2014年3月25日火曜日

アナと雪の女王(2013年)


アナと雪の女王

アンデルセンの「雪の女王」にインスピレーションを得て、運命に引き裂かれた王家の姉妹が、凍てついた世界を救うため冒険を繰り広げる姿を描いたディズニーの長編アニメーション。触れたものを凍らせる秘密の力を持ったエルサは、その力を制御しきれず、真夏の王国を冬の世界に変えてしまう。エルサの妹アナは、逃亡した姉と王国を救うため、山男のクリストフとその相棒のトナカイのスヴェン、夏にあこがれる雪だるまのオラフとともに、雪山の奥へと旅に出る。監督は「ターザン」「サーフズ・アップ」のクリス・バックと、「シュガー・ラッシュ」の脚本を手がけたジェニファー・リー。ピクサー作品を除いたディズニーアニメとしては初めて、アカデミー長編アニメーション賞を受賞。主題歌賞も受賞した。短編「ミッキーのミニー救出大作戦」が同時上映。(以上、映画.com

Let it go~♪Let it go~♪という曲がラジオでよく流れていて、耳に残るから気になって観に行ってきた。
ディズニー映画を劇場で観るのっていつぶりだろう?ピクサーは観た記憶あるけど、ライオンキングくらいから記憶ない…。


そんな感じで観たけど、すごいよかった。ミュージカル映画で、聞き覚えがある曲があるとそっちに引っ張られて、話に入り込めないこともあるんだけど、Let it go~♪Let it go~♪も、物語の中で、いい感じに流れてたし。この歌いいわ~!

こういう対極の二人が出る映画は、どっちかに感情移入しそうだけど、アナもエルサもどっちも共感できた。
エルサの自分が自分いることで、誰かを傷つけてしまったこと、それを隠そうと自分自身を閉じ込めていたことが、また大切な人を苦しめていたこと……八方塞がりのこの状況は、観ていて本当に苦しかった。
誰かのためにって、うん、まあ、自己満足でしかないんだろうね。相手と向き合う方が怖いから、自己完結してしまう。
ああ、何か分かるかも……と、かなり共感して苦しくなっていたという。

でも、もちろんディズニー映画!
楽しく陽気なシーンもあるし、最後はものすごく救いのある終わり方。
一瞬まじかよ…って、ハラハラ不安になるんだけど、それすら回収して、ラストはすっきり泣き笑いな感じになっていた。


誰かのためより、自分らしくいることの方が大事なのかも。
誰かのためって、大義名分掲げても、それって要は自分のためだから、目的と手段がこんがらがって誰にもよくないパターンになってしまうんだろうな。

と、想像以上に考えさせられ、感動しました。

そしてやっぱり、映像がきれいだね。
Let it go~♪Let it go~♪しばらく口ずさんでしまう映画でした。

あ、アナの素直なバカさ、好きです。かわいい!

ダラス・バイヤーズクラブ(2013年)



ダラス・バイヤーズクラブ

マシュー・マコノヒーが、エイズ患者を演じるため21キロにおよぶ減量を達成して役作りに挑み、第86回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した実録ドラマ。1985年、テキサス生まれの電気技師ロン・ウッドルーフはHIV陽性と診断され、余命30日と宣告される。米国には認可された治療薬が少ないことを知り、納得のできないロンは代替薬を求めてメキシコへ渡る。そこで米国への薬の密輸を思いついたロンは、無認可の薬やサプリメントを売る「ダラス・バイヤーズクラブ」を設立。会員たちは安い月額料金で新しい薬を手にすることができ、クラブはアングラ組織として勢いづく。しかし、そんなロンに司法の手が迫り……。ロンの相棒となるエイズ患者でトランスセクシャルのレイヨンを演じたジャレッド・レトも、アカデミー助演男優賞を受賞した。(以上、映画.com)


『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のギラギラした役から一転、マシュー・マコノヒーの病人の演技がハンパない。
ひとつの映画の中でも、こんなに体の変化って作れるんだ…。すごい…。

話は、どうしようもない男がエイズになって、自ら「生きる」ためにどうしたらいいか奮闘し、それが多くのエイズ患者を救う活動につながっていくというもの。
もともとがどうしようもない男だから、きれいごとだけじゃないし、「生きたい」というシンプルな思考だけで突き動かされている感じがすごくよかった。金もドラッグも酒もやるけど、「生きたい」って逆行してるけど、「生きる」っていうことは、怖いししんどい。特にリアルに近づいてる死の恐怖を、彼は抱えたまま生きてるわけだし。

