだけど。


完全に、ノーラン監督のマジックのプレステージ(=偉業)に持ってかれましたわ。

ラストを観て、そういえばって気になる箇所があったので飛ばし飛ばしで振り返ってみると、伏線がめちゃめちゃあって、それが全部回収されていて、なんというかまさに偉業としか、言いようがなかった。


序盤で、ボーデンは中国人マジシャンを見て、
「すべては奇術のためだ。日々を犠牲にしている。分かるか?そこまでして始めて成し遂げられる。」と言っていて、対してアンジャーは
「何年も別人のふりをするなんて」と、鼻で笑っている。

もうここで最後の結末を象徴しているような、伏線が!!!


ボーデンは、日々を犠牲にし、二人でひとつの人生を送ることで、マジシャンとして成功した。
「そこまでして始めて成し遂げられる」マジックを。ボーデンは徹底していた。

ボーデンに関して、ずっとまわりの女性に対しての行動や発言だけが妙に違和感があって気持ち悪いなと感じて観ていた。それも、演技なのか?と、マジシャンを演じて生きるということなのか?と、考えたのだけど、最後にしっくりきた。
ボーデンは、二人でひとつの人生を送る以外の点では、嘘をまったくついていなかったという、恐ろしさ!実は、ものすごくシンプルなタネ!


アンジャーの、復讐心とボーデンへのライバル心で、複雑になりすぎたタネは自分自身をも破滅へと導くことになってしまったのだろう。かつて愛した女性が死んでしまった方法と同じやり方で、日々、自分自身を殺さなくてはいけないなんて…。



ミステリーで、クローンを使うというトリックはズルいし、それを使ってしまうと何でもありじゃないか…という感じがして、あまり好きではないんだけど、『プレステージ』に関しては違和感なく受け入れることができた。
マジシャンということもあるし、時代背景(19世紀)もあるし、テスラというエジソンと対立していた発明家が作った装置という設定もあるのだろう。

テスラという発明家は、実在していたみたい。エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」という言葉に対して、テスラは「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」言ったとか。もしそうなら、大金を払い自分自身を日々殺す苦痛をしてまで、マジシャンでいようとしたアンジャーと、1つのひらめきで鮮やかにマジシャンで居続けたボーデンに重なるような気もしてくる。
(この名言に関してはいろいろな解釈があるようだけど…)


ちなみに、タイトルとなっている「プレステージ」は、手品における一段階。
確認(pledge)=観客に種も仕掛けも無いことを証明する。
展開(turn)=パフォーマンスを行う。
偉業(Prestige)=マジックショーを完成させる最終段階。

この映画も、
最初のアンジャーの死亡事故、ボーデンの逮捕=プレッジ
報復合戦=ターン
ラストのタネ明かし=プレステージ
という、構造がきれいに描かれている。

なんという、ノーラン!まさに、マジックのような映画です。
もう一度観て、ノーランの偉業のすべてをこの目で確かめたい。



2013年11月24日日曜日

第5回 TAMA映画賞授賞式


第5回 TAMA映画賞授賞式に行ってきました。
映画ファンが決め、市民が手作りで開催しているTAMA CINEMA FORUMというイベントのひとつ。

パルテノン多摩で開催された授賞式では、
舟を編む横道世之介、『さよなら渓谷』も上映。


舟を編むは3回目、横道世之介は4回目の鑑賞にも関わらず、面白い。

観れば観るほど面白い。詳細は過去に書いています。
(『舟を編む』はこちら。『横道世之介』こちら。)


