2013年12月2日月曜日

ウォールフラワー(2012年)



ウォールフラワー

スティーヴン・シュボースキー著『ウォールフラワー』を原作としたアメリカの映画。
著者であるシュボースキー自身が監督を務める。ローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラーが出演。 

『桐島』の再来?!と、SNSで話題の本作。
たまたま、『青い春』を見た直後に鑑賞(『青い春』の感想でも、『桐島』を思い出した)したのも、何かの縁かもしれない。
※たしかに『ウォールフラワー』と『桐島』、『青い春』と『桐島』は通ずるところがあると思う。けど、『ウォールフラワー』と『青い春』は、つながらならないです。

スクールカーストの下層にいる、内気な少年チャーリーの生活が、パトリックとサム兄妹と出会うことで変わっていく物語。

『桐島』以降、「スクールカースト」という言葉が注目されているが、その面白さは「自分もかつてその図式の中に組み込まれていた時期があり、それを思い起こさせる」ところだと思う。
よって、今回の『ウォールフラワー』もスクールカーストの図式は出てくるが、そこがポイントではなくて、そのカースト制度に「勝手に」振り回されていた、「ちょっとこっ恥ずかしい時期」への共感が面白いポイントです。

ちょっと悪そうなかわいい(かっこいい)子への憧れ、友達が芋づる式に増える照れくささと調子乗った感じも、誰にも離せない自分の過去や個性も、好きでもない子と付き合ってしまう感じも、将来のやりたいことを密かに考えている感じも、卒業の不安と希望、それを見送る後輩のお祝いしたいけど、さみしい気持ちも、漠然とまだ変わらない関係で居られる気がしているお別れも。

チャーリーだけでなく、サムも、パトリックもその仲間も、みんな魅力的で、ひとつひとつのエピソードに、何かしら共感でき、照れくさくなってしまう。

自分が生きている世界がすべてだったから、いちいち必至で、必至すぎてちょっとダサくて、でも、誰もがそこにいたことがあるから、愛おしく懐かしむことができるんだろう。
チャーリーもサムも、パトリックも大人になれば、分かることなんだけど、あの頃だからこそのキラキラした文化祭みたいな夢のようなものが、描かれている映画だった。

けど、ただキラキラしただけの映画ではない。
チャーリーの過去も、サムの過去も、パトリックの個性も、高校生がひとりで抱え込むには大きすぎる。
大きすぎるから共有しようというきれいごとではなく、大きなものを抱えているけれど一緒にいれば笑える友達がいるということの意味を教えてくれる。

個人的にはチャーリーの過去はものすごく共感できて苦しかった。
守られなかった約束は、人を縛り付け、自分を責める。そして、何が起きても自分のせいだと、諦める。また諦めていく自分に、絶望しながら、同時に一緒に笑えた時間をどこかで欲し、それを求めることは許されないと、閉じていく。そんなことはないのに。分かっている。

またね、と言って、街を去ったサムを見送り、チャーリーはどこかでその「また」がないことに怯えていたはずだ。みんなが卒業し、また一人に戻った学校で。

「また」はちゃんと来た。パトリックは相変わらずだし、休みにサムは帰って来た。来年は一緒にシナモンロールを食べる。

守られない約束もあるけど、守られる約束もある。
あの頃には戻れないけど、続いていくものも確かにある。


青春のまぶしい日々の映画かと思いきや、もっと深い映画だった。


ただ、原作のあらすじを読むと、チャーリーの過去にもっといろいろエピソードがあったみたい…?
原作も気になる。
原作には、自殺した親友マイケルのことももう少しあるのかな。映画の中のエピソードだけだと、ヘレン伯母さん=マイケル?!と、勝手に深読みしてしまいそうになった。




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