最初の「まだ死にたくない」という感情から、薬の密輸入をして、「生きる」という感覚が蘇ってくる。そして、誰かの役にもたち、「生きている」実感が伴ってくる。その気持ちの変化がすごくリアルでシンプルで、かっこいいと思った。

○○のために、生きたい。
そんな、明確な目的なんて、果たして死に直面したとき思うのだろうか。それよりも、「死にたくない→生きている」という感覚の方がよっぽどリアルじゃないか。

生きているという感覚がなきゃ「生きたい」なんて思えないはずでしょ。


「死なない為に生き続けるのは嫌だ」というロンの言葉がある。
生き続けようと戦うロンの姿がとにかくかっこいい。

それが、マシュー・マコノヒーの肉体でもって演じられていることで、より「生」をビシビシと伝わってくるものになっていた。

余命ものだけど、これは死ぬ前の闘病記なんかじゃなくて、「生きる」ということを描いた映画ですね。
「生きる」ってかっこいい!

2014年3月18日火曜日

ブエノスアイレス恋愛事情(2011年)



『ブエノスアイレス恋愛事情

2011年のアルゼンチン・スペイン・ドイツ合作の映画。2011年2月に第61回ベルリン国際映画祭で初上映。同年8月の第39回グラマード映画祭でラテン映画部門の作品賞、監督賞、観客賞を受賞。日本での上映は2013年~。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台に、それぞれ恐怖症を抱えた孤独な30代男女の恋を描いたロマンティックコメディ。閉所恐怖症の建築家マリアナは、本業ではうまくいかず、ショーウィンドウを装飾する仕事に就いてマネキンばかりを相手にする日々。一方、広場恐怖症のウェブデザイナーのマルティンは、7年前に恋人に捨てられてから、飼い犬だけを相手に引きこもり生活を続けていた。そんなある日、2人は偶然チャットで知り合い、会話も盛り上がるが、突然停電が起こってしまい……。マリアナ役は「女王フアナ」「シルビアのいる街で」などで知られるスペインの実力派ピラール・ロペス・デ・アジャラ。(以上、映画.com


はい。めっちゃ好きです。この映画。オール・タイム・ベストに入るんじゃないかっていうくらい、すごいツボ。

まず設定が好き。
建築家(実際の建物は作ったことない)とウェブデザイナーっていう、職業がまさに自分に通じるものがあるし、そんな彼らの些細な動きや、日常にものすごく親近感を抱いた。なんとなくちょっと人付き合いが苦手で、でもなんとかそこから脱しようと、いろいろと試みているところとかすごく分かる。

そして、そんな二人がブエノスアイレスの都市の中で、すれ違いすれ違いすれ違う!
ニアミスで終わり、決して交わることのないそれぞれの生活。すぐ隣にある誰かの生活。この都市の中にいる、自分と分かり合える人。
はい、すごい好きです。


そして、この映画でそのニアミス演出がやられた!と、いうのが、ネットの使い方。
ネットやSNSで出会うんだけど、そこではつながらなかったり、ネットっていう見えない接点や関係性と、実際のリアルなニアミスとの出し分けが秀逸だと思った。ネットで出会って発展することもあれば、ないこともあるし、実際に会っても気づかなかったり、でも全然違うきっかけで二人が出会う。この出会いが、もう本当に大好きなのです。


原題は「Medianeras」(共有壁、境界壁)。「人をつなぐと同時に隔てるもの」。
映画が好きで調べてたら、まさか原題もまさに!ドンピシャのツボをつついてきましたわ。
日本のポスター(上に掲載)よりも、個人的にはもともとのポスターのが好きかな(これ↓)



個人的に、マリアナのこじらせてる部分とぐるぐる行き詰っているところに、共感してしまったのもあるし、マルティンみたいなタイプが結構好きというのもあるんだけど、こんなに「わあ!好きだ!」ってなる映画はなかなかないので、この出会いに感動してる。観ていて途中から「待って、待って、この感じすごい好きだから、結末観るのこわい!(ダメダメな結末だったらへこむから)」って、焦る映画はなかなかないですからね。

映像もすごくおしゃれだし、出てくるアイテム(特にウォーリーを探せ!)も、いい感じだしオススメです。

そして!エンディングが最高すぎるのです。



2014年3月14日金曜日

愛の渦(2014年)