はじめて観たさよなら渓谷も、すごくよかった。劇場で観れてよかった。
感想については、こちら


なによりも刺激的だったのが、授賞式。

特に、最優秀女優賞と最優秀作品賞を取った『横道世之介』の沖田監督と吉高由里子と、『さよなら渓谷』の大森監督と真木よう子のコメントがすごく印象的だった。

どちらの女優さんも、その出演映画を愛している様子が伝わるもので、監督のコメントも、その映画と出演者を本当に大切にしているんだという思いに溢れているものだった。

吉高さんの表現は、独特だけど、大好きでしょうがない感じが露骨に出ていて、世之介を思い出すときの祥子ちゃんと同じ表情をしているように見えてきたりして。
(女優を辞めてもいいと思った。とまで言っていたのは、各メディアでとりあげられていました。こちら。)

恋の渦』の大根監督と、DQNファッションの若者と和気あいあいと取り囲んでいる様子も、本当に雰囲気がよく、無名の役者さんを大舞台に出してあげたいと言う気持ちがあったのかな〜と、勝手に想像してみて、こちらまで暖かい気持ちになるようなものだった。
恋の渦』はまだ観ていないので、来年の下高井戸シネマでの公開を楽しみにしている。

そもそもの目的だった松田龍平は、いつになく穏やかな笑顔だなと思ったら、まほろの監督お二人(ドラマ版の大根監督と、映画版の大森監督)、まほろで共演してる真木よう子、舟を編むの黒木華と、一緒に仕事してた顔ぶれが多いこと!

そういう作品を越えた、つながりも映画って面白さのひとつだと
同じ吉田修一原作だが毛色の違う横道世之介』とさよなら渓谷』が最優秀作品賞というのも、とても興味深いつながりで。


気になったコメント(※ざっくりとしたメモをもとにしています。

吉高さん「お互い新人の時の共演から、5年ぶりに高良君と再共演できて、出会いとか再会について考えながら、この作品を作れてよかった。」

真木さん「この役を他の人がやるのをみたくなかった。やりたいと思った役は、どれもそういう気持ち。好きな人を取られたくないような。」

出会いとか、タイミングとか、そういう運命的な何かが、いい映画ができるときには必要なんだというコメントが目立ちました。

龍平さんも前に何かで「30歳になるタイミングで、同い年の石井監督と仕事をできてよかった」と言っていたし、よくタイミングと出会いには述べてるし。

そういう映画の向こう側にある思いを知るのも、映画の醍醐味ですね。


他の受賞者の皆さんも、映画を愛しているのが伝わってきた。
この映画祭自体が、本当に映画愛に溢れているからということもあるだろう。1日中、映画愛に満ちた空間で、すばらしい映画を鑑賞し、映画への熱い思いを聞き、「映画っておもしろい!」と心底思い、感動してしまった。

さよなら渓谷(2013年)



さよなら渓谷

原作は吉田修一による、同名小説。大森立嗣監督、真木よう子主演。

※ネタバレあり

「TAMA映画祭授賞式」で鑑賞。
ごく普通の夫婦が、隣家でおきた殺人事件をきっかけに、大森南朋演じる記者である渡辺が二人の過去を探っていくストーリー。

最初は、観ている側も全く二人の過去について知らず、「ごく普通の夫婦」の状態で始まる。徐々に真木ようこ演じるかなこの行動や表情に不穏な陰りが見え始め、大西信満演じる俊介が逮捕される。かなこの証言によって。

「かなこがそう言ったんですか?」の後、すべてを受け入れるような俊介の表情が印象的だった。そこから、渡辺が調べてきた二人の過去のストーリーが入り込み、少しずつ明らかになっていくのだが、観ている側としても渡辺同様に知っていくので、少し知る度に「まさかそんな残酷な…」という気持ちになっていった。

釈放後、かなこのもとに帰る俊介と、「おかえり」といってチャーハンを作るかなこに違和感を覚え、二人でスーパー銭湯に行き、俊介の注ぐビールを飲むかなこに気持ち悪さを感じた(そのシーンの前に流れた過去のシーンでは、「やめて」とコップを塞いでいた)。

その時点では、過去に俊介がしたことで、かなこは俊介へ復讐していること、俊介は償いをしていることが明らかになっており、何事もなく「ごく普通の夫婦」であることが、気持ち悪かった。

なぜ、一緒にいるのか?

