2013年12月12日木曜日
俺俺(2013年)
『俺俺』
原作は星野智幸作の同名小説。
三木聡監督・脚本、亀梨和也(KAT-TUN)主演で映画化された。
前情報なしで鑑賞。
亀梨君演じる永野均が、ひょんなことからオレオレ詐欺を働き、それを機に別の「俺」が増殖していく。
実家や職場で他人と関わることにめんどくささを感じていた「俺=永野均」は、「大樹の俺」や「ナオの俺」と出会い、「俺」たちだけのユートピア俺山を作ろう!と盛り上がる。みんな「俺」なのだから、考えることも同じで、気を使わず、分かり合えると思って。
最初は身代わりになったり、楽しくすごしていたが、色々な「俺」が集まるうちに、徐々に許せない「俺」と許せる「俺」がいることに気付く。そして、そう思っているのは「俺」だけでなく、もちろん別の「俺」にとってもであり、「俺」同士の削除がはじまっていく…。
正直、オレオレ詐欺で「俺」が増えていっちゃうコメディーかと思っていたら、全然違った。
むしろ結構怖い。
「もうひとり自分がいればいいのにな~」という、夢想はきっと誰でもしたこがあるだろう。そして、対峙する人や場所、立場、状況によって態度や振る舞いが変わってしまうということも、誰もがあることだろう。
そんな単純な夢想、無意識の日常を突き詰めていく先にある怖さがあった。
別の自分がいるということは、自分を100%理解している自分がいるということだ。それは、煩わしい気遣いなどはいらないかもしれないけど、自分の中に隠している、汚い感情も相手にバレてしまうし、自分も分かってしまう。これは怖い。
分かり合えないから知りたいと思うし、逆に分からないふりをして誤魔化せる部分ってどうしてもあるから、100%理解してくれるっていうのはお互い誤魔化しようがない怖さがある。
でも、日頃は理解してほしい、認めてもらいたいって思うのが人間だから、わがままな生き物だなと改めて突きつけられたような。ないものねだりっていうことでしょう。
そして、「永野の俺」、「大樹の俺」、「ナオの俺」という、別の「俺」の人格が存在するというものも、無意識のうちに日常的にあることなのではないか?会社の自分、友達といる自分、恋人といる自分は違うだろうし、友達でも相手によって違う「自分」をきっと無意識に出しわけている。その中には嫌いな自分も、認めたくない自分もいるだろう。それがずらっと並ぶなんて…。冷静にその「自分」を見ることができてしまうなんて…。怖い。
この映画を観てゾワゾワした。『俺俺』の状況を想像して怖くなったし、それ以上に自分は思った以上に色々なものを見て見ないふりをして、誤魔化しているんだという現実に。
勢いがあるし、ポップな感じの演出なので、ゾワゾワしながら観て「何だ?!このゾワゾワは?」なんて思っていたらラストになっていた。観終わって「怖い!」となるような。
最後に。亀梨君演技うまいのね。何人もの「俺」を演じ分けていて(どれも亀梨君なんだけどどれも別人!)、これ合成だろうからきっと一人で演技しているところも多いんだろうな~と思うと、すごいわ!これもまた、ある意味、怖い!
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