愛の渦

劇団「ポツドール」を主宰する劇作家・演出家の三浦大輔による戯曲をもとに、三浦大輔自身が監督を務め、映画化。
主演は池松壮亮、ヒロインは門脇麦。R18+指定。

フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。主人公のニートの青年を「半分の月がのぼる空」「砂時計」の池松壮亮が演じ、ヒロインとなる女子大生を東京ガスやチョコラBBのCMで注目を集める新進女優の門脇麦が演じる。そのほかの共演に新井浩文、滝藤賢一、田中哲司、窪塚洋介ら。(以上、映画.com

『恋の渦』の部屋コンから、『愛の渦』は乱交パーティーでの物語へ。
結論で言ってしまえば、『恋の渦』の方が、人対人のやりとりがエグイです。『愛の渦』はもっと純粋に「ただヤリたいだけ。」。

でも『恋の渦』同様、些細な心の動きとか、かけひき、言葉として口に出すことと、その裏の真意などは、ありそう!と言うようなリアリティがあった(あくまでも、ありそう!なのは、乱交パーティに行ったことないから)。
『恋の渦』も結果的には、「ヤりたい」っていうところに行きつくんだろうけど、あくまでも表面上は恋愛→セックスっていう流れをたどろうとするから、登場人物同士が感情のやりとりを重視するところがある。それに対して、『愛の渦』は別に感情のやりとりなんて必要なくて、その一晩セックスをやるだけの相手。なのに!一応、人並みの感情のやりとりを経ようとするところが、一瞬ある。最初はきれいごとなところが、妙にリアルでおもしろいなあと。
ま、結果的にそんな世間話より、スケベトークでしょ!と、なるんだけどね。

ただヤリまくりたい保母さん、OL、フリーター、サラリーマンと、二人で何だかんだがんばってる童貞と常連も置いといて。
池松くんと門脇麦の演技が、素晴らしかった。なんというか、すごい…。二人とも、前半は感情を抑えたキャラで、何で来たの?!っていうくらい無口なんだけど、二人でセックスシーンから表情変わる。その変化もものすごく小さな変化。
池松君は特に、目の輝きの違いがすごいなと。興奮とか、嫉妬とか、うれしさとか、焦りとか、そういうのを目の輝きで演じてて、今まで童顔のかわいらしい役者くらいにしか思ってなかったんだけど、ゾクっとする感じがあった。
門脇麦も、地味~な役で、顔も他の女性人より、まあ地味。なんだけど、一番エロい!色気がハンパなかった。メガネを取ったら美女っていう、まさに王道パターンのシーンで、まんまとやられました。

濡れ場の演技は…どうなんだろ。門脇麦のあえぎ声が、最初やりすぎで笑っちゃたんだけど、なんか話が進んでいくうちに、彼女にとって、セックスしてるときが、生きているときなのかなと思ってきたりもした。(「生きている」という感想は、終盤で否定されるから、なんとも言えないんだけど…。)
でも、とにかく、最後の方ではその野生っぽいあえぎ声すら、受け入れられるようになっていったから不思議。



池松くんと門脇麦を通して、男女の違いも描かれていたところも、気になったポイント。
「あの部屋にいたのは私じゃない」と、否定する女と。
「あの部屋にいたのが本当の自分」という男。
その意見の違いが、なんか男と女の性に対するとらえ方の違いなのかな~と。

あと、池松くんの勘違いに対して、ピシャリと拒否するところがすごくいい。池松くんは、地味な女の子の性の部分を引き出したって思ってたり、女は一度ヤレば気持ちも動くみたいな神話を信じていたんだろうな。なめんなよ。という、スタンスがすごくいい。たとえどんなに、現実が退屈でも、最後には現実に帰っていく門脇麦と、結局また無職のままであろう池松くんの対比が何とも言えないものがあった。
あのまま、電話番号交換して~とか、なってたら確実に萎えてたわ。


そして、朝5時の強烈な朝日と平和なテレビのニュースで現実に戻るところ。あるよね。
朝日って照れくさいよね。

2014年3月10日月曜日

大統領の執事の涙(2014年)