当初は復讐のためであり、償いのためであった。
釈放後、かなこのもとへ帰り、二人でいる姿を観ると、再び「なぜ一緒にいるのか?」が分からなくなり、混乱してしまった。
「私達はしあわせになるために、一緒にいるんじゃない」という、かなこの言葉が頭にループしながら。



その後、かなこに去られた俊介のもとに、渡辺が現れる。
「僕達は一緒に不幸になろうと約束したんです。幸せになりそうだったから、去ったんです。」という、俊介の言葉で全てが腑に落ちた気がした。

最後に、渡辺が「彼女と出会った人生と、出会わなかった人生の、どちらの人生が良かったですか」と聞くんだけど、その疑問はきっと誰もが思うところだろう。でも、皆まで言うな!と、思った。気になるけど、ここでその答えを俊介が答えていたら、私はきっとこの映画をよく思うことはなかった。がっかりしていたと思う。答えず、俊介の表情で終わるこのラストで、がっかりせずに済み、ほっとしたままエンドロールを観ることができた。(原作がどういうエンディングなのかは知らないが、この質問はなくてもいいような気がするす、あることでよくなった気もする…)

二人の関係や愛や復讐について、うまく説明できる言葉がまだ見つからないけれど、門語りにも、二人の関係にも納得できるラストであった。


同じ吉田修一原作で、テーマとしても似ている「悪人」とどうしても比べてしまうが、観客の目線と同じ渡辺というキャラクターがいたことで、物語に入り込むことができたのではないだろうか。
(「悪人」は、誰にも共感できず、ただ気持ち悪いという印象だけが残った…)

それにしても、真木よう子の不幸な役はすごい。ただの不幸女ではなく、不幸だからこその色気というか…。
授賞式で、「この役を他の人が演るのを観たくなかった」と、言っていたが、真木よう子以外の人が演じるかなこを想像できない。





2013年11月19日火曜日

地獄でなぜ悪い(2013年)


地獄でなぜ悪い

園子温監督。出演:國村隼、長谷川博己、星野源、二階堂ふみ、友近、堤真一。

私にとって『地獄でなぜ悪い』は、『ヒミズ』から入り、『愛のむきだし』から3作目の園子温監督作品。


これは本当に面白い!2013年で一番、エキサイティングな映画なんじゃないの?
劇場で大笑いしましたわ。


池上組での戦闘シーンがクライマックスなのだが、開始早々すでに興奮が収まらなかった。
「全力歯ぎしりレッツ・ゴ~♪ギリギリ歯ぎしりレッツ・フライ~♪」ってなに?!血の海?!二階堂ふみいつでるの?!源くんは?!と、これから始まる予感にあたふたしていたのもつかの間。
一気にジェットコースターに飲み込まれたみたいな感覚に。

もう、本当、みんなバカ。全力でバカです。気持ちいいほどバカです。
でも、とにかく愛おしいバカ。

妻しずえの夢である、娘ミツコを主演にした映画の製作したい武藤。
映画バカの平田。ミツコにつかまり、惚れて(?)監督になってしまう、コウジ。ミツコに恋する池上。
それぞれの思惑があって、あれよあれよとヤクザの抗争を映画にすることになって、でもそれぞれの思惑があるから本当に自由で狂ってる。

見ていて、出演者が本当にいきいきとしていた。出演者が全員、いきいきと血まみれになりながら、縦横無尽に動き回るものだから、目を離す隙がなくて、前のめりになってみてしまった。


これは、園監督が映画監督を目指していた頃の話が、ベースになっているとか。映画を撮りたくてたまらない、いつか映画を撮るんだ!っていうエネルギーが空回りしている、平田には園監督が反映されているのだろう。
このインタビューを読むと、監督はもちろん出演者の映画愛も詰まっているんだと感じた。
ビシビシ伝わる映画愛はとても気持ちいい。

