2013年12月2日月曜日
青い春(2002年)
『青い春』
松本大洋の短編集『青い春』を基に豊田利晃監督が実写化。
『しあわせならてをたたこう』をベースに、『青い春』に収録された漫画のエピソードやキャラクターの要素を合わせて長編映画にしている。
松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑、大柴裕介が出演。
学校を仕切る番を決める「ベランダ・ゲーム」(屋上の柵の外に立って何回手を叩けるかを競う根性試し)で、最高記録を出した九條と、それを取り巻く不良たちの群像劇。
九條の幼馴染の青木、甲子園の夢が破れた木村、家族はエリートの雪男、先輩に媚を売り気に入られていると威張る太田、使いっぱの吉村。
そして、九條。
九條の気持ちや考えていることは、ほとんど語られることがない。語られても、真意のわからない言葉がぽつりと発せられるだけだ。だからこそ、彼の言葉に、つい引き寄せられてしまうのだろう。
―(青木に対して)「あいついいやつだから」
―「泳ぐには寒すぎる」
―「咲かない花もあると思うんです」
そして、そういった感情の出ない役の松田龍平はすごく、狂気に満ちているし、より引き付けられる。豊田監督は、そういう松田龍平の使い方が本当にうまいと思う。
九條は仲間に「卒業後どうするのか?」と尋ね、それに対して彼らは、のらりくらりと返すだけで答えないのが印象的だった。「卒業後」を見るもの、見ることから避けるもの。
将来だけでない。仲間との関係や、自分自身の可能性。みんな見えない、言葉にできない、フラストレーションを抱えている、あの頃。
学校のぬるま湯に浸かりながら、間もなくやってくる寒すぎる外の世界に出なくてはいけない時。九條だけには、見えていたのだろう。確実にやってくるその時が。他のものたちが、目を逸らしているその時が。
そんな地上15センチくらい上に浮遊しているような、九條への嫉妬。青木は最後「九條にはできないこと」をやろうとして、ベランダの柵を越える。
九條は、その時初めて走りだし、感情が一瞬露わになる。地面に叩きつけられた青木の姿を見て、振り返った九條の表情に鳥肌が立った。その表情から、九條の感情はもう見えないんだけど、ハッとする表情だった。今の松田龍平だったら、もしかしたら違う表情をするのだろう。けれど、17歳のリアルな表情が、この時の九條にものすごくシンクロしていたように感じた。
イケメン不良映画の走りのような言われ方をする映画『青い春』だけど、学園もので分けるとするなら、個人的には、むしろ『桐島、部活やめるってよ』につながっていくような印象を持った。
狭い世界での、ヒエラルキー、葛藤、アイデンティティ、これからの未来。『桐島』より、もっとミクロに個の葛藤を描いている。
決して、すっきりする映画ではないし、ぐりぐりと突き刺さる映画であることは間違いない。『桐島』と違って、「あの頃こうだったよね。」と、語り合えるような映画でもない。でも、もっと深いところで、懐かしいというか、恥ずかしいあの頃を思い出す。たぶんどこかで、九條に憧れている青木に近い自分を。
青木が最後、黒で塗りつぶした青い世界。
真っ黒で流れ出したエンドロールが、最後徐々に青になっていく。
ものすごく、救いだと思った。
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