大統領の執事の涙

綿花畑の奴隷として生まれたセシル・ゲインズは、1人で生きていくため見習いからホテルのボーイとなり、やがて大統領の執事にスカウトされる。キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争など歴史が大きく揺れ動く中、セシルは黒人として、執事としての誇りを胸に、ホワイトハウスで30年にわたり7人の大統領の下で働き続ける。白人に仕えることに反発し、反政府活動に身を投じる長男や、反対にベトナム戦争へ志願兵として赴く次男など、セシルの家族もまた、激動の時代に翻弄されていく。(以上、映画.com

リー・ダニエルズ監督、フォレスト・ウィテカー主演。

まず、思ったのが、アメリカにとって黒人差別という問題がいかに、永きに渡ってまとわりついてきた問題だったのかがすごくよくわかった。
アメリカの中心(=世界の中心)でさえ、黒人差別はなくなることはなかったし、どの大統領も頭を悩ませていた。教科書で知った以上に、アメリカの歴史は黒人差別との闘いの歴史だったのだと。


ただ物語の根底に差別の問題が潜んではいるが、常にその問題と直接対決をしているようには描かれてはいない。
黒人執事のセシルは、献身的に執事としてホワイトハウスに仕え、時に大統領から相談されたり問われるが決して意見を発することはない。あくまでも執事として、空気を消し、業務を行うのだ。
セシルが見てきたものは、いつまでも解決しない黒人差別の問題や、アメリカの歴史が動く事件の裏で苦悩する一人としての大統領の姿だったところが印象的だった。

父セシルが、そんな政治の中枢にいながらも、いつまでも解決されない黒人問題に怒りを覚え、その怒りが父への怒りと変わっていく長男や、仕事とはいえ家を留守にしがちで崩壊する家族になにもできないセシルに苛立ちを覚える妻、兄と反対に国のために戦場へ行く次男。

どんなに政治が混乱しようと、歴史が動こうと家族は家族で問題が尽きない。そんな歴史的転換に家族も巻き込まれていくことで、黒人問題や事件などを浮き彫りにしていく。
歴史がこのときのこの事件で、こう変わった。と、いうことが重要ではなく、その変化の中で人々は何を思い、どう動いたのかを、それぞれ別の考えを持ったゲインズ家に置き換えている。結果として、黒人問題や事件が人々にもたらしたものがじんわり胸に響いていく感じ。


そして、その踏まえた上で、オバマ政権の誕生の歴史的な位置づけを改めて思い知らされた。
私は黒人ではないし、差別も受けたことはないが、彼らにとって黒人大統領誕生という事実が、長年の夢であり、黒人差別の歴史からの脱却の重要な一歩だったのだと知り、涙があふれてきた。


フォレスト・ウィテカーの本当に空気を消した感じの表情のない(けれど、どこか悲しそうな)演技がすごくよかった。あの表情忘れられなくなる…。
あと妻役のオプラ・ウィンフリーもすごくいいキャラ!酒におぼれるわ、変な服で踊るわするけど、いい女! 長男との喧嘩のとき、普段はセシルの仕事に不満を持っていたのに、誇りを持っていたんだと分かるシーンがあるんだけど、しびれましたわ。化粧濃いけど、かわいいし。

だからこそ、最後あそこまでやってしまうのか…っていうのは、若干不満。あれ必要だったのかなあ。


あと、もっともっと歴史について詳しかったら楽しめるんだろうなと思った。ひとつひとつの事件をざっくりしか知らないから…もっと楽しめたんだろうなと思うと悔しいな。

2014年3月3日月曜日

建築学概論(2013年)



建築学概論

2012年の韓国映画。日本での上映は2013年。実際に建築士でもあったイ・ヨンジュが監督。オム・テウンとハン・ガインが現在のパートで、イ・ジェフンとスジ(MissA)が過去のパートで出演。

―あらすじ―
建築家のスンミン(オム・テウン)のもとに、仕事を依頼しにやって来たソヨン(ハン・ガイン)。ソヨンは、15年前にまだ大学生だったスンミンの初恋の相手だった。ソヨンの実家のあるチェジュ島に新しい家を造りながら、スンミンの脳裏には初恋の記憶がよみがえり、また新たな感情が芽生えていく。しかし、スンミンには婚約をしている女性がいて……。(以上、Yahoo!映画

なんか独自の視点で映画を観たいなと思うようになったので、今回はちょうど“建築”がキーワードになってることもあり、“建築”的な視点で読み取ってみます。(一応、建築学科卒業なので)

※ネタバレ注意(観る前の人は、最下部に)