観終わった後、にやにやしながら(ちょっと飛び跳ねてるくらいな勢いで)、狂ってる!と、叫びながら帰りたい気分だった(渋谷だったので、心の中でそうした)。

とにかく狂ってて、とにかくバカ。
でも、いや、だからこそ「やばい、映画おもしろい!」と改めて思わされた。



余談だけど、なんでだろう…
『地獄でなぜ悪い』もそうだけど、『僕らのミライへ逆回転』や『キツツキと雨』とか、映画製作の映画は、なんとも滑稽なものが多い。そして、まちがいなく映画愛が伝わってくる。

きいろいゾウ(2013年)



きいろいゾウ

原作は西加奈子による同名小説。宮崎あおい向井理の主演、廣木隆一監督。

原作がものすごく好きで、2、3回読んで、その度に胸が苦しくなるんだけど、何度も読みたくなる作品。
ツマのイメージは、勝手に作者の西さんのような小柄で華奢な人を想像していたので、あおいちゃんか~という感想は否めなかった。

でも私が原作を手にしたとき、その帯にあった「いつかツマを演じてみたい」という、あおいちゃんの言葉を覚えていたので、「おお、ついに!」という感想も半分。

原作がある映画は、どうしても構えて見てしまうし(私も多くの人もそうだと思うのだけど)、原作が好きであればあるほど、そのギャップを受け入れることができないこともある。
けど、私は最近、そういう原作ものを、「その原作を好きな人たちが、原作からインスピレーションをもらって作ったんだ」と、コラボレーションのような気持ち見ると、「色んなところに私が好きなこの物語を好きな人がいるんだ」と、思えるので、ギャップも気にならないし、むしろうれしく思えるようになった。

映画自体は、割と忠実に小説に基づいていて(若干、はしょられている箇所もあるけど)、当初ツマ=あおいちゃんに疑問を抱いていた点も、思ったより気にならず、ムコさん=向井理も他にもっと会う人いるんじゃないかと思ったけど、違和感なく受け入れることができた。
物語がちょっとファンタジーが入ってるんだけど、そこの演出も押しつけがましくなくて好感が持てた。


ただ、気になる点が、、
この映画のコピー「出会ってすぐに結婚したツマとムコ。お互いの秘密を知らないまま、ふたりは一緒に暮らし始めた」。

この物語のポイントはそこではないような気がしてしまった。
出会ってすぐ結婚したことも、お互い秘密があることも、物語のエピソードの一部であって、そこではないんですよ。
「出会ってすぐ結婚」で、「秘密がある」となると、結婚が気になるお年頃の女子の気を引けるのかもしれないけど…。原作「きいろいゾウ」を好きな人の反感を買うとしたら、その売り出し方のほうなのではないのだろうか。
もうひとつのコピーも「愛する痛みを知る、すべての人へおくる感動のラブストーリー」。
感動、涙推しアレルギーなので、このコピーも嫌悪感。


「ムコとツマ。もう出会う運命にあった!と、ゆう感じ。」(本文より引用)

これでどうだろうか?
とにかく、この物語は泣けるとか、感動とかではなく、もっとハッピーなものだと思う。
もちろん、胸がえぐられるくらい苦しいし、切ないんだけど、もっと手の届く範囲の愛の話でしょう。


「たいせつなもの、僕のツマ!」(本文より引用)
でもいいかもしれない。

ムコさんは最後に「たいせつなもの、僕のツマ!」と言って、日記を書かなくなる。
たいせつなもの、必要なもの、もう忘れないで、覚えてるからと。
そういう物語なんですけどね、本当は。

「ソラで言えるか分からないけど、必要なものは、覚えているのだ。
それはきっといつも、そこにあるのだから。」(本文より引用)



