2014年1月6日月曜日

ゼロ・グラビティ(2013年)




ゼロ・グラビティ

原題:Gravity。アルフォンソ・キュアロン監督によるSF・ヒューマン・サスペンス映画。第70回ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品。

これはもうとにかく観てください!ぜひ3Dで!できるならIMAXで!わざわざ、としまえんまで行く価値のある映画です。
実はIMAXでしか鑑賞してないので、他の条件でどうなのか分からないんですが、とにかく素晴らしい映画体験ができたので、IMAXはおすすめできます。
これだけ、IMAXや3D推ししてしまうと、映像のすごさだけの映画に思われてしまうかもしれないのだが、そんなことは全然ないです!ストーリーも含めての感動で、興奮です。

この映画の現代は「Gravity」。すなわち、「重力」。邦題では、逆の意味の「ゼロ・グラビティ=無重力」となっているが、これは失敗ですね。
宇宙空間の無重力状態と重力のある状態。この対比が素晴らしく、観終わった人は必ず「重力」があることを実感することとなる映画なので、やっぱりここは「グラビティ」だったのでは、ないでしょうか。

映像と音。重力と無重力。

宇宙空間の放り出されるところから始まる映画なので、舞台はほぼ宇宙空間です。
3D映画については、『アリス・イン・ワンダーランド』で体験して以来、2度目の体験。そのとき、3Dっていうのは「飛び出す」と思いがちだけど、「奥行き」なんだと感じたのですが、『ゼロ・グラビティ』に関して言えば、「空間」でした。ISSなどの機内よりも、宇宙空間でその感想は特に感じました。宇宙は「奥行き」もなにも、なんもないんですよ。でも、そこに茫洋と広がる宇宙がある。もう宇宙体験のようなひと時だった…。

最初のナレーションで「音を伝えるものがない」というくだりがあるんだけど、本当に静かなんだということを実感しました。BGMは最小限にとどめられ、息使いと自分の声、機械の警報音しか聞こえない世界。映画館でも、息をするのが憚れるくらい静かなシーンが多々流れ、緊張感と言ったら。
一緒にいたときはマットのおしゃべりはうるさく感じていたのに、いなくなった途端ライアンは独り言が増えるんです。無音は孤独を掻き立てるのでしょう。自分の声しかない世界。自分はまだいるんだという、確認作業のようにも感じる独り言。

映像と音。このふたつの演出が際立つのが、ラストのシーン。
水の重み、砂の質感、植物や虫など目に見えるものだけじゃなく、空気があるという目に見えないけれど、確かにそこにあるものを観ることができました。音についても、ラストでその対比が鮮やかに描かれています。風の音、虫の羽音、波の音。音を伝えるものがある、重力のある世界は、ずいぶんと賑やかで、騒がしい。そんな当たり前のことに、改めて感動してしまったシーンでした。
そう考えるとやっぱりタイトルは「グラビティ」だったのでは?(←ひつこい)


「生きて還らなければならない」

最初に言った通り、この映画のおもしろさはストーリーも含めてなんです。
絶望的な状態から、いかに生還するかという展開だが、決して最初から、生きて還る!が目標ではないし、還れると希望を捨てなかったから~なんて、キラキラまぶしい感動スト―リーではない。サンドラ・ブロック演じるライアンは、諦めるし、くよくよするし、もうダメ…って何度もくじけるし、切れるし…でも、「生きて還らなければならない」と気づいていく。信じるとか、がんばるとかじゃなくて、そこには「生きて還らなければならない」という、思いだけしかない。「生きて還らなければならない」という思いが生まれると同時に、過去に残してきた思いもまた整理がついてくる。すべてはジョージ・クルーニー演じるマットの存在があってこそ。もう、ジョージ・クルーニーの笑顔を見るだけで、涙が出てくるくらいかっこいいです。



まあ、とにかく観て欲しい。観て色々話したくなる。
この映画は観ている人もきっと一緒に絶望します。一緒にイライラします。一緒にそわそわして、ドキドキして、一緒になって祈ります。
そして、ラストには重力を感じるサンドラ・ブロックと共に、自分までも重力を感じてしまいます。
最後の最後、「Gravity」の文字が出てくるときほど、「重力」の意味を感じる瞬間はないんじゃないかと思う。静かなエンドロールの間中ずっと、鳥肌とドキドキしっぱなしの心臓は落ち着くことはなかった、そんな映画でした。


いいから、観て!

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