●構造


まず、この物語は大学生時代の初恋のパートと、大人になって再会した現在のパートが交互に展開されていく構造となっている。
その2つがそれぞれ展開していく中で重要な要素となるのが“建築学概論”という授業(これは建築学だが音楽学科のソヨンも受けられる、一般教養のような位置づけみたい)。

その“建築学概論”では、授業のたびに、レポート課題が出され、ソヨンの提案で二人は一緒にそのレポートに取り組むことにする。そこで、その課題がこの物語の進行に大きく関わってくる。

【建築学概論】

A:今住んでいる街をじっくり観察し、記録する。その町に愛着を持ち、理解することが建築学概論の始まり。
B:遠いところに行く。遠いとはどういうことか考える。
C:そこに住みたいと思えるか?
D:少しは建築と親しくなれた?

“建築”との距離を縮める過程としては何の疑問もないプロセスだが、これは要するに男の子と女の子、スミンとソヨンの距離を縮める過程にシンクロしている。

【学生時代のスンミンとソヨンの距離】

A:スンミンの初恋から、ソヨンと親しくなる
B.C:二人で出かけ距離を縮めていく
D:大学生時代以降、15年も会わなかったことで冒頭から予想はつくが、「親しくなれなかった」

で、この映画のおもしろいところは、同時進行する現在の大人になってからのパートでも、同じプロセスを二人が歩むところである。

【現在のスンミンとソヨンの距離】

A:ソヨンからスンミンへ家の設計を依頼。
 ―スンミン「君を知ることができれば、君に合う家を作ることができる。」
B.C:お互いのことを話し、15年間にあったことなどを知っていく。
D:家を建ててよかった。15年前のすれ違ったままだった思いを告白。

と、同じプロセスを2回通っている。2回目にして、15年間の思いを昇華させることができるのだが、この構造が建築的なのではないかと感じた。実際の建築であるわけではないが、思考の中では作りたい建築像としてあってもいいような構造。同じ空間を2回通り抜け、1回目ではたどり着けなかった到達地点へ2回目だからたどり着ける、そんな錯覚に陥る建築。

●シークエンス

学生時代のパート、現在のパート共にそのパート内では過去にさかのぼることなく、一方通行に物語は進行していく。ただ、そのパートとパートも隣り合うエピソードの並び方が秀逸だと感じた。
例えば、
ア)現在のソヨン:夫と離婚。人生に行き詰っている。私の人生こんなはずじゃなかった。
イ)学生のソヨン:10年後に何をしているんだろう。ピアノはやめる。やりたいことはたくさんある。お金持ちと結婚するから家を作ってね。
ウ)現在のソヨン:ピアノの部屋を作って。

この3つのエピソードがこの順番で、並ぶことによって、何者かになれる気がした頃(イ)と何者にもなれなかった現実(ア)の落差が際立つ。そのあとに、(ウ)が来ることで、モラトリアムの中で捨てたいくつかの物事も、何年後かにすべてをなくしたとき残されていた唯一の希望のように見えてくる。

こういう順番(=シークエンス)のうまさが随所に見られ、そのひとつひとつのエピソードを補完し合っている。

特にラストの方(<構造>で言った4の過程)では、そのシークエンスの展開にも緩急をつけており、すれ違っていく過去と、距離が近づいていく現在がたくみにつなげられていことで、物語全体のカタルシスへ誘っていく。


●ディテール

シークエンスの次にうまいなと思ったのがディテール。二つのパートにいくつかのキーワードやアイテムが共通して出てくる。
学生時代の癖が現在でもあったり、学生時代苦手だったお酒やたばこを普通にたしなんでいたり。学生時代に話した話が、現在でも出てきたり。
もちろん二人としては学生時代→現在と時間が流れているわけだが、映画の時間軸としては、必ずしも学生時代→現在ではないのがおもしろい。
まず、冒頭でスンミンはたばこを吸っている。しかし、中盤の学生時代のパートで、たばこを吸いむせているシーンが出てくる。このように、キーワードの出てくる順番も緻密に計算されていることで、15年の月日が変えたもの、変わらなかったものをうまく演出しているのではないだろうか。


「展覧会」というCDが重要なアイテムとなっているが、そのCDの動きが


となっている。
そして、建築もまた二人の手を行き来する


このように、重要なできごとにCDと建築は常に出てきており、15年前に渡せずにいたと思っていたアイテムをそれぞれが持っていたことが二人の15年間の思いを象徴する。
また、CD=音楽=ソヨン、建築=スンミンと二人の職業を象徴するものになっているのも面白い。