映画は好きなのに、コピーで台無しになってしまったなという感想がメインになってしまいました。
どうしても気になったので。

2013年11月18日月曜日

ムード・インディゴ~うたかたの日々~(2013年)


ムード・インディゴ~うたかたの日々~

ボリス・ヴィアン原作の恋愛小説「うたかたの日々」の映画化。
「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリー監督、「アメリ」のオドレイ・トトゥ主演。

かわいい!
けど、これまで見たミシェル・ゴンドリーのくるくる展開して、最後すっきり爽快な後味とはちょっと違った印象。

かわいいんだけどね。
踊っているときの足の表現とか、水の中の表現とか、映像は「恋愛睡眠のススメ」を思い出した。
ただ結末は、もっと残酷。

彼女が病気になって、身の回りの世界がどんどん荒んでいき、色を失っていくところはわかりやすく、つられてどんどん苦しくなっていった。
でも、その闘病のシーンは、日本で公開されているインターナショナル版でも長く感じたから、ディレクターズカット版はどれほどなのだろう。

恋をしている、その美しい世界と、闘病の落差が激しいから、より苦しくなったのかもしれない。
私もコランと一緒になってクロエに恋をして、その後、一緒になって絶望していったのかもしれない。

でも、やっぱりミシェル・ゴンドリーのくるくるドキドキは健在。
いつまでもどっぷり浸かっていたいと思わせる世界。その世界から、現実に戻ってくると、まだちょっとふわふわしてしまう。







ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2012年)




ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ジョナサン・サフラン・フォアによる同名小説が原作のアメリカ映画。
主演トーマス・ホーン演じるオスカー・シェルの父トーマス・シェル役でトム・ハンクス、母リンダ・シェル役にサンドラ・ブロックが出演。

実は公開直後に一度観たので、今回は2度目の鑑賞。
日本での公開は20122月。当時、日本人の心の中には、まだ3.11の記憶が影を落としていた。どちらかというと日常生活においては目をそむけながらも、間もなくやってくる「1年」ということを意識せざるをえない時期だったと思う。 

トム・ハンクス演じる主人公の父・トーマスシェルは9.11で亡くなる。
突然失った父の残した“謎”を解明すべく主人公オスカー・シェルがニューヨーク中を探し探し回るのだけど、それは謎の解明から、父の死とどう向き合うかの冒険となっていく。

「あの時、もっと何かできたのではないか」と、オスカーは無意識に自分へと問い続ける。
公開当時、3.11で多くのものを失った私たち日本人は、理不尽に断絶されたあの日以前と以降の狭間できっと同じように問うていた。
そして、それでもあの経験を経て今があるなら、何が変わったのだろうと。

オスカーは、父の残した謎を探りながら多くの人や出来事に遭遇し、ありえないほど近くの大きな存在に気付く。
オスカーは、父の死を経て変わったのだろうか?変わったのかもしれないし、変わっていないのかもしれないが、気づくことはできた。
そのとき、オスカーは父を介して、謎や不思議のありかとして捉えていた世の中や世界が、実は自分とありえないほど近くて、耳を澄ませば、ものすごくうるさくにぎやかな世界だと知る。

物語後半で明かされるママの行動には、涙が止まらなかった。
ママもまた、愛する人を失った一人だ。オスカーが謎を解き明かそうとしながら、父の死と向き合っていったように、ママもオスカーを見守ることで向き合うことができたのかもしれない。

以下、引用
ママ:「彼の声が恋しいわ。いつも私に『愛している』と言ってくれた」
オスカー:「ママに好きな人ができたら付き合ってもいいよ」
ママ:「いいえ、彼は特別な人、わたしの初恋だったのよ」
オスカー:「パパはいつもママのことを『ママみたいにステキな女性はいない』と言ってた」

2013年11月13日水曜日

舟を編む(2013年)


