『プレステージ』
クリストファー・ノーラン監督によって、クリストファー・プリーストの1995年の小説『奇術師』を映画化。主役である二人のマジシャンを、ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが演じる。
<ストーリー>(Amazonより)
2人の天才マジシャン、アンジャー(ヒュー・ジャックマン)とボーデン(クリスチャン・ベール)はライバルとしてしのぎを削りあう2人だったが、ある舞台でのマジック中、アンジャーが水槽からの脱出に失敗し、ボーデンの目の前で溺死する。翌日、ボーデンは殺人の罪で逮捕され、死刑を宣告される。ボーデンはそこに恐るべきトリックの存在を感じる。これはアンジャーが仕掛けた史上最大のイリュージョンではないのか-。やがて明らかになる驚愕の真実とは?
※ネタバレあり
マジシャンの話ということ、ノーラン監督であること以外の前情報なしで鑑賞。
(ノーラン監督なので、最後まで緊張感を持って観ないといけないなとは思いつつ…)
開始早々、ボーデンが逮捕され、前半は、なぜボーデンは逮捕されたのか?という疑問でいっぱいだった。(ボーデンが真犯人を獄中から探すという話かと思っていたくらい)
話が進むにつれ、過去のボーデンとアンジャーの関係が見えてくる。アンジャーはかつての恋人の死で、ボーデンを恨んでいること、復讐をするが、それは徐々に、お互いの騙しあい、報復合戦と奇術でのライバル心でさらに激しい対決になっていく。
恨んでいた側が復讐をし、それに対してまた復讐が行われ…それが繰り返されるのだが、冒頭から、アンジャーの死とボーデンの逮捕(死刑)は決まっているので、その報復合戦がどのように、そこにつながるのかを想像しながらみていくこととなる。
ボーデンは自らの死をもって、アンジャーを死刑にすることで、戦いに勝ったのか?!
なんて、ラスト15分くらいまでは、そんなことを考えていたのだけど。
完全に、ノーラン監督のマジックのプレステージ(=偉業)に持ってかれましたわ。
ラストを観て、そういえばって気になる箇所があったので飛ばし飛ばしで振り返ってみると、伏線がめちゃめちゃあって、それが全部回収されていて、なんというかまさに偉業としか、言いようがなかった。
序盤で、ボーデンは中国人マジシャンを見て、
「すべては奇術のためだ。日々を犠牲にしている。分かるか?そこまでして始めて成し遂げられる。」と言っていて、対してアンジャーは
「何年も別人のふりをするなんて」と、鼻で笑っている。
もうここで最後の結末を象徴しているような、伏線が!!!
ボーデンは、日々を犠牲にし、二人でひとつの人生を送ることで、マジシャンとして成功した。
「そこまでして始めて成し遂げられる」マジックを。ボーデンは徹底していた。
ボーデンに関して、ずっとまわりの女性に対しての行動や発言だけが妙に違和感があって気持ち悪いなと感じて観ていた。それも、演技なのか?と、マジシャンを演じて生きるということなのか?と、考えたのだけど、最後にしっくりきた。
ボーデンは、二人でひとつの人生を送る以外の点では、嘘をまったくついていなかったという、恐ろしさ!実は、ものすごくシンプルなタネ!
アンジャーの、復讐心とボーデンへのライバル心で、複雑になりすぎたタネは自分自身をも破滅へと導くことになってしまったのだろう。かつて愛した女性が死んでしまった方法と同じやり方で、日々、自分自身を殺さなくてはいけないなんて…。
ミステリーで、クローンを使うというトリックはズルいし、それを使ってしまうと何でもありじゃないか…という感じがして、あまり好きではないんだけど、『プレステージ』に関しては違和感なく受け入れることができた。
マジシャンということもあるし、時代背景(19世紀)もあるし、テスラというエジソンと対立していた発明家が作った装置という設定もあるのだろう。
テスラという発明家は、実在していたみたい。エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」という言葉に対して、テスラは「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」言ったとか。もしそうなら、大金を払い自分自身を日々殺す苦痛をしてまで、マジシャンでいようとしたアンジャーと、1つのひらめきで鮮やかにマジシャンで居続けたボーデンに重なるような気もしてくる。
(この名言に関してはいろいろな解釈があるようだけど…)
ちなみに、タイトルとなっている「プレステージ」は、手品における一段階。
確認(pledge)=観客に種も仕掛けも無いことを証明する。
展開(turn)=パフォーマンスを行う。
偉業(Prestige)=マジックショーを完成させる最終段階。
この映画も、
最初のアンジャーの死亡事故、ボーデンの逮捕=プレッジ
報復合戦=ターン
ラストのタネ明かし=プレステージ
という、構造がきれいに描かれている。
なんという、ノーラン!まさに、マジックのような映画です。
もう一度観て、ノーランの偉業のすべてをこの目で確かめたい。
もうここで最後の結末を象徴しているような、伏線が!!!
ボーデンは、日々を犠牲にし、二人でひとつの人生を送ることで、マジシャンとして成功した。
「そこまでして始めて成し遂げられる」マジックを。ボーデンは徹底していた。
ボーデンに関して、ずっとまわりの女性に対しての行動や発言だけが妙に違和感があって気持ち悪いなと感じて観ていた。それも、演技なのか?と、マジシャンを演じて生きるということなのか?と、考えたのだけど、最後にしっくりきた。
ボーデンは、二人でひとつの人生を送る以外の点では、嘘をまったくついていなかったという、恐ろしさ!実は、ものすごくシンプルなタネ!
アンジャーの、復讐心とボーデンへのライバル心で、複雑になりすぎたタネは自分自身をも破滅へと導くことになってしまったのだろう。かつて愛した女性が死んでしまった方法と同じやり方で、日々、自分自身を殺さなくてはいけないなんて…。
ミステリーで、クローンを使うというトリックはズルいし、それを使ってしまうと何でもありじゃないか…という感じがして、あまり好きではないんだけど、『プレステージ』に関しては違和感なく受け入れることができた。
マジシャンということもあるし、時代背景(19世紀)もあるし、テスラというエジソンと対立していた発明家が作った装置という設定もあるのだろう。
テスラという発明家は、実在していたみたい。エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」という言葉に対して、テスラは「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」言ったとか。もしそうなら、大金を払い自分自身を日々殺す苦痛をしてまで、マジシャンでいようとしたアンジャーと、1つのひらめきで鮮やかにマジシャンで居続けたボーデンに重なるような気もしてくる。
(この名言に関してはいろいろな解釈があるようだけど…)
ちなみに、タイトルとなっている「プレステージ」は、手品における一段階。
確認(pledge)=観客に種も仕掛けも無いことを証明する。
展開(turn)=パフォーマンスを行う。
偉業(Prestige)=マジックショーを完成させる最終段階。
この映画も、
最初のアンジャーの死亡事故、ボーデンの逮捕=プレッジ
報復合戦=ターン
ラストのタネ明かし=プレステージ
という、構造がきれいに描かれている。
なんという、ノーラン!まさに、マジックのような映画です。
もう一度観て、ノーランの偉業のすべてをこの目で確かめたい。
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