●居場所

そもそも、ソヨンは学生時代の頃から、自分の居場所を探しているような子だった。自分探しという意味ではなくて、本当に自分の家を探し、使われていない家を掃除し、秘密基地のようにしたり、一人暮らしを始めたりしている。
大人になってからも居場所を探し、「人生をリセットしたい」とソンミンに家の設計を依頼する。それも、かつて自分が住んでいた古くなった家をリノベーションするという形に落ち着く。
また、学生の頃は田舎のピアノ教室出であることをコンプレックスに感じ、それを吹っ切りたいという思いもあったので、今も昔もリセットし、やりなおすというときに、自分の居場所を強く求めていたという点で共通している。

“建築”というモチーフを使うに当たり、いくら大人になっても迷い居場所を探しているソヨンはまさにぴったりだと感じた。


●到達地点

単刀直入に言ってしまえば、2つのパートの到達地点は同じところだ。二人は一緒にはならない。では、どちらもバッドエンドか?と言えば、そうではない。<構造>の項目で言ったように、2回目だからたどり着ける到達地点に達することができる。

学生のソヨンの言葉に「小さなときめきをもって春を待つのもいいと思う。」という言葉がある。
学生時代の二人は、「初雪の日に会おう」と約束し、すれ違いから約束は果たされなかった。要は、二人の時間は冬で終わっており、春は来ていない。
だが、現在のパート(ここでも二人は花を植えている)では、春を感じさせるシーンで終わりが来ている。15年前、些細なすれ違いから、心に残っていた思いを告白しあうことで、二人一緒ではない人生だけど、それぞれ春が来たようなエンディングとなっている。

また、ラスト間際で出てくる(現在のパート)それぞれの両親の言葉が、物語のエンディングのその先の未来を想像させるものとなっている。

スンミンの母:(嫌な事ばかりあった家だろう。と、母に引越しを勧めるスンミンに対して)「家は家だ。うんざりしたことなんてない。」
ソヨンの父:(入院先の病院で)「家に帰りたい」

大人になり、それぞれ家や家庭を作り、居場所を築いたソヨンとスンミンだけど、母や父にしてみればまだ子供で、その家や居場所は、ちょっとしたことで揺らぎそうな危うさを持っている。現に、スンミンは婚約者がいながら、ソヨンに揺れたわけで…。だけど、いつかは母や父のようにどっしりとし、安定感のある“自分の居場所としての家”を築くのだろうと、二人のさらに未来の予感を感じさせてくれる。


●まとめ

元建築家ということで、かなり緻密に作られていて、3回鑑賞したが観れば観るほど、「これがここに出てた!」というのが多く、ディテールの細かさにこだわりが見られた。また、その明快な構造の中で、そのディテールを活かしながら、話の展開を操作し、結末につながる感じもすごくよかった。

この映画では、“建築”が“恋”のメタファーで、“建築”を“恋”に置き換えることに気付くと、思わず「おお!」となる。“建築学概論=はじめての建築→はじめての恋”となるし、古い建築のリノベーションは“かつての恋のリノベーション(修復)”と言い換えることができる。
建築ってキーワードが、構造にも物語にもものすごく意味を与えていて、カタルシスまで導いてしまうので、観終わった後に『建築学概論』というタイトルの意味がしっくり来すぎて唸ってしまった。

個人的に面白かったのは、スンミンがコンセプトを説明するときに、横文字を使いまくっていて、ソヨンが「英語の村でも作るの?」っていう突っ込みは、ウケた。使うよね~無駄に横文字(笑)。




もちろん、建築どうこうの見方がなくても全然おもしろいし、むしろ普通に恋愛映画としてすごくいい!
かつて思い描いていた自分と、なれなかった自分や、うまくいかなかった初恋。など、たぶん誰にでもあるような過去と、現在の自分のギャップ。映画のストーリーと自分の日常や思い出が共鳴することで、話に奥行きが生まれるような映画になっていると思う。

<まとめ>でも、書いたけど3回観ても観るたびに発見があるから、観れば観るほどおもしろい!DVD買おうかなと、真剣に悩む。

いろいろ書いてあって、よく分かんないよ!って思ったら、とりあえず観てもらえれば、その面白さは分かるはず。