御法度』以降の、松田龍平の代表作になりうるだろう『舟を編む』。

2012年に本屋さん大賞を受賞した三浦しおん原作の同名小説の映画化。
石井裕也監督、松田龍平主演という同世代コンビで作られ、2013年9月に日本映画製作者連盟により第86回アカデミー賞(英語版)外国語映画部門日本代表作品に選出されている。


舟=辞書、編集=編むという、辞書編集の15年に及ぶ物語。
言葉遊びとか、そもそも論好きの説明したがりな、文系かつ理系な思考にはたまらない映画。

辞書編集の15年という歳月を経て、変わるところと変わらないところを演じきっている松田龍平が秀逸!
劇的に変わるわけでもなく、変わらないわけでもなく、とにかくマジメを一貫しているんだけど、コピーにもなっているが、本当に「マジメって、面白い。」。
馬締くんも、面白い。

それでもって、熱い映画。
石井監督が「静かな情熱を表現したかった」という話をしていたけれど、まさにそれが表現されている。

たぶんこの映画の作り手の情熱も伝わってくるからだろうな。
撮影に入る前に、監督と龍平はすごく議論したと言っていたし、そういうこだわりが映像の中だけでなく、パンフレットとかにも出ている。

【丁寧】にものづくりをする様子を、ものすごく【丁寧】に描きだしている映画だと思う。

――――――――――――――――――――

てい—ねい【丁寧】
[名・形動]
1 細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。また、そのさま。「アイロンを―にかける」「壊れやすいので―に扱う」
2 言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。丁重(ていちょう)。「―な言葉遣い」
3 文法で、話し手が聞き手に対して敬意を表す言い方。→丁寧語
[派生]ていねいさ[名]

――――――――――――――――――――

4校で致命的なミスを発見し、みんなで編集部に泊まり込むくだりがある。
あそこの描写は懐かしいものがあった。

埃っぽい部屋や、サンダル履きの素足をボリボリとする描写で、
「ああ、きっと部屋からは、人間のにおいがするんだろうな~そして、しんどいんだけど、きっとテンションは高いはずだ。」と伝わってきた。

かつてあそこにいたことを思い出した。
あの妙なハイテンションとエネルギーと仲間を私も知っていると。





やっぱり【丁寧】というのは、たどりつきたい理想のひとつだ。
【丁寧】に何かを作ることや、向き合うこと、暮らすことをしたくなる映画だと思う。
できたらあの懐かしいエネルギーと仲間と共に。


――――――――――――――――――――
追記

2013/11/23 TAMA映画祭授賞式で再鑑賞。

3回観ても、おもしろい映画ってすごいと思う。懲りずにドキドキして、わくわくして、馬締君の丁寧な姿勢にあこがれ、彼と彼を取り囲む人々をもっと好きになった。

今回もたぶんフィルムでの上映だったと思う?(違うかな?上映後の授賞式で予告が流れたけど、映像のきれいさが違ったし、映写室にデジタルのとフィルムのがどっちも見えた気がする。)
もしそうだったら、フィルムで上映できるところでは、フィルムでなるべく流すようにしているのだろうか。個人的には、フィルムのがこの映画の雰囲気にはすごく合っているの好き。


横道世之介(2013年)



2013年のマイベストは?と聞かれれば、間違いなくトップ3に入る作品。

吉田修一の小説を、2013年に監督:沖田修一、主演:高良健吾で映画化。


1回目は、公開直後に劇場でひとりで鑑賞。
鑑賞後、“にまにま”してしまう後味が印象的だった。

3時間の間、世之介といて、帰る頃には、まるで本当に一緒にいたかのような錯覚に陥ってしまった。
やさしいとも違うし、ほっこりでもなく、ただただ“にまにま”してしまう。


そして、世之介がいなくなった後、冷静に考えてみると、これはとてもありふれた日常の、ありふれた残酷さというか、切なさのようなものを孕んでいるなと。

しょうこちゃんと世之介は「またね」と言って別れるところなんて特に。
しょうこちゃんと世之介のお別れがまたね」だったように、あの時ふたりとも「さようなら」って言わなかったように、「また」があると何の疑いもなく別れ、そのまま「また」が来ないなんてことはよくある。今なら分かる。

よくあるが故に、胸のどこか隅っこにひっかかり、ふとした瞬間に思いだし、傷んだり、懐かしんだり、悔やんだりする。

よくあるそんな不意の、永遠のさようなら。
世之介の周りの人々はみんな、同じようにふとした瞬間に思いだし、そして「ふふふ」と笑う。
そこがすごくいい。一緒になって「ふふふ」とにやけてしまうのだ。世之介だから。


高良君の演技も、「ふふふ」に相応しい、嫌味のない「いるいるこういうやつ」感がまたすばらしくて、さらに“にまにま”してしまう。



2回目にこの映画観たのは「ナカメキノ」というイベントで、真夏の夕暮れに屋外で鑑賞。

日没待ちのゆるさとか、蒸し暑さ、ぬるくなっていくビール、蝉の声、だんだん夜になっていくグラデーション、スクリーンに映りこむ車のライト、目黒川の音、風の気持ちよさ。

全部が『横道世之介』という映画にシンクロしていたように感じた。
(この話をすると、いつも世之介が洗面器に足をつっこんでラーメンを食べてたシーンと共に思い出す)


あの日も楽しくて、思い出して「ふふふ」とにやけてしまう一日だった。そういえば。

そういう、思い出して「ふふふ」とにやけてしまう魅力がふんだんに詰まった映画だと思う。
その時のトークショーで知ったんだけど、映画の奇跡もいっぱい詰まってるしね。

そんなことを思い出していると、また「ふふふ」とにやけ、また何度でも世之介に会いたくなってしまうのです。


好きなシーンは
『名前何?」 「加藤」 「うそ!?俺横道!」と「西友でそろえてみました!」っていうところ。

――――――――――――――――――――
追記

2013/11/23 TAMA映画祭授賞式で再鑑賞。

4回目でも、笑って、ほっこり、切なくなった。
きっとまた世之介には、会いたくなると確信した。

沖田監督のスピーチを見て、この人だからこの映画を撮れたんだなと思った。
沖田監督も世之介と同じような魅力的な「普通の人」オーラがをまとっていて、みんなに愛されていて、かわいらしかった。




2013年11月12日火曜日

告白(2010年)


告白

湊かなえによる同名のベストセラー小説映画化。監督中島哲也、主演松たか子

第34回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞を受賞。

ひさしぶりに再鑑賞したんだけど、やっぱり面白い。
もともと原作を読んでいて、原作も面白くて確か1日で読み切って、映画も最初見たとき、興奮して、劇場出てテンション上がったままで困ったんだもの。

今回は落ち着いて見れました。
淡々と続く独白、挿入されるスーパースローや早回しの映像、バックに流れる音楽と、全てが刺激的。

物語自体も淡々としていて、あまり波はない。
いや、物語の内容には波はあるんだけど、流れのようなものは終始一定のペースを保っているから、あっという間に時間が過ぎている。

複数視点の独白で進む小説、ミステリーが好きなんだけど、これはそれが成功してる映画だと思う。
そういう映画なかなか見つけられないんだけどね。

最後の体育館の優子先生と修哉のシーン〜研究室のシーンは、初見時は原作のイメージが残っていたから違和感があったんだけど、今回はそんなに気にならなかった。
あのシーンは、原作にはなくて、監督が追加した意図みたいなことを何かで話していたような。気になる。

それにしても、あの独白はものすごく演技力が問われるんだろうな。
そして橋本愛の驚異的なかわいさと言ったら!当時中学生?かわいいと言うか、美しい。
今より美しいんじゃないだろうか。



そういえば、中島監督で実写化されるはずの「進撃の巨人」はやっぱり頓挫したのかしら。

2013年11月11日月曜日

ソラニン(2010年)





浅野いにおによって2005年から2006年まで『週刊ヤングサンデー』にて連載された同名の漫画の映画化。
三木孝浩監督、宮崎あおいと高良健吾のダブル主演。

原作の漫画がすごく好きだったので、最初は若干懐疑的な視点で見てしまったが、漫画の映像化にしては、かなり忠実で漫画の世界観を崩すことなく、映画としてもおもしろいんじゃないかと感じた。

劇中に出てくる楽曲「ソラニン」をアジカンが制作し、宮崎あおいが歌うと聞いたときは、すごく心配になったが、漫画のふんわりした世界観の中に潜む不安とか絶望とかを、もう少しそういったものを直接表現しているような印象。
ロックというか、まあ、現実は結構イライラしたり、大声出したくなったりするから、より現実世界の泥臭い感じが出てるんじゃないかと思ったり。
漫画は漫画で、そのふんわりとした日常の中に潜む不安と絶望が、ふんわりがゆえにより印象的で胸をえぐられるのだけど。

受ける印象は若干違うけれど、どちらも種田と芽衣子の漠然とした不安を描いてる点では、どちらも共感できてしまった。

こちらも「さよなら」がないままのお別れの物語。
一時期は病気での「死」をどう受け入れ、それまでの時間をどう過ごすか、みたいな物語が多かったけど、最近は、突然の不条理な「死」をどう乗り越えるかみたいなのが多いのかな。

たまたま『横道世之介』とその点が似ているだけかな。
世之介より、よりリアルな「死」で、そこから乗り越える物語が中心だから、全く同じというわけではないけど。

高良君とアジカン、高良君と死んでしまう役という共通点のせいもあるのでしょう。きっと。

2013年11月10日日曜日

ムーンライズ・キングダム(2012年)



ムーンライズ・キングダム

ウェス・アンダーソン監督による2012年アメリカ合衆国の映画である。

おしゃれ映画という印象。
ファッションも小物もセットもかわいい。
物語も、12歳のスージーとサムが駆け落ちするというかわいい話。
かわいいんだけど、中身はないかな。

でも、12歳のふたりの駆け落ちに大人が振り回されている感じは滑稽で面白い。
ブルース・ウィルスがさりげなく出ていて、びっくりしたけど(笑)。

おしゃれカフェとかで、流れてそうな映画。

ルビー・スパーク(2012年)



ルビー・スパーク』は、2012年にアメリカ合衆国で製作された恋愛映画。


theおしゃれ映画。

妄想夢想ものの映画は好きです。
何となく(500)日のサマーに似ているような…と、思ったら、同じスタジオが作っているのね。

何だかんだ言って、男の子は女の子に振り回されたいのだろうか(笑)。
男の子が主体の妄想ものは、かなりの確率で女の子が、わがままだったり、変人だったり、とにかく振り回されるような。
そして、100%かわいい。これはまあ、最低条件ですかね。妄想する上では(笑)。


カルヴィンの綴る小説=フィクションが現実になり、ルビーが動き出す。
様々な過程があって、想像が及ばなくて振り回される。
思い通りにならなくても、結局楽しいんだろうな。

ただ、切ないのが結末を自分で綴らなくてはいけないということ。
自分で描いた妄想の世界を、自分の手で終わりに持って行くということを考えると、ものすごく切なくなった。

妄想にふけるダメ男かと思いきや、ちゃんと完結させるとは、カルヴィンやるなあ。

調べてみたら、ヒロインである「ルビー・スパークス」を演じたゾーイ・カザンが脚本・製作総指揮で、また主人公である小説家カルヴィンを演じたポール・ダノも、製作総指揮。しかも、カザンとダノは実生活でも長年のカップルなんだ。
そうなんだ!びっくり。

それにしても、いちいちオシャレでかわいい映画だ。